統一地方選挙のご支援に感謝
4月9日に統一地方選挙の前半戦が実施されました。皆様方のご支援に心から感謝を申し上げます。しかし、自民党の公認候補は府会が30名の公認に対して28名、京都市会は24名の公認に対して19名の当選に留まり、自民党にとっては厳しい結果でありました。また、京都で大きな勢力を保っていた共産党は、府会・市会とも議席を減らしましたが、維新の会が大きく議席を伸ばしました。京都は、自共の対立が大きな枠組みでしたが、今後はそれが自民対維新に変わることになります。特に、来年の正月明けに行われる京都市長選挙では、維新は必ず候補者を立てると明言しています。これに、京都党や共産党などがどう関わるかが注目されます。
我が党としては、国と京都府と連携できる候補者を選定して、必勝態勢で取り組んで参りますので、引き続きのご支援をよろしくお願い申し上げます。
維新の天下で大阪は貧困化
参議院財政金融委員会での鈴木大臣への質問はYouTube西田昌司チャンネルでご覧いただけます
隣の大阪では、知事と市長の選挙が行われましたが、どちらも維新が圧勝しました。更に議会の選挙でも維新が圧勝し、引き続き大阪は維新の天下となりました。大阪では、維新が天下をとって10年以上になります。身を切る改革や大阪都構想が彼らの看板政策でしたが、その結果、大阪はどうなったのでしょうか。
そもそも、大阪都構想は2度にわたり住民投票をしましたが、いずれも否決されましたから実現していません。いずれにせよ、都構想は、大阪府と大阪市の二重行政を排除するということですから、要は身を切る改革同様で、大阪で使われている予算を削減するということです。大阪で使われる予算を増やせば、大阪の経済が活性化するというのなら理解できますが、それを減らせば経済は地盤沈下するはずです。事実、維新が大阪の天下を取った10年の間に大阪が貧困化していることは統計調査でも明らかになっています。
例えば、都道府県別世帯(2人以上勤労者世帯)月収では全国平均60万9千円のところ、大阪では54万8千円で全国40位です。また、一人当たり県民雇用者報酬の増加額(2011年-2019年)では、全国平均は+ 28万5千円ですが、大阪は+ 1万7千円しか伸びておらず全国46位です。また新型コロナによる重症者数死亡者数も人口あたり全国最多で、文字通り医療崩壊しています。このように、身を切る改革は、大阪府民市民の富を奪い、命を奪う結果となっているのです。
これだけ無惨な結果しか残していないにもかかわらず、なぜ大阪で維新が躍進することができたのか、私は不思議でなりません。
身を切る改革というパフォーマンス
身を切る改革は実際には全く意味のないものであったにも関わらず、大阪で支持されたのは、以前の大阪が市民の目からは、よっぽど豊満財政をしていたと見えていたからでしょう。事実、大阪市は京都市の左京区より小さな面積に280万人が暮らしていますから、財政は非常に潤沢で職員の給料も高く、いわゆる公務員天国の様なところもあったのでしょう。それに対する市民の不満があったことは事実でしょう。しかし、財政を切り詰めていくだけでは将来の発展はありません。それは前述の数字が示しています。
結局、大阪で維新が支持されたのは、デフレが続く中で、民間の景気がおもわしくない中、自らの報酬を引き下げるというパフォーマンスを見せることにより、公務員天国に対する市民の根深い批判を利用して市民の溜飲を下げたからでしょう。選挙のたびに身を切る改革と称して、自らの首を絞めることを平気で続けているのを支持する背景には、今は苦しいが、これを乗り越えれば楽になるはずだ、と言う期待と思い込みが大阪の市民にはある様です。まさに劇場型の政治に酔いしれている感があります。しかしながら、大阪では現実の経済が落ち込んでいるのですから、この事実が市民に伝われば早晩必ず支持は失われるでしょう。
近畿地方では生駒山からテレビの電波が流れるため、こうした維新の劇場型のパフォーマンスが関西一円に流されます。この結果、元々公務員の給与も高くなく公務員天国ではない他の地域でも、大阪で身を切る改革をするなら自分たちの街でもしようと、まるで流行に取り残されたという感覚を持つ人が出始めています。今回、京都などの大阪周辺地域で維新が勢力を伸ばしたのはそれが原因でしょう。
財政危機は存在しない!危機なのは経済だ!
BS11「報道ライブ インサイドOUT」に出演いたしました
維新の会が身を切る改革を叫ぶのは、国債残高が増えればそれを返済する孫子の世代の負担が増えると考えているからです。しかし、これは全くの事実誤認です。既に私の国会での質問に財務大臣が答えていますが、国債の償還は借換債の発行で行なっていますから、孫子の世代の負担が増えることはないのです。さらに、国債を発行して予算を執行すればその分民間の預貯金が増えることも財務大臣は認めています。国債発行は孫子の代に借金を残すのではなく、逆に財産を残すことになるのです。
また、国債の利息もその半分以上を日銀が保有していますから、利息の大半は日銀に支払われることになります。日銀に支払われた利息は日銀の経費を除き全て政府に納付されることに法律で定められています。従って、日銀の保有してる国債については、基本的に財政に何ら負担を与えていないのです。このことも財務大臣は認めているのです。つまり、財政の危機など全く存在しないのです。
問題はこの20年に渡り、日本だけが経済成長して来なかったことです。その原因は、バブル崩壊後、いわゆる貸し剥がしが行われたことです。平成9年ごろから1年間で150兆円に上る金額が銀行に回収されました。銀行からお金を借りることにより企業は資金を調達して投資をします。その額が年々増加することが経済を成長させるエンジンになるのです。その額が一挙に3分の1も無くなってしまったのですから、経済はとんでもない不況になりました。民間借入金は、その後20年以上に渡って増加していないのです。これが日本の失われた20年の原因なのです。
新しい資本主義が経済を救う
民間がお金を借りて投資をしないのは、貸し剥がしのトラウマが原因の一つですが、長引くデフレの影響も大きいです。民間が投資をしない結果不況が長引き、物価が持続的に低下するデフレに陥っていました。物価が持続的に上昇するインフレ時には、商品の単価が上昇し売り上げが増える事が期待できますから、企業は積極的に借金をして投資をします。しかし、物価が持続的に低下するデフレ局面では売り上げの減少を恐れて、借金をして投資をすることを控えます。これが失われた20年を作り出したのです。
民間が投資をしないなら、代わりに政府が国債発行をして積極的に投資をすべきなのです。しかし、現実は逆のことをしました。民間が身の丈に応じた経営をしようとしているのに政府が借金を増やしてどうするのかという暴論が罷り通ったのです。正に身を切る改革を自民党も民主党も率先して行なって来たのです。
しかし、コロナ禍に陥ったことで緊縮財政は変更を余儀なくされます。先ずは、人の命を守ることや経済を破綻から救うことが優先されました。その結果、この3年間で100兆円にのぼる補正予算を執行することになりました。お陰でコロナも終息に向かい、コロナ融資で倒産も抑えられ、逆に税収は増えました。これは政府の財政出動が民間の預貯金を増やしたからです。
今までの、規制緩和をして民間の経済を成長させるといういわゆる新自由主義の経済政策から、政府が積極的に財政出動をすることにより民間経済に資金を投入して需要を拡大する脱新自由主義に方向転換をしているのです。岸田内閣の新しい資本主義とは正に脱新自由主義のことで、緊縮財政から積極財政への転換を意味しているのです。
維新の会は財務真理教か
にも関わらず、身を切る改革を維新の会は主張しています。確かに、地方自治体の公債は国債と違い、日銀の引き受けの対象にはなってません。しかし、この問題は、政府が国債発行を増やして地方交付税を増大すれば、地方は公債を発行する必要がなくなりますから、財政の破綻もおこらないのです。従って、積極財政を行う岸田内閣では地方の財政破綻などあり得ないのです。京都市なども一時財政の危機が心配されましたが、岸田内閣の積極財政のお陰でその危機は既に乗り越えています。
ところが、今回の統一地方選挙では、財政の危機を煽り身を切る改革を主張する維新の会や京都党が勢力を伸長しました。彼らの政策が根本的に間違っているということは、もうお分かりでしょう。岸田内閣の下では積極財政でコロナ禍を乗り越え、これから経済成長を目指そうとしているのに、身を切る改革という路線を京都が選択してしまえば、京都も大阪と同様にデフレに真っ逆さまです。
先日、月刊文藝春秋に、伝説の大物元大蔵事務次官の齋藤次郎氏が、安倍元総理の回顧録に対する反論を寄稿していました。内容は例の矢野元次官と同じくばら撒き財政の批判です。
この人は先輩から絶対に赤字国債を出すな、財政法を守れ、さもないと戦後のインフレのような事態になると厳しく指導されてきたということを力説していました。しかし、戦後のインフレの原因は空襲により工場が破壊された上、600万人以上の外地からの復員に代表される様に、需要の急激な拡大と供給力の低下によるものです。ましてや財政法を守れとは、GHQが日本の財政の自由度を縛るための典型的な占領政策だという事実も理解されていません。そもそも齋藤氏の意見が正しければ日本はとっくにハイパーインフレになっていなければなりません。正に、上司の意見だけに忠実に従ってきただけで現実を全く見ていないのです。そして、こうした財務真理教と言うべき論法に悪ノリしているのが維新の会の政策です。
来年の京都市長選挙が天王山
統一地方選挙の必勝にむけて自民党京都府連総決起大会を開催いたしました
来年の正月明けには、京都市長選挙が予定されています。積極財政で経済の回復を目指す岸田政権と西脇京都府知事としっかり連携出来る候補者選定を致します。断じて大阪の二の舞いを踏む事などあってはなりません。皆様に賢明なご判断をお願い致します。
樋のひと雫
-アンデス残照-
羅生門の樋
家の前を候補者の名前を連呼しながら、街宣車が走っています。日本のいつもながらの地方選挙です。地方選になれば思い出すことがあります。ボリビアにも地方選挙はありますが、大統領選とは異なり、もう少し静かです。「誰が立候補しその主張は?」等は、よそ者には余り聞こえません。
20数年前に教育基本調査でボリビアに行った際に、コチャバンバで一人の女性官僚に出会いました。訳せば「県教育事務所長」という肩書ですが、権限では日本の府県教育長より上です。人事、行政権、学習内容等全ての権限を握ります。表敬を兼ね調査地域や内容の説明と調査の便宜を要請するために、昼に所長室を訪れました。多くの事務所長は部下に詳細を検討させ、表敬だけを受けるのが常です。しかし、彼女は自国の発展や当時進行していた教育制度や教育内容の改革に、調査がどのように資するかを聞いてきました。15分で終わる「表敬」が、「ボ国社会の成長と教育改革の進展」についての話に及び、秘書に午後の予定を全てキャンセルさせ、私達は熱心に討議を続けました。ボリビア官僚の中にも「侍が居る」と思わせた出会いであり、私を永くボリビアにのめり込ませた契機ともなりました。
その後、途中退学を防ぐための義務教育の統合、学習内容の改定と新教科書の全国配布、先住民言語との二言語教育、大衆参加法による学校の門戸開放などが暫時進んで行きましたが、国内に政治的内紛が起こりました。大統領官邸前の広場で軍と警察の銃撃戦が起こり、それが契機となり大統領は亡命、暫定大統領が立ちますが、政治は一挙に混乱の季節を迎えました。この中で、彼女はその職を去っていきました。時の流れにifは有りませんが、当時の政権がもう少し安定していたら、次期の教育大臣や副大統領の芽もあったと思います。彼女が職を辞してから1年後に、コチャを訪れた際に電話があり、久しぶりに会いました。その時、彼女はコチャバンバ第二の都市、サカバ市議会副議長をしていました。元気溌剌な姿に勇気づけられましたが、「ああ、ボリビアは惜しい人物を失くした」という思いは消えませんでした。別れた後に、寂寥感だけが残ったのを今でも思い出します。