沖縄に関する報道を見ていると、沖縄では知花昌一さんのような反基地、反アメリカの活動家ばかりであると言うような印象を受けますが、これは正しく沖縄を伝えてません。実際に沖縄の人に話を聞いてみると随分現実は違います。
まず、沖縄の米軍用地のうち民有地については地主約32000名のうち90%以上の約29000名の方々と既に賃貸契約を交わしており、面積で言うと 99%以上になっています。未契約の方、約3000名のうち約2900名がいわゆる一坪地主と呼ばれる方であります。例えば普天間飛行場では20坪ほどの土地を約600名の方が共有しており、一人あたりの面積は約30センチ四方になります。また、嘉手納飛行場では600坪ほどの土地に約2300名の地主がおられ一人あたりの面積は約95センチ四方、座布団一枚分にしかなりません。しかもこの方々の大半は本土におられる方であり、その中には中核派や革マル派などの反政府活動を繰り返し行っている運動家やその支援者の方も大勢いるといわれています。知花さんもその一人であるわけですが、このような一般市民と呼べないような方の意見をさも沖縄を代表するかのような報道では物事の真実は見えません。沖縄では決して反米意識は高くないのです。
ではあの沖縄の叫びは何なのかといえば反日、反大和という感情が非常に根強いということであります。それは遠く琉球王国と薩摩との朝貢外交に始まり大東亜戦争末期の沖縄での地上戦、さらには戦後の米軍の占領、そして今日の安保条約に基づく基地問題など、常に沖縄は本土の犠牲になってきた、また捨て石にされてきたという思いが多くの県民にあるということを私たちは知らねばなりません。そして、沖縄の人々のこうした思いに対して私たちは何も答えることができないというのが現実ではないでしょうか。
日米安全保障条約はこうした事実を前提に考えねばなりません。安保条約が日本の安全と繁栄に不可欠であるということは、今や誰もが認めるところであります。しかし、この条約によって日本はアメリカに基地の提供を義務づけられているのですが、こうした負担の部分については誰も感じることがなかったのです。それは日本における米軍基地の75%が沖縄に集中しているからです。日本人は安全と水はただで手にいれているということがよく言われますが、それは本土にすむ人間に限ってのことで、沖縄の人々にとっては決してそうではなかったのです。
日本の平和は安保条約によって支えられている。しかし、その負担の大部分は沖縄一県に強いてきた。にもかかわらず、本土にはそういう意識がない。そして、沖縄は日本で一番貧しい(県民所得や社会資本の整備率は最下位、失業率は本土の2~3倍)ままである。こうした事実を私たちは認識しなければなりません。
考えてみれば自分達の生命や財産は自分達で守るということは国家の最大の役割であり、政治の最大の使命であるはずであります。しかしそうしたことを我々はほとんどこの50年間意識すらせずに暮らしてきたのです。この国民にとって一番大切なことを他人任せでアメリカに任せっきりにしたり、沖縄だけに押しつけたままできたのです。そしてその上に私たちは豊かな社会を築いてきたのです。しかしそれは国として、また政治としての役割も使命も放棄したままの危うい土台の上に建ついわば砂上の楼閣にすぎないのではないでしょうか。
今、巷間ではいろんな方が改革ということを口にされていますが、その多くがこうした本質の問題に触れないまま、いかにして日本の持続的繁栄を守るかということばかりに終始しているのが現実です。しかし、そのような論議は砂上の楼閣の上に虚構の繁栄を重ねようとするのと同じで、たとえ嵐がこなくても、自らの矛盾という重みで崩れることでしょう。
沖絶問題を契機に、国と政治の役割と使命をもう一度深く認識し、国のゆく末に誤りのない選択をしようではありませんか。