去る3月13日、自民党の党大会が日本武道館でありました。私も、自民党全国青年議員連盟の会長としてこの大会に参加し、大会のアピールの宣言をしてまいりました。しかし、今回の大会では、開会時点で一万人近くいた参加者が閉会時には三分の一くらいに減るなど、残念ながら党再生の起爆剤とするには期待はずれの内容となってしまいました。実は8年前、私は自民党がはじめて下野した時の党大会にも参加してきました。今回の党大会を見て、改めて8年前のことをダブらせながら、何故今日の自体に自民党が陥ってしまったのか、その原因を考えていました。
8年前、下野したとき自民党は、党の体質を根本から替えて党を刷新しようと皆が必死で考えていました。私も京都府連の青年部長として、党大会や全国青年部長局長会議に何回も出席し、党の改革を訴えてきました。このとき、皆がわが党のアイデンティティ(自分は一体何者なのかということ)は何かということを真剣に論議していましたが、それにはこういう理由があったのです。この時代には、日本新党やさきがけや新生党など自民党出身者が相次いで、政治改革を訴えて新党を結成しました。政策的には元々自民党の出身ですから、そう大差はなかったのですが、イメージがまったく違っていたのです。彼らは自らを改革派と名乗り、自民党は守旧派であると決め付けていました。清新な印象の改革派に対し、薄汚い印象の守旧派というイメージ戦略がマスメディアを通じ盛んに宣伝されました。そうしたイメージ合戦の中、自民党も清新なイメージの河野洋平氏を総裁に据え、イメージの回復に躍起になったものです。しかし、そんな付け焼刃ではなく本質論をしなければならないと、党本部に行くたびに私は訴えてきました。しかし、結局まともな答えはそのとき聞かされませんでした。そのとき、私が空しく感じた答えは結局こういうことでした。「自民党とは、共産主義や社会主義者ではなく、創価学会員でもなく、かつ、政権政党だ」ということでした。こうした状況では下野をして政治離脱をしてしまったら、もう何も求心力はなくなってしまうのも無理は無い話でした。次々離党者が相次ぎ、例年年末には来年度の予算陳情でごった返しているはずの党本部にも、訪れる人が誰もいなくなり、まさに党が瓦解してゆく姿を私は目の当たりに見てきました。あのままの状態がもうしばらく続いていたら自民党は間違いなく、解党になっていたでしょう。しかし、その代わり本来の自民党のあるべき姿というものを、もう少しきちんと議論を煮詰めることができたでしょう。
ところが、幸か不幸か自民党はまもなく政権復帰をしてしまったのです。社会党との連立という予想だにしなかった現実がおきました。そして今は、公明党との連立によって政権は成り立っています。先ほど述べました、「社会主義者でない」ということ「創価学会でない」ということは、もはや自民党のアイデンティティではなくなってしまいました。最後に残ったものは、まさに「自民党とは政権政党である」ということになってしまったのです。これでは自民党から求心力がなくなってしまうのも当然です。政権を守ることだけが使命では政治になりません。確かに政権を守り、社会の秩序を安定させることは大切なことには違いありません。また、私は、一連の連立政権を一刀両断に批判するものでもありません。しかしそれでも、最近のわが党を見ていて、政権維持以外に一体何のために政治をするのかという政党としての姿勢が、私には感じられないのです。結局8年前に下野したときからの、自民党とはなんぞやという問いに、まともに答えを出さずに政権復帰したことの付けが、今来ているのではないでしょうか。
では、その答えとは何でしょうか。私はこう思うのです。そもそも自民党の立党の精神は何であったかということです。昭和30年保守合同した理由は、「反共」「経済復興」「真の独立回復」の3点に集約されると私は思います。東西冷戦の真っ只中の当時、左右両派の社会党も合同し、社会主義者の一大勢力が出来上がりました。そうした状況下、日本を西側自由主義国の一員として、共産主義から守るということは当時最大の課題でありました。また戦後経済混乱の中、貧困からの脱出は国民皆の願いでありました。経済復興を成し遂げるためにも政権の安定は欠かすことの出来ないものでした。「反共」と「経済復興」は、その後も自民党の基本政策として受け継がれてきましたが、「真の独立回復」という問題はどうなったのでしょう。立党直後は憲法改正という問題も政治の課題になりましたが、その後は触れることも全く無くなり、むしろタブー視されてきました。その結果自民党の政策は、「反共と経済」のことしか語ることが出来なくなったのです。しかし今や「反共」も冷戦が終わった後の時代に、果たしてどれだけの意味があるのでしょう。また、「経済復興」も不況とは言え世界ナンバー2の国となった今、終戦直後の時代とはその重さが違います。今むしろ語られなければならない問題は、「真の独立回復」ということではないでしょうか。それは単に憲法改正というだけではなく、戦後を通じて日本中に蔓延している「思考停止」という病的状況から抜け出すということ、我々ひとり一人が自分で本当にものを考え判断するということだと私は言いたいのです。
例えば、日本党の最後に残ったアイデンティティは政権政治であることだと自嘲をこめて述べました。政権政党が野党と違うことは、現実の政治課題に対して、野党のような理想や空論ではなく、如何にして現実的解決の手段を見出すかということです。今の日本の問題点は、こうした戦後政治の抱える根本的問題に対して、未だ目をつぶり問題を直視しようとしない人が余りにも多すぎるということです。自民党が政権政党として今果たすべきことは、現実を直視するということ。そして現実の問題の解決の為には戦後の価値観に縛られること無く本質を議論してそのための解決方法を提示すること、これ以外ありません。
の中にはその言葉を言えば誰もそれについて反対したり否定したりすることが出来ない絶対的な価値観を示す言葉がたくさんあります。憲法という言葉もそうでしょう。平和、人権、自由、平等、民主主義などたくさんの言葉があります。しかし、これらの言葉はそれ自体も勿論大事な価値を持っていますが、平和を維持するためには現実には常に軍事力のバランスがあり、人権も決して普遍的ではなく、実は時代によって大きな違いがあったり、自由も平等も常に規則や格差との間のバランスが一番肝心の問題であったり、民主主義もこれが目的ではなく、あくまで人類が幸せに暮すための手段に過ぎないものであり、現実にはさまざまな問題をその後ろに抱えているものです。ところが戦後日本では、こうした言葉が話されると誰も文句を言えない、思考停止の状態に陥っているのではないでしょうか。政治にタブーを作ってしまい現実を直視したり、論議したりすることが出来ないような仕組みが世の中のあちこちにあります。そのことが今日の一番大きな問題です。このことをもたらした最大の原因が、戦後のGHQ支配の時から続いている、日本の伝統や歴史を否定する戦後の価値観による言論体制であることは申すまでもありません。我々は意識しないうちに、戦後の価値観の中でしかものを考えたり、理想を掲げたりすることが出来なくなっているのです。これではいくら議論をしても自分自身が本当に考えているのではなく、単に考えた振りをしているに過ぎないのではないでしょうか。
先に私は、自民 しかし、この道はすぐには多くの国民からは理解できないかもしれません。それは誰もが何も考えることなしに常識として考えてきた戦後の価値観に縛られることなく本質を議論してそのための解決方法を提示すること、これ以外ありません。
しかし、この道はすぐには多くの国民からは理解できないかもしれません。それは誰もが何も考えることなしに常識として考えてきた戦後の価値感に反旗を翻すものであるからです。しかし、それであっても、問題を解決するためには敢えて訴えるという覚悟と勇気がなければ、政権政党であるというアイデンティティももはや無くなってしまうのではないでしょうか。今自民党に必要なものはそうした覚悟と勇気なのです。このことを国民に示さずに首を挿げ替えても、自民党の再生は無いと思うのです。
西田昌司密着レポート
稲村 亮(いなむら・りょう)君(20歳、愛知生まれ富山育ち、現在京都大学経済学部) 今年2月より『議員インターシップ』として西田昌司事務所に来られています。議員インターシップというのは、普段の議員活動や議員を支える人々から社会勉強をしようというのが目的の活動です。彼はこの活動に参加するに当たり、1位:前原氏(衆)・2位:福山氏(参)・3位:鈴木氏(市)・4位:(思い出せないそうです)と、民主党議員を希望されていました。西田昌司議員に至っては第5位。願い叶わぬ出会いを稲村君が、どう捕らえたのか。府議会を傍聴したり昌友塾に参加してもらったり、SHOW YOU 編集室では、この機会に西田昌司議員を密着同行された体験・感想を、稲村 亮君に報告してもらいます。
《『西田昌司』取材日記》 稲村 亮
私は、2月の末から西田昌司議員のもとで、議員インターンという形で政治その他の勉強をさせていただいております。当初は、政党や派閥レベルで動く(少なくとも私にはそう見える)今日の政治において、政治家個人は何をやっているのかということが知りたいと思って議員インターンに参加しました。極端に言えば、政治家というのは無能で無知な人間ばかりなのではないかとも思っていたわけです。しかし、少なくとも昌司さんに関してはそれは当てはまらないようです。昌司さんの活動を見ていると、驚かされるばかりです。
まず感じたのは、よく勉強しておられるということでした。私も参加させていただいたものもあるのですが、昌司さんは、様々な方面で活躍していらっしゃる方々を講師に呼んでの勉強会や講演会を開いておられます。また、特に京都市南区などは中小企業が多く、経営者の方々とも交流を持って、意見を聞いておられます。そういった活動を通じて、多くの知識を得、自分の考え方に生かされています。政治家の表舞台といえば議会ですが、そんなものは生きた議論のない場であり、それよりも議会に至るまでの過程というのもが非常に重要で、生き生きとしているということを感じさせられました。
また、昌司さんの話を聞いていると、視野が広がるように感じられました。昌司さんは、戦後一般的となった歴史の味方とは対極にある、独特の国家観や歴史観をしっかりと自分の中でもっておられます。その内容は詳しく触れませんが、私にとってはかなり鮮烈なものでした。中には拒否したくなるところもありました。とにかく言えるのは、ひとつの事実でも、見方によって評価は変わっていくということでした。歴史に限らず、物事を様々な視点で見ることは重要です。他人の言うことをそのまま受け止め、鵜呑みにするのではなく、自らものごとを考え、学ぶという姿勢が重要であると自省も含めて感じさせられました。
さて、ここからは、西田昌司という人間について感じたことを書きましょう。昌司さんは、先に書いたように国家観や歴史観をしっかりと持っており、これから日本が国家としてどうあるべきなのかというヴィジョンへとつなげておられます。国家像という根幹がしっかりしているから枝葉となる経済や教育などの分野に関する主張も、論理的で説得力があるわけです。また、昌司さんははっきりとした方です。「日本人はYes・Noはっきりさせる性格ではなく、和の心だ」とおっしゃるけれど、一番はっきりしているのは昌司さん、あんただ。このようにはっきりとものを言う(日本人的ではない)人間には、下の人間もついていきやすい。この方はリーダーシップをとれる人だと感じさせます。こうした自分の国家ヴィジョンをしっかり持って、はっきり言うことができる政治家が国政にはいないように感じられるのが残念です。それでも、地方の若手にはいるという点が救いといったところでしょうか。
昌司さんの姿勢には感心させられることが多いです。私もその姿勢を見習って勉学等に精進していきたいですね。
今日もテレビで、日頃から殴打を繰り返されていた子どもの話が報じられていました。曰く、「躾で叩いたことがある」。また、新聞では、子どもにミルクや食事を与えず、死なせてしまった話が載っていました。曰く、「放置したのは事実だが、殺すつもりはなかった」と。先の話は暴力的虐待、後の話は養育の怠慢と放棄、ネグレクストと呼ぶのだそうです。だけど、これらに類する話が、最近とみに多いと思いませんか。
親が子どもを躾る際に叩くことはあっても、それを暴行とは呼ばないでしょう。
何か己の感情に任せて子どもを叱ってみたり、自分の不安のはけ口を子どもに向けたり、どうもその結果が、日常的な虐待に現れているように思います。そう言えば、子どもの存在を無視することもあるそうです。最近は「親の在り方」や「家族の在り方」、いや「親」自体の意味が変わってきたと思いませんか。
「もう、この子はだめだから、ミルクをやっても仕方がないね。」という会話は、どのような心情から出てくるのでしょう。幼い吾が子に食事を与えず、衰弱したその生命の灯が消えようとする時に、この会話が交わされたそうです。この「親」たちの心象風景には、吾が子や家族は、どのようなものとして描かれているのでしょう。そこには、人の温もり、母子のつながりの濃密さは感じられません。ちょうどペットのような存在、子犬の頃は可愛がるが、大きくなると捨ててしまう。そんな身勝手な家族像を感じてしまいます。これはもう、「親」と言うより「人の在り方」や「人間性」の問題といった方が適切かもしれません。
児童虐待については、様々な原因追求や分析がなされるでしょう。だけど、「両親への支援体制が不充分だった行政側にも問題がある」という議論だけには納得がいきません。むしろ、子どもを育てるという行為は自然の営みであり、人としての本来の生、人格に帰属すべき事項です。マニュアル化された文言で、行政や役所が口を挟むべき筋合いのものではないのです。
とは言え、子どもを産み育てるというのは、大変重要な大仕事です。ドアを閉めれば、近所付き合いもないというのでは、孤独感が増すばかりです。子育てには自身を失った時、叱り方が間違ったかなと思う時には、近所のお年寄りに聞くのが一番です。子育てのベテランと話すことで自身の回復にもつながります。少し扉をひらいて、無駄話をしてみませんか。最近は、井戸がないので“路端会議”などというのは、どうでしょう。案外と地域のつながりや家族の不安解消には、この無駄話が役立つのではないでしょうか。