去る7月19日、京都テルサホールにおいて「西田昌司大演説会」と題し、講演会が開催されました。
当日、ゲストとして国際日本文化研究センター教授・川勝平太氏による基調講演も行われ、年齢性別を問わず600人近くの方々が会場を埋め尽くしました。その一部、西田議員の講演録から抜粋したものをご報告いたします。
第36号
2003年08月01日発行
京都府議会議員 西田昌司
去る7月19日、京都テルサホールにおいて「西田昌司大演説会」と題し、講演会が開催されました。
当日、ゲストとして国際日本文化研究センター教授・川勝平太氏による基調講演も行われ、年齢性別を問わず600人近くの方々が会場を埋め尽くしました。その一部、西田議員の講演録から抜粋したものをご報告いたします。
私の尊敬する西郷隆盛は、「政の大体は文を興し、武を賑わい、農を励ますの三つにあり。他の百般の事務は皆この三つの物を助くるの具なり」という政治に対する思いを綴った言葉を遺しています。
最初の「文を興し」というのは日本人の精神や文化をしっかり振興することです。二つ目の「武を賑わい」というのは、安全保障のことですが、国を自分たちで守れる仕組みをしっかり持っていなければならないということです。三つ目の「農を励ます」というのは、農業や食糧だけでなく、今日ではエネルギーも経済も全部この中に入ります。自分たちの食い扶持(ぶち)は自分たちできちんと守っておかないと大変なことになるということなのです。
要するに西郷の言いたいことは、政治というものは精神文化を発展させ、外国からの侵略を防ぎ、国民の食糧やエネルギーを確保する、この三つが大事であり、他のことはこれらに付随するものなのだということなのです。
ではこれを今の日本で考えるとどうでしょうか。まず精神・文化面ですが、しっかり守れているのでしょうか。文化というのは心の継承のことです。心を育てる場であるべき家庭が崩壊している現状を考えれば、とても問題なしとは言えません。このことは政治が最も大切な役割を果たしていないと言う証拠でもあります。
次に安全保障の問題です。確かに自衛隊はありますが、これがあるからといって国が守れるという状態ではありません。一番大切なのは国を守るという国民の意識なのです。しかし、そういった意識が少ないのが現状です。そもそも今の自衛隊は国を守るためにあるのではなく、アメリカの軍隊を補佐するためにあるのです。自衛隊だけでは他国からの攻撃から日本を守ることはできません。残念ながら、現在の自衛隊はそういう存在でしかないということです。
三番目の「農を励ます」は農業政策だけでなく経済全体の話として考えるべきです。皆さんご承知の通り農業の現状はどうしようもありません。農作物の六割は外国から輸入している状態です。おまけに一所懸命働こうにも、田んぼの三分の一は減反で米を作らせてもらえません。最初から農業は捨てられているのです。しかし、農業は捨てられても経済は立て直した。自動車をたくさん輸出して、お金を儲けたではないかという声もあるかもしれません。確かに、お金はたくさん儲けることができたのですが、儲けたお金を自分たちのために使えているのでしょうか。また、そもそも何のためにそのお金を使うべきなのでしょうか。農業を犠牲にして、自動車等を輸出して儲けました。その儲けたお金が、約1,400兆円という個人金融資産になっているのです。しかし、そのお金が使えないのです。何故なら日本の景気を良くしようと思えば、国がその皆さんのお金を使えばいいのですが、それが出来ないのです。そんなことをすれば、アメリカに投資している資金を回収することになり、アメリカの景気の足を引っ張ることになるから駄目なのだ、ということなのです。日本の政治家が日本の国益よりアメリカの国益を優先していては、国民はたまったものではありません。
このように考えてみると、今の日本は自立しているどころか、国としての形になっていないのです。ここが一番の問題なのです。日本の経済力は優秀ですが、問題はそれを使う能力も見識も失ってしまったということなのです。国であれば絶対やらなければならない文、武、農という三つのことが、現在の日本ではどれも出来ていないということなのです。日本はお金が無くて不景気なのではなくて、文化、経済どの分野においても国を守るという意識を失ってしまったため、国の活力が落ち込んでしまったのです。そのことを考えると、今日本に必要なものはお金ではなく「国を守る心」なのだということが言えると思います。
明治維新の時には、軍隊を創設するにもお金がなかったのです。戦後の復興も外国からお金を借りてやりました。しかし今や外国にお金を貸す身分になっているのです。お金はたくさんあるのです。ところが、それを何のために使うのかを見出せず無気力になっているのです。国家としての目標を失くした結果、国全体が無気力症を患っているのです。
人生の目的は何かということは、人により様々な答えがあるかもしれません。しかし、自分が今ここに生きているということは、自分の意思ではなく親がいたからであるということは、誰も否定出来ないでしょう。自分たちの存在を考えるとき誰しも、生命のつながりを感じずにはいられません。国家もこれと同じことがいえます。我々が日本人として曲がりなりにも生活出来るのは、日本という国があればこそです。そしてこの日本という国は、先人の幾多の苦難と努力の積み重ねの上に成り立っているのです。つまり、我々の存在は個々人の生命のつながりと国家の歴史の上にあるということです。そう考えれば、まず、この生命と歴史のつながりを次の世代に伝えていくことが、この世に生を受けた者の最低限の使命ではないでしょうか。少なくとも先人たちはそう思い、今日の日本を築いて来たのではなかったでしょうか。
議員の仕事とは一体何でしょうか。鈴木宗男さんみたいに、たくさん地元に予算を持って来るのが仕事なのでしょうか。しかしそれだけが仕事ならばそれは非常に卑しいことではないでしょうか。何故ならそれは利己主義そのものだからです。もちろん、そうしたことも議員の仕事の一部かもしれません。しかしもう少し美しい清々しい仕事をしたい。先人たちが自分の命にかえてこの国を守ってきたように、私も自分たちの目先の利益のためでなく、自分が犠牲になっても、次の世代に何か役立つことがしたいと考えるのは、当たり前のことではないでしょうか。
もちろん、私も最初からこのようなことを考えて議員になったわけではありません。父親の参議院選出に伴い、皆様にご支援頂いたお陰で、気が付けば議員になっていたというのが本音です。しかしこの13年間、私なりに一所懸命議員活動を続けてきました。様々な経験を積む中で、私が感じたことは、「人間にとって大切なものは素直で優しい心である、それを実践するためには知恵と勇気が必要である」ということです。そして歴史を学べば学ぶほど、如何に先人達が素直で優しく知恵と勇気に満ちていたかということを感じずにはいられませんでした。
私自身は、とてもそんな偉大な先人の足下に及ぶはずもありませんが、少なくとも、そうした先人達の子孫であることは間違いありません。そう思った時に、私は自分自身に知恵と勇気が充満するのを感じたのです。
確かに今の日本では、政治は卑しく経済は醜く、美しさの感じられません。しかし、少なくとも我々の先人の中には素晴らしい人がたくさんいたのです。日本も捨てたものじゃない。そうしたことを子孫達に伝えることにより、もう一度、日本に勇気を充満させ、活力を取り戻すことが出来るのではないでしょうか。
このことは一朝一夕で出来るのもではありません。日本は戦後半世紀以上に亘り、政治の使命を忘れてきたのです。したがってこれを正常な状態に戻すためには半世紀以上かかるかもしれません。私が生きている時代にはそのことは実現しないかもしれませんが、我々のそうした思いが次の世代に少しでも伝えることが出来たら、もう後退することはありません。半世紀かかるかもしれませんが、必ず日本は素晴らしい国として甦ることが出来るのです。そうしたことの一助に、私がなることが出来れば、それこそこの世に生まれた甲斐があるというものです。そのことこそが私の使命だと信じております。
大演説会に参加して~
当日参加された方々からの感想をご紹介致します~
国民運動本部の再建を祝して南 郷 良 太
西田昌司先生の大演説会のご盛会心よりお祝い申し上げます。そしてこの演説会を企画され運営に当たられた皆様に深く敬意を表したいと存じます。
私が西田先生に始めてお目にかかったのは平成12年の総選挙後の自民党京都府連青年局の選挙総括のときでした。当時はまだ政治が好きというだけでしたが、戦後教育に毒されていた私を目覚めさせてくださったあの瞬間を生涯忘れることはないでしょう。その内容を今更申し上げる必要はないと思いますが、先生が心の底から込み上げる思いを抑えながら熱く語ってくださった「あの体験」は、人生のうち何回か巡って来るといわれる好転機の一つであったと確信しています。その後歴史認識をはじめとする教育のあり方についての問題、他国から見れば単なる占領基本法でしかない日本国憲法をわが国の憲法典へと改正する問題、家庭に倫理道徳規範を取り戻す問題など、西田先生との出会いにより可及的速やかに取り掛るべき問題に多数直面することとなりました。
この昭和・平成の御世に運命として神国日本に生を受けたこと、そして先生と出会って祖国再建への大事業の推進に関ることとなったことは天命といっても過言ではないと思います。ひとりの人間南郷良太がこの時代に生きた証として何かこの国に、そしてわれわれの社会に役立つことを成し遂げたいという思いを、この大演説会にて再認識することができました。
わが自由民主党が平成5年8月に下野する前、党に国民運動本部という内部組織があったという話を以前聞きました。辛うじて与党として国政を預かるわが党は今、新しい国民運動本部の設置が何より望まれますが、現在の小泉政権の様子から勘案すると絶望的であります。今回の大演説会を京都発「新国民運動本部」設立大会と受け止め、国難の時代といわれる現在の荒廃した社会を一刻も早く打破するために努力していきたいと決意を新たにしたいと思います。この度はおめでとうございました。 (自由民主党京都府連青年部常任幹事)
西田昌司大演説会に寄せて上 野 文 男
私が西田昌司という議員に出会ったのは今から3年程前である。ある勉強会で西田議員を知った。勤務先こそ南区吉祥院ではあるが、生まれも育ちも西京区嵐山で、今も妻と二人で住んでいる。多くの人は普段の生活の中で、他の行政区選出の議員と知り合うことも無ければ興味を持つこともまず無いであろう。
しかし、会を重ね西田議員の話や意見を聞いていくうちに私は次第に議員の考えに惹かれていった。私は今まで多くの議員に出会い話をしてきたが、ここまで情熱に溢れた議員に出会ったことは無かった。無論この京都には優秀な地方議員は沢山いるが、しかしその多くは「議員の枠を、つまり政治(地方自治)の領域を出ない」ものであった。当然といえば当然である。だが西田議員にはその枠がまったく無かった。
地方議員の枠、政治の領域を超えて自論を展開し活動する西田議員。当然のことながら世間から厳しい意見や苦言が議員に向けられていることは議員自身も承知のはずであろう。西田議員は大演説会で「これは国を良くする運動である」と言った。これについてある人は私に府会議員のくせにと嘲笑した。
しかし私はこの演説会に集まった人々の思いがいずれ大きな流れになれば本当に国が変わるような気がした。大きな川も海も元は小さな沢の流れである。
そしてこれから先、西田昌司という議員が歴史に残るような政治家に成るか否かは私には判らないが、当日テルサホールに集まった人たちの心の中にいつまでも記憶に残る政治家であるのは間違いないであろう。
大演説会を振り返って
一粒会 幹事 田 端 俊 三
「今、国難のこの時に千人の聴衆を集めて演説をしたい」という西田議員の熱き思いを受け、昌司議員後援会の一つである一粒会としても、さまざまな人たちに声をかけました。ある人は取引先の方、またある人は家族や親戚・友人と、それこそ職業・年齢・性別を超えて、さまざまな方に声をかけさせていただきました。たとえば西田議員を知っている人には声をかけやすいのですが、西田議員をまったく知らない人にはどうでしょう。
一粒会としては西田議員を知らない人に聞きに来てもらい、その人たちがまた他の人たちに西田議員の考えを広めてもらおうという気持ちがありました。「京都府の府議会議員で南区選出で・・・・こんな説明どうでもええんや。とりあえず聞きに来たら今の日本の何が間違っているか一発でわかるで。テレビなどでのチャラケタことを言う政治家とちがうで。目先の人気取りのしょうもない話とも違うし。」このような調子で声をかけさせていただきました。
今振り返ってみると、前段の「何が間違っているか」について、とてもわかりやすい演説だったと思います。演説を聞かれた方は、本当に必要なものは(showyou35号の中にも西田議員が書いていますが)「現実を正しく見つめる知恵」と「その現実に向かって立ち上がろうとする勇気」だとお気付きになったと思います。このことを皆さんの周りの人たちに真剣に話していただければ、我々一粒会は責務を果たしたと実感致します。
最後になりますが、当日会場でお手伝い頂き、また多方面に亘りお誘い、ご紹介頂いた後援会同志の方々に、ここで御礼申し上げます。ありがとうございました。