あれから一年
本年7月8日、安倍晋三元総理が暗殺されてもう一年になります。あの日は参議院選挙の真っ只中で、京都に吉井 章候補の応援に来る直前の出来事でした。私は、総理が撃たれたと連絡を受けた時、冗談を言っているのかと、全く信じることができませんでした。残念ながら、これが現実だったのです。安倍晋三亡き世界が、もう一年も経過しているのです。
この日に合わせて、東京の芝の増上寺で一周忌法要が執り行われ、午後からは明治神宮記念館で安倍晋三元総理の志を継承する会が開催されました。岸田総理始め、歴代総理が追悼の演説をされました。その話を聞きながら涙ぐんでおられる昭恵夫人の姿を見るに付け、改めて安倍晋三亡き世界が現実であることを痛感致しました。
安倍総理の遺志とは何か
安倍総理(今後もこう呼びます)は、平成5年に国会議員になられます。私は、平成2年の補欠選挙で府議会議員になりましたが、参議院議員だった父の吉宏は、「安倍さんの息子さんはおまえと同じような話をしている。きっとお前と気が合うわ」と言っていたことを思い出します。
その後、私は自民党全国青年議員連盟の会長になり、党本部の青年局長に議連の要望を届けることになりますが、時の青年局長こそ、若き日の安倍総理だったのです。因みに次の青年局長にも要望書を届けますが、その人の名は岸田文雄であり、歴代総理とはかなり若い時代からご縁をいただくこととなりました。
その当時の安倍総理は、如何にも育ちの良いおぼっちゃまという印象でした。しかし、思想的には確固たるものをお持ちで、「自分は安倍晋太郎の息子では無く、岸信介の孫だ」とお話しされていたことを今は亡き、西部邁先生からよく伺いました。
西部先生は、昭和35年の日米安保条約改正の時、東大の全学連で安保闘争の中心メンバーでした。ところが、その後私と一緒に安倍総理と会食した時、「自分たちは間違っていた。安保改正をした岸総理は正しかった」とお話しされていました。その岸総理の志を継ごうとされる安倍総理の遺志とは『日本の自立』であったと言えるでしょう。
勿論、安保体制堅持ばかりでは真の独立はありません。しかし、「そのために現状から一歩でも前に出る」それが安倍総理の信念だったのでしょう。憲法改正のための国民投票法や特定秘密保護法や平和安全法制の制定など、国論を二分する議論がありました。「祖父である岸総理の60年安保改正に比べれば何でもない」安倍総理にはその信念があったと思います。
ロシアとウクライナの戦争
安倍総理のキャッチフレーズはご存知の様に「日本を取り戻す」でした。この言葉の裏には、日本は大事な何かを失っているという前提があります。その失ったものは、日本人の精神であり、価値観であり、家族や故郷だったのではないでしょうか。そして何よりもその自覚でしょう。正に歴史を失ってしまったことが日本人にとって致命傷であったのです。
ロシアがいきなりウクライナに武力侵攻しました。このことからロシアが加害者であり、ウクライナは被害者である、という前提で毎日同じ様な報道が繰り返されています。しかし、私は当初からこうした報道姿勢に違和感を感じていました。
喧嘩両成敗という言葉がありますが、戦争も同じで、どちらかが一方的に善でどちらかが一方的に悪というのは、現実の世界ではあり得ないことです。また、日本とロシアは国境を接していますが、未だ平和条約が締結されないまま北方領土が占領され続けていますが、安全保障のみならずエネルギーや海洋資源の供給源としても非常に重要な国です。
一方、ウクライナは歴史的にも地理的にもロシアに比べて遥かに遠い国です。そもそも、今回の武力侵攻に至る経緯そのものをほとんどの日本人は知りません。ただロシアが先制攻撃をしたこと、それがロシア非難の決定的原因になっているのです。
私は、かつての日本が大東亜戦争で真珠湾に先制攻撃したことを知っています。しかし、そこに至るまでにはABCD包囲網による石油禁輸措置が有り、日本が絶対に飲めないハルノートという事実上の最後通告をアメリカが突きつけていたことも知っています。そして、広島と長崎に原爆を落とし何十万の一般市民を殺戮したことも知っています。
先制攻撃だけでロシアを非難をすることは、自らの歴史に唾することになりませんか。また、真珠湾攻撃に先立ち、支那事変が勃発しました。現在では、蒋介石軍に参加していた共産党軍からの発砲が原因との説が有力です。本来、日支間では圧倒的軍事力に差があったにも関わらず、紛争が長期に及んだのは、米英によるいわゆる援蒋ルートの存在です。こうした事実を知っていれば、ウクライナに軍事支援する欧米政府のやり方には疑問を感じざるを得ません。先ずは、武器を援助するのでは無く、停戦に向けた交渉を行うべきなのです。
安倍総理のリアリズム
以上の様なことを自民党の部会で、また派閥の総会でも私は訴えてきました。ウクライナを善で被害者、ロシアを悪で加害者という一方的な決めつけをすることは、決して日本の国益にならないし、ウクライナやロシアの国益にもならないのです。
しかし、残念ながら誰一人その場で私の意見に賛同する人はいませんでした。しかし、安倍総理だけは、会合の後、私の側に寄り添いながら、「西田さんの言うことは分かるけれど、これが現実なんだよ」と、誰も自国の歴史と鏡合わせにしようとしない現実を悲しみながら、「いずれ分かる時が来るはずだ」と慰めてくれました。
ウクライナ紛争の原因は、2014年に勃発したマイダン革命という名の反ロシア勢力によるクーデターにあります。これにアメリカのオバマ政権が関わっていたことは今や公然の秘密になっています。その後ロシアとの紛争解決のためミンスク合意がフランスとドイツの仲介の下になされますが、この合意を実行してこなかったのがウクライナなのです。つまり、ウクライナ自身がロシア側を挑発してきたとも言えるのです。このことは、安倍総理自身も言及してこられました。
安倍総理は日米同盟という安全保障の基軸を守りながら、一方でロシア始め日本の安全保障上大切な国とは、しっかりと話をできる関係を築いてこられました。安倍総理亡き後の外交でもこうした発想で岸田総理にも臨んで欲しいものです。
コロナ禍で史上最高の税収増
先日、財務省から2022年度の税収が71兆円を超え、史上最高額を3年連続更新したとの発表がありました。コロナ禍で経済は低迷していた筈なのに何故税収が増えたのでしょう。その答えは、3年で100兆円を超える国債を発行して経済を下支えしたからに尽きます。
既に何度もShowyouにおいても説明していますが、国債発行による財政出動は国民に通貨を供給することです。国民側に何らかの形でお金が供給される訳ですから、当然国民の所得が増えることになります。その結果、税収が増えるのは当然のことなのです。一方で、財政出動をするのに増税して税金を取って行うと、税金の分だけ国民側の通貨、即ち預貯金が減ることになります。財政出動した分の所得が国民側で増えても増税分だけ国民の預貯金は減り、景気拡大の効果は相殺されます。
但し、大企業の内部留保など、過剰に貯まった金融資産に課税して、それを子育て支援の様に国民に分配すれば、間違いなく消費が拡大して景気は良くなるでしょう。これまで、1000兆円を超える国債発行によって民間側に大量の通貨が供給されてきました。そして、法人税率を度重ねて引き下げをしてきました。その結果、多くが大企業の内部留保として滞留してしまったのです。これこそ、日本の問題なのです。
国債発行は通貨供給であり、税金は通貨回収という事実を先ず理解しなければなりません。また、国債の償還は税金で行うのでなく新たに借換債を発行して行っており、孫子の代の負担になどなっていないことも事実です。3年に亘るコロナ禍はこうした事実を私たちに教えてくれました。コロナ禍での税収の増額はそのことを証明しているのです。
死せる安倍、生ける岸田を走らす
2年前、安倍総理を最高顧問に、私が本部長に就く財政政策検討本部が党内に設置されました。安倍総理はアベノミクスでデフレ脱却を目指していました。もはやデフレではない状況を作ることはできましたが、必ずしも経済成長路線へはまだまだ十分に転換できませんでした。その原因の一つが二度に亘る消費増税であったことは否定できません。また、法人税の減税が内部留保を増やすだけで投資に繋がらなかったことも誤算でしょう。アベノミクスの光と影を総点検し、それを糧にすることが重要なのです。
正に岸田総理は、こうしたことを糧に防衛力増強や子育て支援、財政より経済を優先させるという安倍総理の思いを着実に実行しておられます。マスコミなどでは相変わらず岸田バッシングが続き支持率は低迷しておりますが、正に、『死せる安倍、生ける岸田を走らす』なのです。皆さまの引き続きのご理解とご支援をお願いいたします。
瓦の独り言
「六地蔵巡りで思うこと」
羅城門の瓦
8月22日から23日にかけては、800年つづく京都の伝統行事である「京の六地蔵めぐり」です。
瓦は1981(昭和56)年から、欠かさずお参りをしています。というのは、長男が8月23日の朝、お参りから帰ったら直ぐに生まれたからで、「これはお地蔵さんの利益の賜物」と家族中が、信仰心を深めた次第です。伏見の六地蔵を出発して、鳥羽地蔵、桂地蔵、常盤地蔵、鞍馬口地蔵、とめぐり、上がりが山科廻地蔵です。コロナ禍の4年間は夜間のお参りが中止されていましたが、22日の深夜にかけて車で回れば3時間もあれば十分なお参りができます。あがりの「お斎(おとき)」は山科のラーメン屋でしめていました。
何気なく、毎年お参りをしていましたが、2020年度の京都・観光文化検定試験(通称:京都検定)に六地蔵巡りの鳥羽地蔵に関する問題が出てきました。「西国街道に面している鳥羽地蔵の寺院名は・・・」浄禅寺が正解なのですが、瓦はちょっとひかかっていました。六地蔵巡りのシーズンになると、言い出したくなり、言わせてください。
西国街道は東寺口から羅城門を通って西方向へいく街道で、そこには浄禅寺(鳥羽地蔵)は面していないはず。鳥羽地蔵の前の道は「鳥羽街道(鳥羽の作道)」で羅城門を起点に、南下して淀方面に至る通商交通の重要な街道である、と教えられていました。そこで京都検定の事務局(京都商工会議所)に問い合わせたところ、「公式テキストブック」に西国街道と記載されている。「間違いない」との返答でした。さらに調べると、編集者は「京の六地蔵めぐり」の公式パンフレットに記載の通りの設問をしているとのこと。「それではパンフレットの訂正が必要ですね。」と食い下がりましたが、そうは簡単にいかないらしいです。歴史・文化の問題は諸説色々ありますが、訂正が簡単な時と、そうでない時があるようです。
「それ、ちがうのんと、ちゃいますやろか?」と、京都人的に質問するときは「実は、こうなんでっせ。」と腹のうちには答えがわかっているような・・・。
でも、政治の世界で我が国の舵取りを任せている「自由民主党」にあって、我らが京都から国会へお送りしている西田昌司参議院議員におかれましては、「是は是。非は非。」と十分な論理をもって対処していただいていると、大船に乗った気持ちでいるのは瓦一人だけではないはずです。
(暑さが厳しい折、瓦の表面は灼熱地獄ですが、裏面は平温です。どうぞ、お体をご自愛ください。)