国葬をめぐる国民の分断
9月27日、安倍元総理の国葬が日本武道館で行われました。野党や一部のマスコミは、国民の半数以上が反対していると騒ぎたてましたが、現実はその逆です。安倍元総理に献花をしたいという二万人を超える一般の方々が炎天下の中、5時間以上も並んでおられる姿を見て、これが多くの国民の素直な気持ちなんだと私は確信致しました。
反対を叫ぶデモも一部にあったそうです。かつて、平和安全法制を巡って国会周辺でデモが有りました。マスコミは一般の市民が反対していると報じましたが、その実は、左翼活動家が中心となったものでした。今回の国葬反対騒動もこの時と同じ構造です。国民が国葬によって分断されたと報じていますが、事実はその逆で、マスコミが国民が分断された様に報じているに過ぎないのです。
テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」での玉川氏の発言
YouTube西田昌司チャンネルで約40万回再生されています
その典型的な例が、テレビ朝日の玉川氏の発言でしょう。報道によると、この番組のコメンテーターを務める玉川徹氏が9月28日の番組で、菅義偉前総理が安倍晋三元総理の国葬で読んだ弔辞について「これこそが国葬の政治的意図」と発言をした上に「当然これ、電通が入ってますからね」と、大手広告代理店の名前を出し批判したそうです。
私も国葬に参列していましたが、菅前総理の弔辞は、実に心の籠ったもので、私も胸が熱くなりました。昭恵夫人も思わずハンカチで目頭を何度も押さえられていました。葬儀の場で拍手はご法度ですが、菅前総理の弔辞が終わった後、一斉に万雷の拍手が鳴り響いたのです。それほど感動的な弔辞だったのです。
玉川氏はそれを“電通の演出”と全く事実確認もしないままコメントした上で、「僕は演出側の人間でディレクターをやってきた。そういうふうに作りますよ」とも発言したそうです。翌日の番組で玉川氏は「事実ではありませんでした」と謝罪したそうですが、謝罪で済む話ではありません。
私はこうした経緯を知り、直ちに私のYouTube西田昌司チャンネルで、この問題の本質を掘り下げて説明しています。詳しくはぜひこちらをご覧ください。
放送法違反の疑い
電波は放送法によって放送局に割り当てられていますが、その理由は公共財である電波を公益のために使用させるのが目的です。そのため放送局が電波を使って放映する番組には真実は勿論の事、公正公平が求められるのです。
ところが、全く事実に反する事を平気で発言した上に、制作者が恣意的に番組作りをしているということを半ば公然と認めるような発言をしているのです。玉川氏は元々ディレクターで番組作りの専門家を自認しています。そもそも、報道の記者の経験も無い者に、コメンテーターをさせていること自体、テレビ局として大問題です。公の電波を扱う放送局としての見識が問われます。
ところが、玉川氏どころかテレ朝の社長ですら事の本質が分かっていません。テレ朝の篠原社長は、定例会見で玉川氏のフェイク発言を謝罪し「玉川氏を謹慎10日に、またその上司をけん責処分にした」と発言しました。事実で無い事を報道したことに対する処分は当然ですが、問題はそもそもテレ朝の番組作りの姿勢にあったのです。
テレビ局が、視聴者の歓心を得るために様々な演出を凝らしていることはよく知られた事実です。確かに、娯楽番組ならそういうこともある程度許されるでしょう。しかし、報道番組では過剰な演出は、偏向報道に繋がるためご法度のはずです。ところが、テレ朝にはその認識が完全に欠如しているのです。そして、このモーニングショーは報道番組ではなく情報番組という触れ込みをすることにより、過剰な演出も許されるという姿勢で番組作りをしてきたのです。しかし、これが詭弁でしかないことは言うまでもありません。
玉川氏は、かつて、キャスターの羽鳥氏を善玉に自分を悪玉にする事で番組にメリハリをつけてきたという趣旨の発言をしていました。報道記者の経験もない者をコメンテーターにさせるのは正にこうしたテレ朝の姿勢の表れです。真実や公平公正より視聴率を重視するテレ朝の姿勢がフェイクニュースを生み出したのです。こうした姿勢は放送法に抵触する可能性がある事をテレ朝は自戒しなければなりません。
国民を分断させるマスコミの過剰な批判主義
安倍晋三 元総理の国葬儀が9月27日に執り行われました
こうした姿勢は、視聴率や販売部数によって会社の業績が左右する商業マスコミには常に付き纏う問題です。しかし、それ以上にマスコミの世の中に対する過剰な批判主義にこそ問題の本質があるのです。日本人は、長い年月にわたり島国の中で米作りをしながら生活してきました。また、大陸の様に異民族の侵略を受けて国が滅ぼされたこともありません。これは世界的にも非常に珍しいことです。そのお陰で民族間の対立がなく、お互いが協力し合うことを伝統としてきました。皇室を頂点に日本全体がまるで一つの家族の様に助け合うことを大切にしてきたのです。これが本来の日本の伝統精神でしょう。
ところが、こうした日本人の伝統精神が伝承し難い環境が戦後は作られたのです。一つは核家族化により伝統的な家族主義が崩壊した事です。もう一つは、批判主義こそ民主主義の原点とするフランクフルト学派の影響を受けた学者やマスコミの台頭です。家族主義という日本人の本来の感性では、対立ではなく、「お互い様」が共通の価値観であり、国民が分断されることはありませんでした。しかし、過剰な批判主義が幅を利かすと、「お互い様」より不平不満を追求する事が正義になってしまいます。批判主義は一見正しそうに思えますが、現実は世の中に要らぬ分断をもたらすだけなのです。何故なら、この考え方は世の中を分断し、不安定化させ、最後は革命に導くための思想と表裏一体の関係にあるからなのです。
フランクフルト学派とは
私は、西部邁先生のお陰で憲法や東京裁判史観を始めとする戦後レジームの間違いに気付かされました。先生と出逢い、全身が雷に撃たれた様な衝撃を受けました。それと同じことが、美術史の権威で東北大学名誉教授の田中英道先生の著書と出逢って起きたのです。先生はその著書の中で、西洋の近代主義の源流にあるフランクフルト学派の問題点を鋭く批判されています。私はフランクフルト学派という言葉を初めて知りましたが、これを理解することにより、目から鱗が落ちる様に、戦後の日本の問題の本質を改めて知る事ができました。
フランクフルト学派は、共産主義思想の源流とも言えるもので、人間は個人として独立した存在であるべきという思想を説くものです。しかし、現実は人間は個としては存在していません。誰にも必ず両親がおり、またその両親がいます。生まれ落ちてもひとりでは存在できず、両親を始めとする家族や家庭があって人間として生きる事ができるのです。そうした家庭や社会との延長線上に国家があります。そしてこのお陰で他民族から侵略されることなく生活を営むことができるのです。
ところが、国家を失ったユダヤ人にとってはこの喩えが当てはまらないのです。ローマに祖国イスラエルを滅ぼされたユダヤ人は、以来2500年以上にわたり流浪の民になり世界中に離散しました。ヨーロッパ各地にも多くのユダヤ人がいます。彼らは、各地の同胞のネットワークを通じて金融業や商業において成功していきます。ところが、異教徒である彼らには自由に住む土地が与えられず、ゲットーという限られた地域に封じ込まれていました。
そうした彼らの置かれた環境の中で、ドイツのフランクフルト大学のユダヤ人学者を中心として生まれたのがフランクフルト学派と言う思想です。社会や権威を否定する批判主義がその特徴です。自分たちを縛る国家や民族意識を否定し、むしろ人間をこうした集団から解放すべきだと考えるのです。国家からの解放、これは今日のグローバリズムに通じます。そして家庭からの解放、これは個人主義を生み出します。性別からの解放、これはLGBT思想につながります。そしてこの延長線上に社会主義や共産主義が生み出されるのです。家庭や地域社会など人間の精神的なつながりを否定して、単に物だけに注目しその所有から解放するのが唯物論で共産主義の本質です。
リベラル思想は共産主義と同根
京都舞鶴港国際物流ターミナル整備事業竣工式典に出席いたしました
しかし、ソビエトの崩壊以来、共産主義を正しいと思う人は世界中に殆どいないでしょう。しかし、その同じ思想の延長線上にあるグローバリズムや個人主義やLGBT思想等は今日でも衰退することなく、むしろ勢いを増しています。これらの思想を叫ぶ人たちは、共産主義者ではなくリベラルと呼ばれます。リベラルとは本来、自由主義者のことです。共産主義とは全く相反する思想のように思われますが、実は表裏一体なのです。それは自由と言う言葉が何かから解放すると言う意味で使われているという事を知れば分かります。つまり、人間を何者にも縛られないものに解放すると言うのがリベラルの正体なのです。これは完全な伝統破壊の発想です。そもそも国家にも家族にも性別にも束縛されない人間などどこにも存在しないし、存在できないのです。この有りもしない、出来もしないことを求めて行動すると、その後に辿り着くのは社会からの疎外感だけです。自分たちは正しいことを追求し要求しているのに、それが受け入れられないのは社会が悪い、だから、この社会を壊すという革命思想に辿り着くのです。
しかし、それが人類に戦争や貧困、対立と憎悪だけをもたらしたというのが20世紀の結論であったはずです。多くの人は共産主義とリベラルとが実は表裏一体である事に全く気付いていません。私も田中英道先生のお陰で始めて気付きました。テレ朝などのマスコミも間違いなくリベラル思想に影響を受けています。しかし、この思想は社会の対立を煽るだけのものなのです。この事実を国民に知らしめるのが、これからの私の使命です。
樋のひと雫
-アンデス残照-
羅生門の樋
山の木々が晩秋の装いを見せる頃、ボリビアのコチャバンバでは街路樹のハカランダが紫色の花を咲かせます。コロン公園の近くのカフェのテラスから道行く人とこの花を見るのが慰めでした。コチャの友人に「日本は肌寒くなってきた。コチャの気候は凌ぎ易くなるな。」とSKYPEしたら、「ハカランダの落ち葉と塵が風に舞い、最悪だ」と返って来ました。想い出と現実、人の感じ方は様々だと思いました。
日本では安倍元首相の国葬が、賛成と反対の議論の中で執り行われました。もう少し論議を尽くせば‥という気持ちと、いくら論議をしても平行線だろうな‥という気持ちが相まって、TVの中継を見ていても何か落ち着かない感じがしたものでした。「招待状が来たが、私は行きません!」とネットで騒いでいた議員が居ましたが、人の死を葬くるのに、そこまではしゃぐかという気もします。生前にはいくら意見や政治信条の違いがあったにせよ、「人の葬送に対しては、心静かに敬意を表すぐらいの度量を持てよ。」と思います。
10月末にスクレで行う研究会の準備で、数人のコチャの友人と話し合う機会がありました。その際に、日本の首相が銃撃されたという話題が出たので、「ボリビアでも国葬(funeral del estado)は以前に在ったけ。」と聞きました。返事は一応に「Qué?(何それ)」でした。聞き方が辞書的だったと思い、「いや、国の功労者が死んだ際に云々」という説明をしていても、「No、 hay.No se!(無い。知らない)」でした。そう云えば、ここ暫らく大統領で任期満了した人が居たっけ。絶大な人気を誇った先住民出身の大統領もメキシコに亡命したし、その前の前は米国に亡命したし。辛うじて選挙内閣の暫定大統領だけが国に留まってる状況です。かっては、怒った民衆の手によって、現職大統領が官邸の前の公園の街灯に吊るされた歴史もあります。初めてボリビアを訪れた時に、ムリーリョ公園のベンチで「ああ、まさに、この場所で」と見上げていました。
政治姿勢や方法論、その成果に様々な異論があることは分かります。しかし、世界から見れば国葬が行われる国は、人々が安寧に暮らしている証左でもあると思うのです。