先代社長の遺言を反故にして、会社を潰した重役たち
いわゆる政治資金パーティーの還付金問題について、国民の皆様に政治に対する不信の念を抱かせてしまったことに対して、先ず以て心よりお詫び申し上げます。
私自身の事実関係については後述いたしますが、この問題は、2年前の4月、安倍派の会長であった安倍元総理が、派閥パーティーの違法な還付に気付き、直ちに中止することを決断し、派閥の幹部にその旨を伝えていたと言われています。ところが、その年の7月に安倍元総理が暗殺されてしまった後、遺言となったその決断を反故にして、そのまま継続してきたことが、最大の問題点です。安倍元総理の遺言を守り、還付を中止していたら、このような事態にはならなかったはずです。
今回の事件は、会社に例えれば分かり易いのです。先代社長のおかげで業界トップになった会社がありました。その社長は、先々代以上前の社長から行われていた違法な取引を知り、直ちに中止するように重役会で命じました。ところが、その社長が急逝してしまいます。残された重役達は、社長の遺言を反故にして違法な取引をそのまま継続しました。その事実が発覚し、社会的な非難を受け会社は倒産してしまいます。その会社で働いていた社員の中にも不正に加担しているとは知らなかった人もたくさんいます。その一方で、その違法な取引を利用して成績をあげていた社員もいたでしょう。社員たちの責任は、それぞれのケースによって異なりますが、最も重い責任を負うのが、社長の遺言を反故にして違法行為を継続した重役たちであることは言うまでもありません。
今回、自民党の党紀委員会において、この重役たちにあたる派閥幹部には、離党勧告など、その責任に応じた処罰がなされることになりました。私自身は、党紀委員会ではなく、幹事長からの注意となりましたが、「私自身がもっと早くこうした事実を知っていれば、こんな事態にはならなかった。」と大いに反省するとともに、ご心配をおかけした皆様に心からお詫び申し上げます。
私の場合の事実関係
参議院政治倫理審査会に出席し、説明責任を果たしました。また、派閥幹部に対しは厳しく責任を追及いたしました。
私も昨年の報道によりこの事態を知り、派閥担当の秘書に問い詰めて、初めて事実を知りました。秘書によると、初めて派閥から還付金の通知があった時、「正式に派閥からの寄付金として処理してほしい」と派閥側に申し出たそうです。しかし、当時の派閥の事務局長からは「皆もそうしているから、西田事務所も従って欲しい」と不記載を要請されたそうです。この時点で私に相談や報告があれば、間違いなく派閥に抗議していたでしょう。しかし、従わなければ派閥での私の立場がなくなるのではないかと案じた秘書が、自分の胸の中だけに留め、翌年以降の派閥のパーティー券購入に充当することで派閥に還付金を返金し、相殺することを一人で悩みながら決めたようです。従って、私の事務所には事実上派閥からの還付金は1円もありませんし、捜査を担当した東京地検特捜部の検事もこのことは認めています。
しかしながら、私の秘書に対する監督不行届きは否定できません。そこで、こうした事実関係を確認した後、直ちに、参議院の特別委員長の辞任を申し出て、自分としてのけじめをつけることにしたのです。
会社を潰した重役たちの責任
ところが、肝心の会社を潰した重役たちは「知らぬ、存ぜぬ」を繰り返すばかりです。私は、事実上派閥の最後の総会となった日に、「あなたたちは、安倍元総理の後ろ盾で今の地位を築いてきた。しかるにその遺言を反故にして、『知らぬ、存ぜぬ。』では御霊に申し訳なくないのか。」と、厳しく派閥幹部を糾弾しました。けれども、それに返答する人は誰もいませんでした。
その後、与野党間で衆参両院での政治倫理審査会の開催が話し合われていましたが、派閥幹部たちは誰一人出席の意向を示しませんでした。そこで、私が、ぜひ政治倫理審査会に出席して弁明したいと申し出をしたのです。元より、私が出席しても、安倍元総理の遺言を反故にした経緯など知る由も有りませんから、事実解明などできません。しかし、私は「倒産した会社の一従業員」としての自分の立場を弁明することにより、重役たちの出席を促したのです。
何人かの、派閥幹部が出席し弁明しましたが、結局誰も納得できる説明をした人はいませんでした。彼らは、東京地検特捜部からも事情聴取を受けましたが、結局は起訴されませんでした。これをもって「自分は嫌疑なし、真っ白だ」という人もいました。しかし、刑事責任を問われなかったことと、政治家の責任が問われないのとは次元が違います。
政治家は国民の代表として選挙で選ばれたのです。しかし、国民からの信頼がなければ、その立場は無くなるのです。刑事責任の有無にかかわらず、国民からの信頼が大切なのです。政治倫理審査会は、まさに、そうした自分の立場を国民に弁明するために設けられた機会なのです。私が進んで出席を申し出たのも、国民に対しどうしても自分の立場を説明したかったからなのです。
同時に、安倍元総理が中止を決定した還付金が、何故復活したのか、その説明責任を果たさない派閥幹部たちに対しての、私なりの抗議の意思表示でもありました。
自民党の処分についての私の見解
政倫審に出席後、BSフジ「プライムニュース」に出演いたしました。
政治資金の不記載をした国会議員に対して、自民党としての処分が決定されました。事実上の派閥の責任者には離党勧告、その他の者は、派閥の役職の軽重や金額の大小に応じて、党員資格停止や戒告などの処分が下されました。
私は、こうした処分がなされる前に、派閥幹部たちは自ら出処進退のけじめをつけるべきだったと思っています。検察に嫌疑無しと認められたから自分は白だというのは、検察に対しては言えても国民に対しては言えないでしょう。そのためにはもう少し誠意ある説明を政治倫理審査会の場面でも示すべきでした。
常識的に考えれば、派閥幹部と言われた人達が還付金の存在を知らなかった筈は有り得ません。百歩譲ってそうだとしても、幹部としての政治責任は免れません。その事を自覚していれば党紀委員会の処分がある前に何らかのけじめを自ら示すべきでした。そうすればまた違う展開になっていたでしょう。そのことが私は残念でなりません。
個別具体的に還付金の実態は異なる
還付金について所得税がかかるのではないか、という指摘があります。これを私は参議院財政金融委員会で法務省と国税庁に質問しました。その答弁は、「東京地検特捜部は不記載の多額なものなど悪質なものについて立件していますが、その内容は政治団体の間での政治資金の収入と支出の不記載があった。」ということです。つまり、政治家個人ではなく政治団体に政治資金が帰属していると検察が認定しているということです。従って、「政治家個人の所得ではないため課税されません。」ということでした。これが、全国から百人を超える検事を集めて調べた結果、検察の出した結論だったのです。
私は政治団体ではなく政治家個人の帰属ではなかったかと疑われるケースもあるように思います。しかし、事件としては検察の事実認定には従う他ありません。その一方で、党紀委員会で処分を受けた方の中には、弁明書を提出して処分に対して異議を申し立てている人もいます。
確かに、それぞれ個別の事情があるのは事実でしょう。還付金について事務的なことは秘書に任せ、全く知らなかったという議員も多数います。また、還付金を派閥からの預り金と思い、そのように処理していたという議員もいます。現実は個々別々なのです。だからこそ、政治倫理審査会に出席し、私のようにその事実を説明すべきだったと思います。
政治の現実を知った上で議論すべき
京都市長選挙での松井孝治氏の当選を岸田総裁に報告いたしました
今回の事件で政倫審に出席を申し出た時、私は改めて自分の政治資金報告と野党の議員の政治資金報告とを見比べてみました。「政治にお金が掛かると言うが、一体何に掛かるのか」よく指摘されることです。
私は京都府議会議員を務めた後、参議院議員になりました。それにより、選挙区が大幅に拡大しました。人口10万人の京都市南区から人口250万人の京都府全域が選挙区になったのです。政治家は様々な行事や会議に案内されますが、参議院議員になってからは、その数は格段に増えました。平日は国会のため、秘書が代理で出席します。週末は私が出席しますが、複数の会合が重なる場合には秘書が代理で参加します。そのうえ、飲食を伴う場合には会費を負担することになります。こうした会合の案内が年間数百件以上あります。また、私はShowyouを年に4回発行していますが、年間約10万通を印刷し郵送しています。更に、私には公設秘書以外に3人の私設秘書がいます。こうした経常的活動だけで年間数千万円以上のお金が掛かることはご理解いただけると思います。そして、6年に一度ですが京都府全域を選挙区にした参議院選挙があり、そのための準備も必要です。こうした活動に要する経費は党からの助成もありますが、基本的に自分で用立てる必要があります。
しかし、野党の場合には基本的にこうした活動費を全て政党が賄っているところもあります。また、労働組合や宗教団体が実質負担している政党もあります。特にマスコミ出身の議員に多く見られるのですが、私のような日常活動が政治資金報告の中に、殆ど記載されてない議員が多々おられます。マスコミに出るだけでそういう日常活動が不要な方もおられるのです。
遵法精神の無い政治家が批判されるのは当然ですが、現実の政治活動を無視した改革論も問題です。パフォーマンスではなく、国民の代表たる政治家をどうすれば選出できるのか。本質的な議論が必要なのです。
樋のひと雫
-アンデス残照-
羅生門の樋
先月、ボリビアの研究会の打ち合わせがネット上でありました。現地に行けないのをコロナの所為にしていますが、彼らも日常が戻ってきたとのことで一安心しています。雑談の中で「アルゼンチンの様子はどう?」と聞きました。昨年の大統領選の際に「ペソを廃止し、中央銀行は廃止する!」等の過激な演説をしていたハビエルが当選したので、少し気になっていたのです。年末に大統領の就任式が有ったのですが、同時に軍事予算も不足して海軍の艦艇が動かないとか、戦闘機の代替え予算が不足している等の情報も聞こえてきました。農業や牧畜が主産業とは云え、チリと共に南米の大国と言われた国がこうも極端に困窮するのかと不思議な気がします。未だ中央銀行が存続しているという事は、ペソが持続しているという事でしょうか。ブエノスには10年近く通いましたが、街頭に「CAMBIO!CAMBOI!(両替)」の声が聞こえるのがブエノスらしいのですが…。
南米には自国通貨を持たない国もあります。エクアドルです。米ドルが通貨として流通しています。当然、自国の予算や経済活動もドルが基盤です。しかし、自国通貨を持たない国が、自らの金融政策の核を放棄して、経済活動をどの様なシステムで統御出来るのか不思議です。仕事で行った際に教育省の人間に聞いたのですが、余り理解できませんでした。ユーロでさえ域内の経済発展の格差を解消出来ずにいるのに、経済発展の道程まで米国に依存するのだろうかと不思議に思いました。まあ、キトの街並みは清潔で色鮮やかでゴミも落ちておらず、南米らしい喧騒もありません。しかし、物価も高く、スターバックでドルで払っていると思わず「THANKs」が出てしまいました。 ボリビアの友人との雑談の中で、アルゼンチンの海軍も我々の「海軍(NAVAL)」になるのではと話していました。操艦訓練も出来ない海軍は、いずれ名目のみとなり海上権益は他国に獲られてしまい、漁業すらできなくなります。今のフィリピンで漁民が漁を出来ない現状は、当時の左派政権が当時アジア最大であった米国の海軍基地の返還を求めた結果でもあると言えます。
政治の大衆迎合、ポピュリズム化が言われて久しいですが、今はこの域すら超えているように思えます。自国の長き将来を考え、子孫が平和に暮らせるにはどうすべきか。今の選択がどのような結果をもたらすのか、「政治家は大衆が生み出す」意味を考えるべき時ですかね。国民の一時の激情を煽り、喝采を受けることを良しとする風潮は、選挙を唯一の手段とする民主主義が内包する脆弱性の現れであるかもしれません。また、そうであるが故に、我々は手段の行使に際して、何よりも冷静で中庸の心を持って臨むことが、今求められているのかも知れません。