私が会長を務めている自民党全国青年議員連盟では、去る7月の参議院選挙敗北をうけ、加藤幹事長(当時)に対して申し入れを致しました。一聞報道されましたが、その内容を正しくお伝えするために、以下にその全文(抄)を掲載致します。
第17号
1998年10月10日発行
京都府議会議員
私が会長を務めている自民党全国青年議員連盟では、去る7月の参議院選挙敗北をうけ、加藤幹事長(当時)に対して申し入れを致しました。一聞報道されましたが、その内容を正しくお伝えするために、以下にその全文(抄)を掲載致します。
去る7月12日に行われた、参議院選挙におきまして、自民党はかつてない大敗を喫しました。
特に私の地元の京都選挙区におきましては、共産党の候補がかつてない得票を上げ、自民党の支持率もかつてないほど低いものとなりました。また無所属の若い候補が39万票を上回る大量得票で一位当選するなど、まさに自民党にとって逆風、そして共産党や野党にとって追い風の選挙だったことがうかがえます。こうした状況を踏まえて、今回の選挙の敗北の原因を考えますと何よりも私は、自民党が保守政党として本来の政策をしっかりと訴えていなかったことが、最大の原因であると思います。
例えば、今回の不況を受けて自民党は六大改革ということを盛んに訴え、その中で経済の改革を行うには、規制緩和を行って競争力を高めていく、また大店舗法も廃止にする、こうした日本の社会全体におおなたをふるうようなことを、盛んに訴えてまいりました。しかし私は常々、こうした社会全体をアメリカ化していくような政策は決して、保守を標榜する自民党には本来そぐわない政策ではと思っております。ではなぜ保守政党であるはずの自民党がアメリカに追随してきたのかといえば、その背景には、東西冷戦構造の中、アメリカ=保守ということが当然視されてきたという事情がありました。しかし、東西冷戦構造が崩壊してから後というものは、次第にアメリカ型社会の本質が見えて来ました。確かに共産主義、社会主義というものは世界の政治状況からはすでに葬られました。また日本の中でも社会党自身が崩壊してしまいました。しかし、実現にはより広範に左翼思想は国民生活の中に広まってきています。またアメリカ化ということが保守と思われたのは、相対的にはということで、それは、ソビエトという対立軸があったからであり、アメリカの社会や政治の現実の姿が、保守であるかどうかということを考えれば、むしろアメリカは本来の保守政治とは異質な政治体質であると言えます。保守というより進歩主義、理想主義という意味ではソビエトが全体主義であるのに対して、アメリカが個人主義であることを除いて、両者は近い体質を持っているのです。例えば、保守とは確かな政治理論とか理想というものがあるわけではありません。むしろ現状を肯定しながら徐々に社会を変革していく、そしてその変革の道筋というのは、自分たちの国の状況、それは歴史であるし、また気候風土でもあるし、さまざまな民族の状況にもよりますし、いろいろな要素が融合して、つまりいろんな歴史や伝統を背負い、その延長線上に新しい時代をつくっていこうとする、これが保守であります。ところがアメリカの場合は新大陸の発見以来、イギリス人やフランス人等、主にその当時の体制の恩恵に浴していなかったヨーロッパの人々が次々に移住してきました。その為、それぞれの国の伝統というものもある種受け継ぎながらも、アメリカという新しい大陸で、新しい気候の中で、今までの伝統や文化とは違う、自分たち自身の理想国家を作り上げていこうとする大きな流れがそこにありました。そういう意味ではアメリカという国は非常に理想主義的な、また実験国家として非常に冒険的な、また若くて活力がある国でもあります。しかしこれらすべてが、人間にとって素晴らしいことかといえば、決してそうとばかりも言えません。あまりにも理想主義に走り過ぎ、時として大きな過ちを犯すことがあります。例えば禁酒法の例などがそれの良い例でありましょう。また実験国家として非常にダイナミックな行動を起こしますが、時として大変に愚かな行動に走る事もあります。例えば抗戦力の既に低下している日本に対して原子爆弾を落とすなどというのは、まさに、日本人を核実験の道具にしたということです。そしてまた若く活力のある分、貧富の格差があまりにも大きくなっております。つまり国としての歴史がまだまだ浅いために、アメリカという国そのものが揺藍期にあり、変動の揺れ幅が大きく、従って生身の人間にとっては非常に変動の大きく、厳しい世界であるということが言えるでしょう。またそれが一面、アメリカンドリームという大きな成功をもたらすこともあるのです。しかしいずれに致しましても、文化も経済も社会全体の仕組みも、すべてをアメリカ化することは、日本人にとって決して幸せでばかりないことは、日本人もすでに気付いていると思います。
ところが戦後半世紀、日本人はこうしたことを心のどこかでは感じながらも、半ば強制的に、また半ば自主的に、アメリカ化するような方向で国を作ってきました。半ば強制的にというのは、戦争に負けて、徹底的に社会の仕組を日本の伝統的なものから、アメリカ型へ強制的に変換されてきたということです。そして半ば自主的にというのは、そういう思いを持ちながらも、アメリカの豊かな生活というものに憧れて、自分たちの理想郷としてアメリカの社会を雛型と見て、社会を変革してきたということであります。またそうすることが、無条件に正しいことだと日本人は信じてきたのです。
こうした流れの中、自民党の戦後政治は、冷戦時代にはアメリカ側につくという意味で保守陣営側ではあるものの、その政治的スタンスは、極めて理想主義的かつ進歩的なアメリカの政治姿勢をそのまま受け入れてきてきたのです。従って、草創期から自民党は真の保守政治とは言えなかったのです。そして東西冷戦構造が終焉を迎えると同時に、左翼勢力やマスコミは、かつてはアメリカに対して向けていた矛先を、日本の伝統的な文化や習慣と言うものに向け始めました。これが、マスコミ各社に共通するスタンスではないでしょうか。従って、こうしたマスコミが作り出す世論というものは、当然のこととして反日本的であり、かつ、親アメリカ的なものにならざるを得ないのです。その上にバブル崩壊以来の大不況が続いています。経済界においても、かつては日本的経営というものに絶対的な自信を持っていた方たちも、この不況の中その自信を失われ、また自信を失わないまでも、否応なしにリストラに取り組まざるをえなくなりました。特に大企業では、バブル時に大幅に採用を増やしたため、この整理をしなくては会社の屋台骨が崩れてしまうという危機に瀕したのです。その方便として使われたのがアメリカ型社会への移行、つまり規制緩和による市場原理中心の競争社会への移行ということであります。そして、アメリカ型社会に移行することが経営者の利益だけではなく、消費者の利益にもなるということを唱えだしたのです。その結果、こうした大企業の経営者の声と、マスコミの反日親米的な視点とが奇妙な協調関係を作り、不況を契機に反日親米の規制緩和路線に向けての大合唱が日本中で唱え出されたのです。
こうした、いわゆるマスコミ世論の大合唱を背景に、自民党が打ち出したのが最初に述べた六大改革であります。しかしこれは自民党の本来の政策ではなく、連立政権であるが故に、その政策基盤の弱さのために、常にマスコミ世論に対して迎合しなければ政権基盤を保てないという、政治的圧力の下に行われたものだと私は思っております。したがって、これは自民党の政策というよりも、かつての細川内閣の延長線上にある政策であると私は思います。しかしたとえそうであっても、マスコミ世論が本当に日本の長期的利益を守るため正しいならば、これを受け入れることも仕方ないと思います。しかしこれは、日本の長期的利益を守るという観点から作られた政策ではなく、アメリカやマスコミの圧力によって本質的なことを考えることなしに提案されてきたものです。従って、そうした政策が成功するはずがありません。当然の結果として、ますます経済状態は悪くなりました。また、今まで日本経済を支えてきた一番の柱である人間の信頼関係というものを、次々に破壊してきました。
規制緩和論者が言うようにアメリカ型社会への移行によって、今まで100有った雇用が50に減っても新たに50以上の雇用がそこに創出されれば、こうした主張も理にかなっているかもしれません。しかし、実際には50減った雇用が規制緩和によって新たな雇用を生み出したとしても、それはわずか10や20にとどまっており、後の30はその先の見通しがつかないというのが、現実の状況ではないでしょうか。結局それは先行きに対する不安感というものを作り出したにすぎなかったのです。従って、長引く不況の原因はいろいろあります。その原因の一つが、あまりにも早急な社会変革を無節操に、無秩序に、将来展望なしに行ってきたことであることは間違いないと思います。
私の選挙区は京都ですが、京都では共産党が以前から大変大きな勢力を持っております。今回ついに、自民党をその得票数で抜き、府内第一党の地位を獲得するに及びました。その原因について私は、共産党の主張するような消費税の5%を、3%に戻すとかいう政策だけが受け入れられたからではないと考えております。共産党の主張してきたことは、本来自民党が主張しなければならないことの代弁をしていたということなのです。例えば共産党は大店舗法の廃止により、商店街がなくなってしまうことに対する矛盾を訴え、また、徒に規制緩和をすることは、弱肉強食社会を作り出し、経済秩序を崩壊し、中小企業の生き残れない商環境をつくり出してしまう等、まさに保守政党として自民党が主張し、守らなければならない大切なものを、共産党が訴えていたのでした。そう言えば共産党の候補者は京都では、キャッチフレーズに「家族色の政治」ということを掲げてきました。そして自民党はどうだったかといえば、マスコミが作り出した世論に引きずられて、改革という言葉を意味もなく使うのが精いっぱいでした。これでは本来の自民党の支持者が、共産党に回ってしまうのも無理のないところです。共産党の主張は結局のところ、現代社会の矛盾をついているだけにすぎず、彼らが自由主義社会を本当に守る気がないのは明らかでありますが、有権者はそんなことより、共産党の主張の方が、保守党の立場を忘れた自民党の主張より、日本の良き伝統を守る主張として頼りになるものと感じ、評価したのではないでしょうか。
参議院選挙の敗北を受け、橋本総裁から新たな総裁に変わられます。どなたが総理総裁になられても、是非ともお願いしたいということは、こうした大敗北の原因を真剣に考えるならば、われわれ自民党が取らなければならない政策というのは、まさに、目先の問題だけではなく、長期的な日本の利益を守るということです。そのためには、戦後日本が避けて通ってきた日本の国のありようを真剣に考えるということが必要です。そして、日本人にとっての幸せとは一体何なのかということを、真剣に論議しなければなりません。そうするならば、日本人の幸せが必ずしもアメリカ人の幸せとは一致しないということが、明らかになるはずです。日本人はこの国土に生まれ、この風土の中で生活をし、ほぼ単一民族という環境の中で暮らしてきました。そうした中で培われてきた歴史や伝統というものが、われわれの幸せに対する価値観を決定付けているのです。こうした伝統文化を無視して、日本人の幸せを守ることはできないということに、われわれは気づかなければなりません。まさに真の保守政策としての使命を果たすことこそが、これからわれわれが一番にすべきことではないでしょうか。是非とも、新しく総裁になられる方にお願いしたいのは、徒にマスコミ世論に迎合しアメリカ社会に傾斜するのではなく、しっかりと足元を見つめ、保守政党としての政策を貫いていただきたいということです。心からそのことをお願い致します。
真の保守政治の再生へ向け、勇気とご英断を期待しております。
平成10年7月16日
自由民主党全国青年議員連盟
会長 西田昌司
シルクよ永遠なれ(シルクルネッサンス)
5本指の絹の靴下のおかげで、今年の夏は水虫の繁殖がだいぶん治まりました。5本指健康法というのがあり、足の指間を広げると健康に良く、通気性も良く水虫退治にも良いとのことですが、やはり絹という素材が水虫退治に良いのではないでしょうか。
科学的に調べても絹は綿や合成繊維と比較して吸湿、放湿性に優れており、最近では肌着に良く用いられています。かつて絹は繊維の女王と呼ばれ、和装品をはじめ、嫁ぐ花嫁に持たせた反物や着物、豪華な打ち掛け衣装に用いられていました。正倉院の御物を始め文化財の衣装の素材はほとんどが絹で出来ています。近年、これら絹素材が消費生活の多様化により身近な処に用いられるようになってきました。JR伊勢丹百貨店にも西陣織りの絹のコースターやボトルカバー、日用品が『絹千年』とネイミングし出回っています。
ところがこれらの原材料の絹は大半が中国から輸入され、円高、ガット・ウルグアイラウンド協定などの政策により安価で国内に入ってきています。
絹は昆虫の蚕が幼虫から蛹になるときに作る繭を生糸にして得られる繊維です。絹は中国が原産で四千年の歴史を誇り、わが国へは二千年前に伝えられましたが、養蚕が飛躍的に発展したのは明治以降です。明治時代の生糸は輸出産業の花形で、日本の富国強兵・殖産産業振興のため養蚕も中山間地域の花形農業として持てはやされました。全国各地に生糸を作るための製糸工場も建ち並びました。代表的な地域が関東甲信越地域ですが、京都府下においてもグンゼで代表されるように綾部を中心に製糸、養蚕が栄えていました。さらに、かつては我が南区の久世地区においても養蚕が行われていて、つい最近まで養蚕を行っている農家が一軒だけ残っていました。
ところが安い生糸が輸入され、和装需要の低迷で国内の繭、生糸の生産量が大幅に減少してきていました。農村が都市になり、労働力集約型な養蚕は敬遠され、国内の養蚕農業は激減しています。最盛期 1975年・養蚕農家24万8千戸、生産量9万1千トン、1997年養蚕農家6310戸、生産量1920トンと農家個数で2.5%、生産量で2.1%になっています。(農水省調査)これに伴い、製糸工場は429工場(1975)から11工場になってしまいました。こうした状況を受けて国は繭検定や蚕糸業の許可制を定めた蚕糸業法と、製糸の免許制などを定めた製糸業法を1998年に廃止いたしました。これを受けて各都道府県の蚕糸や繭関係の機関も廃止の方向になり、国産の絹糸が消えるか、残せるか、各都道府県の決断でその方向性を決めることになりました。
日本の絹がなくなることは京都の伝統産業である西陣織や京友禅の存続さえも危うくするのではないでしょうか。西陣織の帯の原材料である絹が中国製、薪の能の衣装の原料が外国産では・・・・・・。これではいけないと思い各地の残っている養蚕地が絹文化復興(シルクルネッサンス)を目指して独自の取り組みを始めました。それは田舎が都会に迎合しないで、『繭つくり(養蚕)』を中心に町村の再生に取り組んでいる姿です。それについては次号で紹介いたします。
第29回の旅行会は、広島・山口(萩・津和野)山陽方面で今までにない豪華・感動グルメ2宿3日の旅でした。
1日目:江田島旧海軍兵学校と広島平和記念資料館を見学し、戦争で数多くの若い命が失われたことや、原子爆弾による被爆者の遺品や写真を見て、何か胸に込み上げるものが有りました。
2日目:SL山口号に乗り、小郡駅から津和野駅までのゆっくり2時間、明治・大正・昭和にわたって全国を駆け抜けた客車を見て回り、時代の変化を感じ、又車中で食べた駅弁も大変味わい有るものでした。
3日目:日本三景安芸の宮島(厳島神社)を参拝し、蒼い海に浮かぶ雄大な鳥居を後にして帰路につきました。
三日間、ハードスケジュールでしたが、天候にも恵まれ、ご一緒させて頂いた方々との親睦も深まり、思い出に残る旅行になりました。来年の旅行会は、日本の代表的な山岳景勝地「上高地」の予定です。その前にある地方選挙で、西田昌司先生を皆さんの手で勝利に導き上高地で祝杯をあげたいと思います。
虫の音に秋を感じる頃となりました。秋といえば、食欲の秋、芸術の秋、読書の秋などといろいろ言われていますが、私は今、テニスに、はまっています。そう、スポーツの秋です。先日、コーチに「汗だけは一人前やなあ!」と、からかわれました。全く下手の横好きとはこのことでしょう。涼しい間になんとか格好がつくようにしたいものです。゛退屈の秋″を過ごしている方、こんな私と一緒にテニスを楽しみませんか?
編集委員 木村 和久