岸田文雄衆院議員との共通の問題意識
岸田文雄総理大臣が参議院自民党役員室へ就任挨拶に来られました
10月4日、岸田文雄衆院議員が第100代総理大臣に選出されました。昨年8月、体調不良による安倍総理の突然の辞任を受け、自民党総裁選が実施されました。岸田候補は総裁選に立候補するも、菅候補に大差で敗れました。かねてから岸田氏は安倍総理の後継者と目されていたにも拘わらず、インパクトが弱いことが指摘され、この敗戦により総理の目はなくなったと一部に言われていましたが、正に不死鳥の如く蘇ったのです。
今から2年前、岸田衆院議員は外務大臣を退任した後、自民党の政調会長に就任されました。その際、自民党の役員連絡会で私は、「今のデフレから脱却するには国債発行を財源にした財政拡大以外に方法はない。そのためにも党内にMMT(現代貨幣論)の研究会を立ち上げるべきだ」と主張を繰り返していました。私の主張を受け止めて実行して頂いたのが当時の岸田政調会長だったのです。
今回の総裁選挙でも自分の特技は「聞く力」だとお話しされていましたが、正に事実だと思います。
そういったご縁で、岸田衆院議員とも親しくお話しする機会がありました。私がMMTを主張しているのは、新自由主義で歪んだ格差を是正し、デフレ脱却をすることが目的です。その当時から岸田衆院議員は私と同じ問題意識を持っておられました。私は次の総理には是非とも岸田衆院議員がなるべきだと、その時から思っていたのです。
「岸田文雄では自民党は変わらない」のウソ
今回の自民党の総裁選挙では、当初から河野太郎候補の勝利が喧伝されていました。しかし、結果は岸田候補の圧勝に終わりました。この結果について、マスコミ等では派閥力学の結果であり、これでは自民党は変わらないと論評していますが、全くの事実誤認です。
今回の総裁選挙には岸田文雄、河野太郎、高市早苗、野田聖子の4氏が立候補しましたが、政策面で分類すると、いわゆる改革派は河野、野田の両氏でしょう。彼らの掲げる改革とは小泉内閣以来の規制緩和路線で、小さな政府を目指す新自由主義に重きを置いています。また、マスコミ等が掲げる改革も彼らと同じ規制緩和と小さな政府路線です。これに対して、岸田、高市両氏が訴えていたのは政府が応分の役割を果たすために、財政出動を増やすと言うもので大きな政府路線なのです。
小泉内閣以来の自民党の路線の変更を訴えていたのが、実は岸田、高市の両氏だったのです。このように、明らかに岸田総理は今までの自民党の路線と違う方向に舵を切っているのです。自民党は大きく変わろうとしているのです。
新自由主義の問題点
自民党京都府議会議員団からコロナ対策に関する緊急要望を受けました
小泉総理以来、改革と言う言葉が自民党の政策キャッチフレーズになってきました。郵政民営化がその象徴でした。当時、郵政に具体的に問題点があった訳でもなく、ただ単に一度変えてみればいいんじゃないかと言う安易な改革至上主義が世の中に蔓延してしまいました。改革に応じないのは既得権益に固執する守旧派とレッテルが貼られ、次から次と規制改革が行われました。
その当時は、バブル崩壊による閉塞感が世の中に溢れていました。また一方で、バブル時代に日本に奪われた富を取り戻そうというアメリカの露骨な要求もありました。こうした中、あらゆる制度が改革されたのです。
いずれにしても、小さな政府路線は政府の財政規模を削減することになり、バブル崩壊で民需が減っている時代にこうした政策をすれば、デフレ化するのは必定なのです。その一方で、規制緩和によりビジネスチャンスを得た人もいるでしょう。しかし、規制を廃して市場競争を進めれば最後は、ただ一人の勝者が市場を牛耳るだけで必ずしも公益に合致したものとはなりません。
大店舗法の廃止で、全国で多くの商店街が破壊されました。勝ち組だったはずの大型スーパーの代表であるダイエーが経営破綻したのはその象徴です。また、インターネットの世界ではGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)と呼ばれる企業群が国家権力を超える力を持ち始めています。その一方で国際課税の隙間を掻い潜る課税逃れが横行し、国家主権が脅かされています。明らかに市場原理主義、新自由主義は公益から離反しているのです。
岸田ビジョンの示すもの
岸田総理は、新自由主義路線を改め新たな資本主義を目指すと宣言しています。それは富める者と富まざる者との格差をなくし、誰もが豊かさを実感できる社会です。経済成長による利益が一部の企業や人にだけに恩恵をもたらすのではなく、政府の分配政策を通じて多くの国民に利益が及ぶことを目指しています。
企業の利益が株主への配当や役員報酬あるいは内部に留保されるのではなく、賃金の上昇を通じて多くの人々に分配されることにより消費が増え、それがまた新しい成長をもたらすという成長と分配の好循環を目指しているのです。
これは、昭和30年代、正に日本の高度経済成長をもたらした時代の姿によく似ています。この時代の総理大臣は池田勇人で、岸田総理の派閥の創設者です。池田勇人が掲げたのが所得倍増論でした。岸田総理は自らの経済政策を令和の所得倍増論と呼んでいますが、正に池田勇人の所得倍増論をモチーフにしているのです。それが成長と分配の好循環の意味するところです。
予算の単年度主義の弊害を是正
総裁選挙管理委員として討論会を見守る西田議員
岸田内閣の政策のもう一つの目玉は、予算の単年度主義の弊害を是正することです。日本では憲法上、毎年度ごとに予算を組むことになっています。毎年度ごとの予算を国会に提出して議論をする事は民主主義の基本です。一方で研究開発や国土強靭化などは長期的に予算を立てる必要があります。長期計画に基づき、毎年予算化していくのですが、景気の変動により税収も変動します。
その結果、せっかくの長期計画も税収不足になると予算化ができないのです。税収の不足分は国債を発行すれば良いのですが、毎年プライマリーバランスの黒字化が要求されるため、予算化しにくい現実があります。これが単年度主義の弊害で、日本をデフレ下にさせた根本的原因です。
岸田総理はこの単年度主義の弊害を是正すると公約しているのです。これにより、長期間を要する研究開発や新幹線ネットワークはじめ、国土強靭化などのインフラ整備が可能のなるのです。これは事実上、プライマリーバランスの黒字化目標を撤廃したことであり、財政再建路線からの政策変更です。
自民党と公明党は政策協定を結び、連立政権を20年間にわたり実践してきました。その間、バブル崩壊後の税収不足のため、長期計画が廃棄され緊縮財政が続けられてきました。これが経済のデフレをもたらした根本原因です。岸田総理の下での自公連立政権では、この方針が変更されることになるのです。公明党が要求してきた福祉政策もより一層の実行が可能となるでしょう。
立民と共産の選挙協力は共産党政権誕生の一里塚
今回の衆議院選挙においては、共産党は立憲民主党と選挙協力し、候補者を一本化して与党候補と対峙することを決めています。京都でも1区、3区及び6区がその対象です。3区や6区では、共産党が候補者を立てずに立憲民主党の候補を支援しています。共産党は明確に政権交代を主張していますが、これは共産党が野党連立政権に関わることを宣言しているということです。
つまり、立憲民主党の候補に投票することは共産党に投票するのと同じ意味を持つことになるのです。
恐らく殆どの国民は、共産党の政権など夢にも思っていないでしょう。しかし、共産党は国民の関心がない中で密かに政権の中枢に食い込もうとしているのです。それが共産党の作戦なのです。
もう殆どの人が忘れているでしょうが、かつて京都府では蜷川虎三さんが7期28年にわたって知事を務めていました。昭和25年に社会党の公認候補で初当選しましたが、その後支持母体は社会党から共産党に変わり、事実上の共産党政権が京都では誕生したのです。その間、京都府の行政組織を利用して、府下全域に共産党の勢力が拡大し、京都は停滞の時代に入ったのです。
南北に細長い京都府の発展のためには、南北に国土軸を形成することが必要です。北陸新幹線の小浜京都ルートは、山陰新幹線構想との連結により丹後から山城地域を結ぶ新幹線ネットワークを形成するためのものです。
共産党はこうした大型の公共事業にはいつも反対していますが、京都で共産党の支援を受けた国会議員が増えると、こうした新幹線計画も進まなくなってしまいます。
維新の会は、新自由主義に立脚したデフレ政党
京都は大阪に隣接しているため、維新の会もそれなりの支持者がいます。元々、自民党の大阪府会議員たちが作った政党ですから、自民党と良く似た政党だと思っている方もおられるでしょう。彼らの主張の1丁目1番地は、身を切る改革、つまり公務員や議員の定数、更にその給与を削減して行政の効率化をする。そしてその究極の目標は大阪都構想や道州制という統治機構改革です。
ですが、その大阪都構想は二度にわたって否決されました。統治機構改革は混乱をもたらすだけだと大阪の府民市民が感じたからです。そもそも身を切る改革は、デフレを加速するだけです。
かつては、自民党も彼らと同じようなことを主張し実行してきました。小泉政権時代から続く構造改革路線です。それが結局は給料を低下させデフレ下を作り出したのは先に述べた通りです。新自由主義がもたらしたこうした結果を反省し、国民への分配を増やし、給料を上げ、デフレから脱却させると言うのが岸田内閣の目指すものです。
維新の会にはこうした新自由主義についての反省が一切ありません。彼らの政策を推し進めればデフレが加速するだけなのです。
樋のひと雫
-アンデス残照-
羅生門の樋
ボリビアからは財団活動の再開や研究大会の開催日程が届きだしました。漸く日々の活動が少しずつ戻りだした感があります。しかし,完全にという訳ではなく,国際会議もリモートで行うなど,ボチボチの手探り感満載の試行錯誤からです。日本も新しい首相が決まり,総選挙の日程も決まりました。コロナ禍の中での新たな船出となります。今回の総裁選は,収まるべき処に収まった感があります。急激な変革ではなく,日々の漸進と中庸というある種の日本の国民性が現れているように思います。新しい首相には行きついた新自由主義の弊害を取り除き,富の再分配も含めた新しい日本像を期待したいものです。
ところで,アンデスの隣国ペルーでも新しい大統領が誕生しました。急進左派のカスティジョが,決選投票でケイコ・フヒモリ(西語ではjiはヒと発音します)を破りました。今回の選挙ではボリビアの友人の多くが,「アルベルトの娘が勝つ」と言っていました。彼女は3回目の選挙ですが,前回は都市部中間層の反発を受けました。今回は従来の支持層に加え,「ペルーを第2のベネスエラにするな」と云う多くの都市部住民の支持を得ていました。資源大国のベネズエラを極貧の国にした左派政権の誕生をペルーでは見たくないという心情でしょう。高名な経済学者たちも資源の国有化しか考えださない左派政権では国の発展は覚束ないと考え,今回は立場を超えた支持も表明していました。選挙前は誰も彼女の勝利を疑っていなかったと思います。
しかし,蓋を開ければ左派強硬派の勝利です。なぜ彼が勝ったのか,今でも謎です。カスティジョは地方の教員組案の活動家で,自慢は「今まで人と妥協をしたことがない」ことだそうです。筋金入りの組合活動家でしょうか。南米の多くの国では,教員組合は都市部教員組合と農村部教員組合とではその色合いが異なります。ボリビアでも都市部組合は過激でした。随分前ですが,組合のデモに反発した住民達が水を浴びせたことがありました。デモが終わってから行動隊が押し寄せ,家に小さなダイナマイトを投げ込まれるという事件もありました。幸い被害は無かったのですが,やはり過激ですよね。また,南米の多くの教員組合はメキシコのトロツキー研究所の影響を強く受けているという噂もあります(まあ,これは一種の都市伝説かも知れませんが…)。仕事で組合の幹部連中と会議をする際には,若い頃に読んだトロツキー選集の中の論文を話題にすると不思議と話し合いが順調に進んだものでした(オー,アミーゴとよく呼ばれました)。何が幸いするか分かりません。
選挙結果の分析は色々と聞こえてきますが,中南米の国々の指導者交代が,白人からインディヘナへという流れに有るのかも知れません。ここ10年ほどの間に中南米が本当の独立を果たすための胎動期に入っているのかも知れません。中南米がスペインから独立したのは200年も前ですが,独立運動を主導したのはスペインの植民地貴族であり,富を独占したのも白人の在地地主層でした。インディヘナ住民にとって収奪する人間は変わりがなかったのです。ボリビアの友人が「う~ん,ラテンの血かな」と云った言葉が何となく納得できる気がします。
しかし,傍から見ても不安ですよね。カスティジョには,何らの政治経験もなく経済政策や国の指針となる具体策が何も見えてきません。小麦や穀物等の輸入禁止やインフラの国有化など,「いつの時代の話?」と云うような選挙公約を掲げていました。選挙の狂騒が済んだ後で,コロナ禍の経済の混迷をどのように収めるかを考えている最中かも知れません。何と言っても,ペルーは南米の大国です。日本もTPP(環太平洋経済協力)では共に協力を推進する立場です。今さら,穀物の輸入禁止と言われても,「さてどうするねん」というのが正直なところでしょうね。中国や台湾の加盟申請に加えて,新外務大臣にとってかの国の貿易政策は頭の痛い問題でしょう。
一方,ケイコの方は2006年に政治活動を始めて以来今回は3度目の大統領選ですが,良きにつけ悪しきにつけ,父アルベルトの影が付きまといます。父親は在ペルー日本大使館占拠事件を鎮圧するなどテロ撲滅を掲げ,テロリストと一切妥協しなかった人物です。しかし,本来は貧困地域の生活改善,農村地帯の社会基盤の整備や収入の向上などペルーの社会発展と貧困撲滅に尽くした人物でもあります。辺地の村にも電気を通し,飲料水の整備,学校の設立(1日1校設立運動)など農村の生活向上や貧困問題に尽くしました。私が訪れた山間の僻地でも子ども達が学校に通えるようになったと言って長老から感謝されました(同じ日本人だからと謝辞を伝えてくれということでした)。他の州で私が訪れた村々でも学校建設への感謝や電気水道の確保などアルベルトへの感謝の言葉はよく聞きました。政権後期での側近の人権派への弾圧や汚職等で汚名も着ましたが,ペルーの発展に寄与した英傑であることには間違いがありません。その娘がなぜ落選?。「ラテンの血や」と言われれば,まあ納得です。
先日,アルベルトが根絶の対象としたセンデロ・ルミノソの指導者グスマンが刑務所で死亡したという報道が流れました。91年には農業開発に携わっていた日本人が3名彼らによって処刑されています。この影響で私にも初めてペルーを訪れた際に,リマを離れ地方に行く時に警護の人間が付きました。慣れないことで随分違和感を持ちましたが,報道を見てふと思い出しました。アルベルトも病気で収監されている刑務所から病院に移されたようです。また一つ現実が歴史の中へ過ぎ去って行こうとしています。