謹 賀 新 年
新しい世紀にふさわしい言葉を
・・・新しい知事に望む・・・
第30号
2001年01月01日発行
京都府議会議員
去る11月20日京都府の荒巻知事は、府議会の決算特別委員会の席上で、今年四月に施行される五選目の知事選挙に出馬しない旨を表明されました。「新しい時代は新しい知事のもと、新たな気持ちで築いて欲しい。」との退任の弁でした。突然の出馬辞退の報に私たちも大変戸惑いました。まだまだ、荒巻知事続投を望む声も多かったのですが、知事が熟慮の結果出した結論でした。4期16年間の功績とご尽力に感謝とねぎらいを申し上げるとともに、この決断を真摯に受け止め、次の時代の知事を責任を持って選出することこそが、責任政党の議員としての私の務めであると思います。
この間、自民党では府議会議員団を中心に、次の知事の擁立に向け活発に意見調整がされてきました。このSHOWYOU紙面を通して、真の知事のあるべき姿について私の意見を表明したいと思います。
振り返ってみますと、これまで京都府知事は蜷川知事が7期28年間続き、その後を受けて、林田知事が2期8年そして荒巻知事が4期16年続いてきました。荒巻知事は林田知事の誕生と共に副知事に就任され、2期8年間支えてこられました。従って林田荒巻両知事を会わせて24年というものをひとつの時代として考えるべきでしょう。蜷川知事の時代は戦後の復興が国を挙げての課題でした。おりしも朝鮮動乱に象徴される東西冷戦の緊張が高まる中で、共産主義や社会主義のメッキがまだ光り輝いていた時代でもありました。大都市で唯一戦災を免れたため、ある種のゆとりが京都にあったのではないでしょうか。それと先取の気性という「京都人気質」が、蜷川知事を生み出してきたのではなかったかと私は思います。
しかし、28年続いて分かったのは、先進地であったはずの京都が戦後復興に乗り遅れ、後発の他府県に大きく水をあけられたということでした。そこで、遅れ馳せながら京都でも戦後復興をということで、社会資本の整備を中心に林田荒巻両知事の時代が始まりました。林田知事誕生の昭和53年、日本全国で戦後復興が終わり、欧米先進国に追いつき並んだ時代になっていました。しかし、次の時代の価値観を示す言葉も無いままに、経済的問題ばかりが政治課題として取り上げられてきました。そして、その後の方向を示すまともな言葉がいまなお聞かれないというのが昨今の状況ですが、そのお蔭で京都は他府県より一周遅れにもかかわらず経済復興に着手することが出来たのです。林田・荒巻両知事の時代に、遅れていた道路や鉄道の整備が急速に進んだことはご存知の通りです。その後日本はバブル経済の時代に突入し、京都もようやく全国レベルに追い着く目途がついてきましたが、その矢先に平成大不況が始まり、財政に大打撃を受けるのです。
こうした時代背景の中、新たな知事に望むものはまさに「次の時代を示す言葉」であると考えます。蜷川知事は「憲法を暮しの中に生かそう」、林田荒巻両知事は「活力ある京都をつくろう」という言葉を残されました。まさに時代を象徴する言葉です。今、国では小泉総理が「聖域なき構造改革」と言う言葉を掲げ、次の時代を築かれようとしています。しかし、これが時代を築く言葉でないことは、もう皆さんお分かりの事と思います。
何故なら、「聖域なき構造改革」と言う言葉には、改革を断行するということ以外に何のメッセージも無いからです。これは言いかえれば、「例外なき破壊」ということであります。「こんな社会を創る」というとを示さず、現在あるものを破壊するばかりでは、社会の秩序が乱れ景気も落ち込むばかりです。また、小泉総理の中から出てくる言葉をつなぎ合わせると、見えてくる「こんな社会」とは「グローバルスタンダードの社会」以外にはありません。これは、早い話が、アメリカの属国に甘んじるということを言葉巧みに美化してきた、戦後体制そのものを完成させるということで、このような言葉に日本人が希望を抱けないのは当然でしょう。
では、次の時代を築く言葉とは一体どんな言葉でしょうか。こうした時代の流れを踏まえて日本の現状を真正面から捉えるなら、「戦後体制からの真の脱却」ということ以外には無いでしょう。つまり安全保障の面でも、経済政策の面でも、教育の面でも戦後のタブーを乗り越えるということです。「自分の国は自分で守る」「自国の利益は自国が守る」「自国の価値観は自国が守る」この当たり前のことが出来ない限り、日本の本当の存在は有り得ません。小泉総理にはこうした戦後体制からの脱却のために聖域なき改革をしてもらいたいものです。
同じ観点から、次の知事が目指すべきことは何でしょうか。今までの京都は「反共」という言葉の下に与党が結束して林田・荒巻両知事を支えてきました。共産主義を容認するつもりはありませんが、これからの京都が「反共」という言葉だけで語れないのも周知の事実です。先に述べた言葉を京都と置き換えてみると下のような府の姿が見えてきます。
安全な街造り
… 災害から府民生活を守るための危機管理体制の確立。平和で安心な暮らしを守るための警官の増強と治安の確保
府内産業の保護育成
… 一方的な市場原理から府内企業を守り雇用を確保する。(伝統産業や中小企業は市場原理では守りきれません。)
京都文化立府構想
… 単に伝統産業や観光のためだけでなく、京都人の魂を伝える
これらのことは戦後の価値観に押され廃れてきたものの、元々京都が千年の都として営々と築き上げてきたものです。何世代にもわたって府民が京都に住み続けてきたからこそ、京都の街も町衆のコミュニケーションも京都の文化も成立してきたのです。単なるスクラップ・アンド・ビルドではない積み重ねの歴史が、京都を作り上げてきたのです。今一度、京都のこうしたアイデンティティーを見つめ直し、府民に訴えることも政治家としての知事に求められる大切な使命であると考えます。
秋田公司さんは京都生まれ京都育ち。株式会社秋田製作所・株式会社アクト 代表取締役。われわれ昌友会の会長も務めていただいています。京都を世界一の「試作加工集積地」にすることを夢見て「京都試作ネット」を結成されるなど幅広い活躍をされていますが、これからの中小企業の在り方などについてお話しをお伺いしました。
不況とリストラの嵐が吹き荒れています。既に完全失業率も5%を超え、給与カットと転籍という名の片道切符が大手といわれる企業でも、リストラの手法として用いられるようになりました。言うまでもなく、リストラは企業の業務形態や生産手段、管理構造を再構築(リ・ストラクチャー)するもの、けっして働く者の首を切ることではなかったはずです。企業の構造を改革し余剰人員を再配置する中で、結果としての人員整理もあるでしょうが、それはあくまで結果であって目的ではないはずです。
企業の収益を守るための安易な「構造改革」は、働く人間の意欲を奪い、人としてのプライドを奪い、ひいては私たちが住む町の活気を奪い、地域の助け合いと慈しみの心を奪うことにつながります。これは、私たちが住む町から“安全と住みやすさ”をなくし、文化や伝統といった先人たちが築いてきた歴史までも危うくします。
この改革と不況の中で、私たちは従業員の仕事の確保と、何よりも“人としての誇り”を守り、“企業としての地域への貢献”を目的に『京都試作ネット』を立ち上げました。ここに集まったのは、伝統として培われてきた“ものづくりのハート”をもった、最新の技術・設備を駆使して創る『試作加工』のプロ集団です。京都の伝統産業のほとんどは、分業しながらその道に精通したプロが自分の工程を受け持ち、職人として責任を持って仕上げ、次の工程に手渡し完成させていくという形態で作られてきました。その一つひとつの工程が専業者として独立しています。このような土壌で京都のものづくりは、磨かれ鍛えぬかれてきました。
私たちのものづくりの心は、手作り・個づくりで今も同じです。研ぎ澄まされた『職人』としての感性で、顧客と対話しながら顧客の要求を汲み取り、そして言葉とビジュルアル化を通して要求以上のものを創り上げる。そんな京都のものづくりの伝統を受け継ぎ、発展させます。『一社ではできないが、連合することで知恵を出し合い、顧客に新しい価値を提案する。』『試作という高度なものづくりを通して、携わる人々に人としての成長の場を提供する。』が合言葉となり、地域の雇用を生み出し、地域で生きる元気な企業を目指しています。
中小企業は、地域の生活と密接につながりながら事業を行っています。グローバル化は避けて通れないものの、自ら海外へ出ていくわけにはいきません。これからも地域の文化や生活を守るためにも地場にとどまり、雇用の確保と拡大に努めることが大きな使命だと考えています。
『試作』は新たな産業を見出すための重要な情報源となります。優秀な人材による総合的な知恵が『試作』を可能にします。このことを通して、幅広い産業との連携を深め、次世代へと技術と共に文化の伝承ができれば素晴らしいことだと考えています。これからも思いを同じくする仲間を増やし、さまざまな知恵を集合する集団づくりを行い、地域に貢献していきたいと考えています。
皆様には、お揃いで新春をお迎えのこととお慶び申しあげます。
日頃、皆様方には温かいご芳情を賜り、厚くお礼申し上げます。
とりわけ、昨年の夏には、例年にない酷暑の中、皆様方お一人ひとりが言葉に表せないほどのご支援と盛夏の太陽にも勝ち、ご高配をいただきました。お陰をもちまして、京都市内並びに府内全市町村、すべて最高得票を頂戴し、三期目の当選の栄に浴することができました。私もこの度、自由民主党の人事局長並びに京都府支部連合会長という党の重責を担うことになりました。皆様方の温かいご支援のもと、我が国の発展と郷土京都の発展のため、全力を尽くす決意でございます。
さて、この世紀変遷の中、我が国の社会情勢も、多様な分野で大きな転換期をむかえております。特に雇用不安をはじめ厳しい経済状況に加えて、国際テロや狂牛病問題等々、内外を問わず、多難な課題が山積しております。一方、国政におきましても、これらの諸課題に対応すべく、昨年末には「第153回臨時国会」が開催され、「テロ対策特別法案」をはじめ深刻化する経済情勢への対策としての「第一次補正予算」や、「雇用対策」「中小企業支援のための法案」等々が審議され、成立したところであります。
特に、私たちの京都は、日本を代表する最先端技術を有する企業がある一方で、歴史と伝統を継承する様々な中小企業が経済を支えております。このような京都の活力を充実・発展させるためにも、雇用対策や中小企業のセーフティネットを、より一層確かなものにしなければならないと考えております。
京都府におきましても、それぞれの各首長さんが先頭になって活力ある街づくりのため、努力されております。今後更なる発展のため、私も荒巻知事、桝本市長、西田昌司府議会議員の方々と緊密に連携しながら、皆様方のより良い生活の安定と向上のため、一生懸命頑張ってまいる所存であります。
どうぞ、これからも変わらぬ、ご理解とご支援を賜りますようお願い致します。皆様方の一層のご健勝とご隆盛を祈念申し上げまして、新年のご挨拶とさせていただきます。
新しい世紀になり1年がたちました。昨年の米国テロ事件以来、世の中が沈みがち、『もの』は売れず、何をどうしたらよいのかわからない。「わからない」と答える人の方が、普通の人なのです。「普通でいればよいのでは」と、申し上げたい。
高飛車にIT化を叫び、パソコンと携帯電話業界は、60歳を越えた人達までもターゲットにしていました。一方「あれは目を悪くするからやらない」と拒否できるのは信念を持った人。定年になったからといってパソコンを学ばねばならないことはないはずです。
新しい時代の空気を満喫するのも大切なことです。しかし、ワープロが使えないと時代遅れになるというのは偏った考え方ではないでしょうか。日本では昔から偏った考えより、中庸といったバランス感覚を取ることの大切さを教えています。この感覚がとれた「普通の人達」の集団がこれからの日本を支えていくものと思っております。
ITにのめり込み、上っ面の情報を追いかけているよりは、一つのことを深く掘り下げて勉強するのもいいのではないでしょうか。コンピュータに出来ないことを追求してみてはどうでしょうか。それも普通のことがたくさんあるはずです。メールでの意思伝達ではなく、便箋に日本語で手紙を書く。
そういえば、日本語をまともに喋れない、漢字すらろくに読めない青年男女に日本語を教え、日本文を書かせる訓練をしてみるのも良いのでは。確か、第二次世界大戦前までは青少年に対して『綴り方教室』・『話し方教室』という講座が設けられていたはずです。
さて、普通でいようとする貴方。今年の年賀状は何で出しましたか? パソコン? プリントごっこ?・・・・・・
さて、返事の一枚だけでも良いから筆で書いてみてはどうでしょう。かつての普通の年賀状に戻って・・・・・・。
さあ、瓦もこれから返事のために墨をすろうと思います。返事相手の顔を思い浮かべながら。
編集後記
昨年のNHKで二つ好きな番組がありました。「プロジェクト・X」は逆境を乗り越え、パイオニアスピリットに溢れた男達の生き様が描かれています。もう一つ「北条時宗」がありました。命をかけて日本を守ってきた男の生き様です。未来を支えこの日本の誇りとなる人達が、きっと今も奮闘してくれているに違いないと熱くなりながら番組を見終えるのが常でした。
編集室 松本秀次