被災地で分かったこと
自民党参議院議員有志での被災地激励
(宮城県内)
4月4日、私は、東日本大震災で被災された仙台地方にお見舞いに行き、そこで現地のJAの役員の方や避難所の被災者の方、そして仙台市長にもお話を伺ってまいりました。阿武隈川の河口に近い宮城県亘理町から仙台市の若林区まで、いずれの地域も大津波の爪痕がすさまじく、言葉を失ってしまいます。
家族も仕事も財産も失った避難所の方々のお話を聞くにつけ、今までの制度では対処のしようのない未曾有の大惨事なのだということをつくづく思い知られました。だからこそ、その仕組みを変える政治の力が必要なのです。
復興には多額の資金が必要、子ども手当は止めるべき
被災地の報道がされるたび、多くの国民が心を痛めてきました。なにか自分に出来ることはないか、少しでも支援をしたいと、義援金も短期間のうちに二千億円近いお金が集まっていると聞きます。しかし、復興のためにはその何十倍もの資金が必要になります。そのことを考えると、まず、不要不急の子ども手当などのばらまき4K政策(子ども手当、農家の戸別補償、高速道路無料化、高校無償化)は直ちに止め、復興資金に回すべきです。これだけで約3兆円の資金が捻出されるのです。
こうした我々の主張にもかかわらず、去る3月31日、参議院本会議で民主党などの賛成により子ども手当は6ヶ月延長されてしまったのです。全く愚かなことです。
災害から命を守るインフラの整備が必要
統一地方選挙にて
自民党公認候補者を激励しました
仙台市の若林区を視察した時、不思議な光景を見ました。全域大津波で農地も住宅も流されているのに、ある特定の地域だけは無害ですんでいるのです。その境目となったのが、この地区を南北に走る仙台東部有料道路という高速道路だったのです。
この道路は盛り土の上に建設されており、それが堤防の役目を果たしていたのです。そのため、ここより東の海沿いの地域は津波で壊滅状態であるにも関わらず、西側の地域では殆ど被害がなかったのです。
仙台地区は昔から大津波の被害が言い伝えられ、貞観大津波(西暦869年)では仙台平野は見渡す限りの大海原になったと言われています。その時に、津波が襲ってきた陸地との境目が浪分神社として伝わっています。今回の地震はその時の地震(M8.3~8.6)より大きなものだと言われていますが、この高速道路のお陰で、浪分神社付近は無傷だったのです。
リアス式海岸と違い、なだらかな海岸線の地域では津波は何十メートルにはならず、防波堤が有効だということです。堤防をきちんと整備するか、こうした盛り土式の高速道路を利用して、そこより陸側にしか住宅を建てさせないという規制があれば、田畑は流れても住宅は守れるのです。つまり、仙台平野ではインフラと都市計画をきちんとすれば、今回のような大津波でも人の命を守ることはできるということです。
民主党は、「コンクリートから人へ」と公共事業などのインフラ整備を、その中でも防災や耐震化の予算までも削減をしてきましたが、こうした政策が間違いであったことは誰の目にも明らかでしょう。しかし、これもいまだに彼らは認めようとしません。
福島原発は人災ではなかったのか
今回の震災を悲惨なものにしたもう一つの原因は、福島原発の放射能漏れでしょう。こうした種類の原発事故は過去に例がなく、政府の対応を一概に責めることはできない、むしろその責任の一端は長く政権与党をしていた自民党にもあると私は思います。そのため、その対応については慎重に見守ってきたつもりです。しかし、震災からひと月近くなり、政府の対応の実態が明らかになるにつれ、民主党菅政権の初動ミスがもたらしたものであることが判明してきました。
福島原発は、地震や津波で爆発したのではありません。その後の初動体制の誤りが引き起こしたものです。11日の午後2時46分の地震直後、緊急炉心停止を自動的に行い核分裂は止まりました。地震直後に停電になりましたが、非常用のディーゼル発電により冷却も無事行なわれました。1時間後に大津波で全電源喪失になりましたが、バッテリーで8時間冷やし続けたので午後10時半までは安全な状態だったのです。
問題はこの8時間の間に、新たな電源が用意できなかったことと、その場合には海水投入しか手がないにもかかわらず、その処置が遅れたことです。特に、最後の手段である海水投入には、その前提として炉内の圧力を下げるため、ベントと呼ばれる蒸気排出が不可避です。ところが、この処置がバッテリー枯渇後12時間以上かかったことが、爆発に至る致命傷になったと言われています。そして、その原因が菅総理の原発への乗り込みの強行によるものではないかと疑われているのです。この事実関係は、今後国会を通じて明らかにしなければなりません。
しかし、いずれにしても菅総理は原発に行く必要がなかったのです。ベントが遅れたことが仮に東電側の事情によるものであっても、放射能の被ばくのリスクを冒してまで、国家の最高責任者が出向くこと自体が危機管理としてもあり得ません。
復興の予算は建設国債で賄える デフレ脱却のチャンス
震災からの復旧復興には莫大な予算がかかりますが、その財源には建設国債で十分賄えます。震災直後にドル円相場が急騰し76円台を記録しましたが、これは大災害にもかかわらず日本の経済に対する信頼が依然として高いことを物語っています。日本は世界一の債権国です。この震災前に民間銀行の預金超過額が150兆円以上あり、海外からの資金援助を受けずとも自国の資金で十分賄えます。もともと、民間投資が少なかったことが、預金超過を生み、デフレをもたらしていた原因だったのですから、巨額の公共投資が今後発生することにより、需給バランスが改善されデフレ脱却が可能になるでしょう。
また、この震災復興には民間でも資金がかなり必要となりますから、その分金融がひっ迫することが考えられます。そこで、日銀が資金需要を見定めながら民間金融機関が持つ既存国債を市場から買い取ることにより資金を供給し、金利の上昇を抑えることが必要です。そのためには必要ならば日銀券を追加で発行することも必要でしょう。このように日銀が協調すれば国と民間の資金需要が賄うことができ、震災復興もデフレ脱却も同時に行うことが可能となるのです。
復興資金を増税によって賄うという案は、震災復興の足を引っ張ることになり反対です。復興が進み、景気が過熱し、物価や金利が上昇する傾向になってきたら、国債発行を抑え増税を考えれば良いのであって、順序が違うのです。日銀との協調をすれば増税しなくても資金は十分に調達できるのです。
エネルギー政策の見直しが必要
むしろ、心配すべきは電力不足のほうです。復興需要が急増しても、電力不足により生産が追いつかなくては需給バランスが崩れ物価が上昇します。しかし、これは経済成長によるものではなく、スタグフレーションと呼ばれる景気後退現象ですから警戒しなければなりません。
日本には休止中の火力発電所が多数あります。西日本と東日本の周波数の違いがなければ、これを再稼働させれば、電力需要は賄えるとも言われています。今までは、ランニングコストの安さとCO2の削減のため、原発の稼働率が高められてきたのです。しかし、震災後は当然見直しが必要となります。また、エネルギー、特に電力を湯水のように使うことは最早許されないでしょう。国民一人ひとりが、ライフスタイルの見直しをしなければなりませんし、民主党が唐突に打ち出したCO2の25%削減という公約の撤回は当然です。
日本を救うには政権奪還以外ない
3月11日以降は震災による政治休戦となり、国会においても殆ど議論ができなくなりました。政治的な対立より挙国一致で震災からの復旧復興に当たるべきだ、そのためには大連立をすべきだという声も聞かれます。もちろん復興に協力するのは当然です。しかし、そのためには民主党の政策の誤りを指摘せざるを得ません。ところが、彼らはいまだにその誤りを認めていないのです。
日本を震災から復興させ、原発事故を終息させるためにも、民主党から政権を奪い返すしかないのです。今回の統一地方選は国民のそうした意識の表れでしょう。
今こそ、日本人の精神を取り戻そう
財政金融委員会にて野田財務大臣・
白川日銀総裁・自見金融担当大臣に対して、
震災対応の予算について質問しました
今回の震災では、今まで当たり前と思っていたことがことごとく崩れ去りました。 安全も繁栄も永久に続くと思っていたことが、砂上の楼閣に過ぎないことをまざまざと見せつけられました。自然の猛威に怯え、未来に対して希望を見出すことができず、立ちすくんでいる人もいます。
しかし、こうした大震災に我々の先人は何度も襲われてきたのです。そして、その度に立ち上がり復興をしてきたのです。従って、我々にそれができないはずがありません。恐らく、これからもこうした震災に何度も襲われることになるでしょう。それでも、その度に立ち上がる以外ないのです。それとも、この国を棄てて、何処かに移民すべきでしょうか。それはできない選択です。私たちが日本人である限りこの国とともに生きるしかないのです。この国の国土がもたらした恵みも災厄も全てを受け容れることにより、先人は日本人の精神を鍛え育んできました。
無常観もその一つでしょう。『‥奢れるひとも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし‥』平家物語の一節が頭に浮かびます。物質的な繁栄や地位や名誉など、自然の猛威の前では何の意味もない。与えられた環境の中で謙虚に素直に一生懸命に生きる以外ない。それこそが日本人が大切にしてきた心ではないでしょうか。その心がある限り、日本は何度でも復活することができるのです。
瓦の独り言
-震災後の日本文化羅生門の瓦の精神復興は京都から-
羅生門の瓦
東日本大震災の影響で、国の重要無形文化財「相馬野馬追」の開催が危ぶまれています。舞台となる福島県の相馬地方が被災し、多くの「騎馬武者」が愛馬を失い、また武者の中にはいまだ行方不明者もおられるとか。1000年の歴史を誇り、江戸時代の大飢饉、大東亜戦争中でも規模や形を変えて続けられてきました。「一騎になろうとも、伝統を守ることが地域復興への貢献」とくつわを並べて出陣の策を練っておられます。
また、国の伝統的工芸品である福島県の大堀相馬焼(陶磁器)、宮城県石巻市の雄勝硯(文具:硯)の2つの産地が大きな被害を受けておられます。(この2つの産地に対して(財)京都伝統産業交流センターの理事会から義援金送ることになりました) 中でも雄勝硯を作っておられる4名の伝統工芸士さんは家も、道具も失われました。しかし、伝統工芸は手仕事が主で、道具と原料が在れば必ず再興できると、生産に意欲を燃やしておられるとか。
しかし、「着倒れのまち」京都市内では西陣織、京友禅をはじめとした伝統工芸品にも自粛という悪いムード(瓦一人が思っているだけかも?)が漂い始めています。確かに「きもの」は震災にあわれた方々にとって当面は不要の品物かもしれませんが、復興のあかつきには「日本人の誇りである着物をもう一度着たい」という思いは持っておられるはずです。そのときに日本の伝統文化のメッカである京都が沈んでいたらどうするのですか!伝統工芸品の「ものつくり」が出来ていなければ、どうするのですか!お茶やお花の家元がある京都市の街全体が沈んでいていいのでしょうか?祇園祭をはじめとする京都の3大祭りを凛として行うのが京都市民の務めではないでしょうか
結びになりますが、日本の精神文化を支えているのは京都であることを自負し、伝統工芸品を生産されている方々は当面、非常に厳しい状況が続くと思われますが、歯をくいしばり「ものつくり」に邁進してもらいたい、と思っているのは瓦一人だけではないと思っております。