いよいよ21世紀の到来です。小学1年生のお正月に指折り数えて、「21世紀には自分は42歳、父親より年がいっているんだなあ(当時、父は31歳)。一体何をしているのだろう。」と漠然と寝床のなかで考えていたことを思い出します。その当時思い描いた21世紀の姿は、まるで鉄腕アトムの漫画に出てくるような、夢のような世界でした。今振り返ってみますと、さすがに鉄腕アトムはまだ登場していませんが、一部はアトムに出てくるように、コンピュータや携帯電話の普及で素晴らしい情報社会が実現しています。こうしたことは、今後IT(情報通信技術)革命と称してますます発展していくことでしょう。しかし、それでも当時子供心に思い描いていた世界とはずいぶん違うと感じずにはおれません。一体どうしてでしょう。私はその違いというのは、未来に向けた希望の大きさの違いだと思います。子供と大人はそれだけで未来に対する希望も当然違うと思いますが、私はもっと根本的な違いがあると思うのです。それは世のなかの空気が当時のように明るく輝いていない、よどんだ閉塞感の中にあることが、その一番の違いだと思うのです。要するに「21世紀の到来だ。明るく豊かで希望溢れる社会の到来だ。万歳!」と手放しで喜べない何かが、世界を覆っているということを申し上げたいのです。
では、その閉塞感はどこから来るのでしょう。私はそれは「戦後体制」と呼ぶべき社会の仕組みだと思うのです。例えば、経済にしても日本は今厳しい不況の中にあります。国も地方も民間も皆、借金で困っています。これをどう立て直すかが問われています。そのための方策としてアメリカを倣って規制緩和を行うことが必要だ、それがグローバルスタンダード(世界基準)だとマスコミは大合唱します。しかし冷静に考えてみれば、見本となるはずのアメリカは株高で表面上景気は良い様に見えているだけで、財務内容は依然世界一の借金国です。一方、日本は世界一の債権国なのです。日本ではこれから赤字国債の返済をどうするのかということに議論が集中し、このままでは日本は沈没してしまうと騒いでいます。しかしこれは目先の問題に過ぎません。少なくとも日本は借金が多いとはいえ、自国の中でお金を用だ立てているのです。その上まだ余ったお金を世界中に貸し出しをして、一番日本からお金を借りているのはアメリカなのです。景気の良いはずのアメリカは、いくら儲けてもその稼ぎ以上にお金を使う浪費癖があります。そのお金が積もり積もってアメリカは自国のお金だけでは首が回らなくなっているのです。その浪費癖のお陰で、日本をはじめ世界の国は、ものを沢山アメリカに買ってもらって良いお得意さんだと喜んでいるのです。しかしどんなお金持ちでもこんな状態が続けば破産してしまいます。本当に改革すべきは日本の経済ではなく、アメリカなのです。そして日本がすべきことは、アメリカ依存体質を変えることなのです。世界と強調することは勿論大切ですが、背隠語の日本は対立を恐れるあまり、自国の経済を守るということがあまりに欠けているのではないでしょうか。
また、最近よく話題になる教育改革も同じことが言えます。21世紀教育の基本は「ゆとり」と「生きる力」だそうです。これは戦後教育の反省として、子供たちを受験中心の詰め込み教育から開放し、子供たちが家庭や地域で触れ合うなかで、生きる力を考えさせようということです。その方策が、学校週5日制であり、体験学習であるのです。これもまた本末転倒の議論です。何故なら、この議論には“学校は子供に何を教えるのか”という、根本的なことが抜け落ちているのです。それは子供たちに考えてもらおうというのは大人の詭弁に過ぎません。それを教えるのが教育ではありませんか。
戦後教育の問題点は受験中心の詰め込み教育にあったのではなく、こうした肝心の教えるべきことを教えてこなかったことにあるのです。それは何かと言えば、日本人として正しく美しく生きるための知恵、言い方を換えれば、常識や良識でしょう。それはこの国を守り、この国に生きてきた我々の先祖が営々と築いてきたもの、つもり伝統であり文化なのです。この中に日本人としての真・善・美の基準をはじめ様々な知恵が詰まっているのです。そもそも、どこの国でもその国に生まれ育つことにより、自然とこうしたことは子供に受け継がれていくものです。ところが、日本においうてはこうした当たり前のことが出来ない仕組みになっているのです。その原因は学校の中で日本人の精神的支柱を教えることをしてこなかったからです。それが戦後アメリカの指導下でつくられた憲法をはじめとする戦後体制に起因していることは周知のとおりです。
経済や教育をはじめ、ありとあらゆるところに戦後体制がはびこっています。今の日本の問題点は、こうした根本的問題には身を向けようとせず、表面だけの議論に終始してしまう政治やそれを助長するマスコミの姿勢にあります。そして、それをそのまま受け容れてきた我々国民の同じ罪を負っています。
先日、靖国神社に祭られている英霊が家族に残した手紙を見る機械がありました。もう明日は必ず特攻隊で死んでいくというのに、死に対する恐れなど微塵も感じさせず、ひたすら家族のことを思いやり、祖国の安寧のために自らの命を懸けるその姿に改めて触れた時、私は思わず「恥ずかしい」泣き崩れてしまいました。「日本の現在の姿を見て、英霊はどのように感ずるのだろう」「自分たちの行き方は英霊に対して顔向けが出来るのだろうか」こうしたことを考えた時、私は嗚咽しながら涙する以外にありませんでした。
いよいよ今年から21世紀の到来です。新しい世紀を迎えるにあたり、私は日本の原点としてあの戦争をもう一度振り返り、「英霊に対して恥ずかしくないのか」ということをもう一度日本人が問いなおさなければならないと思います。歴史を真正面から見つめ、「先人に対して恥ずかしくない生き方をする」ことを、改めて自らの政治の原点として生きていくことをここに宣言します。
今後とも皆様のご指導ご支援を心からお願い致します。
川づくり 街づくり
関戸秋男さんは石川県小松市生まれ。昨年60歳を迎えられ、西田染工株式会社を定年退職されました。お住まいも会社の近く東九条北松ノ木町に構えられ、45年間の歳月をお仕事のみならず、特に高瀬川の美化活動の実践を通して街づくりに貢献されてこられました。会社へお伺いし、そのご活動を西田庄三郎社長とともにお聞きいたしました。(以下敬称略)
関戸:掃除をしたのはだいぶ前からですが、高瀬川の水は以前はしょっちゅう止まって、3日も4日も流れが止まってしまう。するとゴミなんかで、川がとても臭うんです。
高瀬川は二条の「一の舟入」あたりから鴨川の水を引いているのやけれど、五条あたりで鴨川に水をにがしてしまうようになっているんやね。
昔は上鳥羽にも水田があって、用水路としても使われてきたけども、もう水田も無くなってしまって。昔はフナやドジョウ、いろんな魚がすんでおったね。
西田社長:その頃はこのあたりの鴨川の堤も、上の植物園あたりと変わらん様に綺麗で、仕事が終わったら皆で野球をしたりして、よく遊びに出かけたもんです。今の様になったのは新幹線の建設工事が始まってからですわ。今でも、鴨川の美化運動は五条より上なんやね。
汚れていく高瀬川
西田社長:30年ほど前に染工所では自家水洗の設備をしましたから、鴨川や高瀬川でも見かけは美しくなってきましたけれど、当時、糊や染料の原料が天然もので害はなく、魚はずっと住んでいたんですよ。それよりも高瀬川は七条付近でゴミの投棄が多かったんです。京都市はその清掃のために専従員を置いていたぐらいです。昌司さんにお願いしてから九条通りから南でも、ようやく京都市の清掃が入ってくれるようになりました。
関戸:当時から同僚の熊野好影さんと2人で、毎日代わる代わる汚れた高瀬川に入っては、ゴミを拾っていました。今でも2人で週に3日は清掃をしています。嬉しいことに昨年6月、清流に育つ“クレソン”が高瀬川で自生しているのを見つけたんですよ。
高瀬川に鯉戻る
関戸:鯉を放流してみようと思ったのは偶然なんです。たまたま友達からもらった鯉を皆で食べていたんです。クレソンさえ自生するようになった高瀬川に鯉を放してみようと思ったのは、そんなところからだったんです。はじめは2匹、そして3匹と少しずつ増やしてきました。
はじめたのは昨年10月ですので、この高瀬川で育ってくれるのかどうかわかりませんが、毎日川を眺めています。高瀬川の流れが涸れないようになってから、メダカや川エビが住めるようになって、それを餌にしているのだと思います。
川に花あり魚あり
関戸:ちょうど川辺に桜の木もありましてね。はじめは小さな木でしたが30年近くになります。豪雨のときは枝を支えたり、花が終われば消毒をしたりしてきました。花が咲く頃には近所から電気をもらって証明も点けます。
西田社長:そりゃ、花が咲いたらご近所の方と毎晩、花見の宴会ですわ。この桜は早咲きなんですが、それは美しいんですよ。近所の方も楽しんでおられます。
関戸:これからの季節、カルガモやカモが高瀬川にもやってきます。
西田社長:この辺りの高瀬川も鴨川も以前と比べると、ずっと良い環境になってきましたよ。鳥の数も種類も多くなってきましたからね。
川づくり 街づくり
関戸:しかし、いまだに家の前の川でもゴミを捨てる人はいます。川を美しくすれば、いずれ皆ゴミをほかそうという気持ちにならんようになると思います。今日もゴミを揚げに行ってきましたけど、昔はほんとにゴミなんか流れるような川ではなかったんですよ。今ではご近所から「ご苦労様」と声を掛けられたり、「鯉がいるね」と喜んでもらったり。
私が長年勤めた西田染工や我が家の側を高瀬川は流れています。毎日眺める川です。「思い出」も「思い入れ」もあります。今後も出来る限り、続けていこうと思います。
謹んで新春のお祝いを申し上げます
参議院議員 議院運営委員長 西田 吉宏
皆様には、21世紀初頭の新春をお揃いでお迎えのことと、心よりお喜び申し上げます。
旧年中は、皆様方の暖かい御芳情を賜り、お陰で私も参議院議院運営委員長の任を無事果たすことができました。心から厚くお礼申し上げます。
今年は、21世紀の意義ある節目として、千年に唯一、私達が迎えた希望に満ちた新春であります。
最近の世情はインターネット、携帯電話の普及等、“IT革命”による社会環境の変化が、私達の身近に多々現れ、産業構造の変化も余儀なく去れているところでございます。 一方国政におきましても、これ等に対応すべく、総合経済対策として「IT革命の推進、高齢化対策、都市基盤整備、中小企業対策」等々、日本新生のための政策を実現するための、国家戦略として提示いたしておりますが、特に京都は、日本を代表する最先端技術産業を抱えている一方で、歴史と伝統を継承する様々な中小産業が、経済を支えております。
私はいま、“景気回復”に全力を注ぐことが、最重要課題と考え、地域にきめ細かな予算が講じられます様、努力をいたしております。これからもなお、西田昌司府議会議員と力を合わせ、皆様方の生活の安心や安定を構築するお手伝いをさせて頂き、更には、「声、思い」を国政へ届ける掛け橋として、21世紀も頑張って参る決意であります。
どうぞ、これからも皆様方の一層のご健勝、ご多幸を祈念申し上げまして、新年の挨拶と致します。
お陰様で議員在職10年を迎えました
あけましておめでとうございます。
去る12月1日、西田昌司府議会議員は議員在職10年を超えたことにより、全国当道府県議長会から表彰を受け、その伝達式が府議会で執り行われました。これもひとえに講演会の皆様方のご支援の賜物であり、深く感謝いたします。今後とも初心を忘れることなくその職責を果たしてくれることを皆様方とともに期待しております。本年も後援会ならびに昌友会活動に対しまして、ご参加ご協力をよろしくお願いいたします。
京都南区西田後援会会長 米田忠雄
昌友会会長 秋田公司
恥を知らない女達
縁あって多摩御陵の昭和天皇陵にお参りしてきました。昭和天皇といえば昭和21年の歌会始めの勅題「松上の雪」で
『ふりつもる み雪に耐えて いろ変えぬ 松ぞををしき 人もかくあれ』
と歌われ、戦争に負けても変わることのない日本人の心の丈を歌われています。
和歌といえば日本人が心の丈を、やまとことばで表現した詩歌であり、漢詩に対する「やまと歌」であります。それは心の現われで、普通なら恥ずかしくて言えないようなことであっても、自然の花鳥風月の風情を借りながら巧みに読み込んで贈り、その思いを伝えます。その状況は時にはコケティッシュで、源氏物語の「光源氏」と「源典侍」の歌の駆け引きのようになります。
和歌は日本人の心の故郷であり、「大和の国はまほろばの・・・」の精神は、今も脈々として伝えられていますが、はたしてそれは一部の人達だけで、全体の日本人がそうではないかもしれません。日本人の大半は日本語の本質を忘れ、マスメディアに動かされ、ギャグ的なことばを使い過ぎ、話し言葉さえもレベルが低下しています。
例えば、キャリアウーマンの象徴であるニュースキャスターと呼ばれる人でさえ、しっかりとアナウンス出来ていない者もいます。20代後半になればテレビ局を追い出され、週刊誌のスキャンダラスな見出しにおさまっているのでは・・・。結婚に走ったが、それも先妻を追い出して後釜に座り、不倫を不倫とも思わず、普通なら出来ないことを堂々とやってのける。
彼女達は恥を忘れたのではないでしょうか。もっと心の修行をして和歌でも学んでもらったらどうでしょう。
『しのぶれど いろにでにけり わが恋は ものや思うと 人の問うまで』
であり、女はつつしみ深く、しのび、耐えることも学ぶべきでは・・・。本能のままに行動するのではなく・・・。この傾向は男性よりは女性の方が強いように思っているのは瓦一人でしょうか?
そう言えば松坂大輔と問題になった女性もアナウンサー・・・。
編集後記
昨年、初めて老眼鏡なるものを買いました。今までメガネと言えば「虫眼鏡」だけ。二度と何不自由無い視力には戻れない、と思うとわが身が愛しく感じられました。大切に大切にこの体を使わせていただこう、今年から…
編集室 松本秀次