岸田内閣は、歴代内閣の経済政策を180度転換している
10月23日に岸田総理は、衆参両院で所信表明演説を行いました。その中で総理が特に強調したのは、何よりも経済です。「30年来続いてきたコストカット経済からの変化が起こりつつあります。この変化の流れを掴み取るために、持続的で構造的な賃上げを実現するとともに、官民連携による投資を積極化させていく。経済、経済、経済、私は、何よりも経済に重点を置いていきます。」
このように、経済再生に断固たる決意を表明し、その上で、今回の総合経済対策は「供給力の強化」と物価高を乗り越える「国民への還元」を「車の両輪」として実行すると宣言されました。財政健全化と言う言葉は一言も発せず、岸田内閣が積極財政に舵を切っている事は明白です。にもかかわらず、相変わらず世間では、そのうち増税をするんだろうと疑心暗鬼になっています。その理由は、岸田総理が財政に対する従来の考え方を180度転換したということを、総理が自らの口できちんと説明されていないからだと思います。総理に代わり、私がまず大事な事実を皆様方に説明いたします。
国債発行による予算執行は民間への通貨供給である
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大切なことは、国債と税金との関係を正しく理解することです。世間では未だに、国債発行は、国の借金であり、次の世代にそのつけをまわすべきでないと信じている人がいます。しかし、これは国の財政を家計と同じと考えることからくる間違いです。
国家は、家計と違い、徴税権と通貨発行権があります。徴税権とは文字通り、税金を徴収する権限です。通貨発行権とは、具体的には国債を発行して予算を執行することなのです。国家には通貨発行権があることは学校でも教えていますが、それが具体的にどういう仕組みで行われるのか、ほとんどの人がご存じありません。
現実には次のような仕組みで行われます。まず、①政府が国債を発行し、銀行がその国債を購入する。②政府の預金口座に銀行がお金を振り込む。国債は銀行の資産に計上される。③政府が予算を執行する。そのお金が政府預金から民間部門の誰かの預金に振り込まれる。
そして、こうした過程の中で、日銀が民間銀行から国債を買い上げます。④日銀が買い上げた国債は、日銀の資産となり、代金として銀行の口座に日銀から預金が振り込まれる。
以上のことが繰り返し行われることにより、国債残高は増え、その増えた分だけ民間部門の預金残高が増えることになるのです。そして、現実には、以上の取引は、コンピュータの操作により行われています。つまり、お札も国債も動くことなく、キーストロークの操作だけで通貨が発行され、銀行預金の残高が増えるのです。
この事実から次のことが分かります。
a国債発行により予算を執行することは民間部門への通貨供給である。
b国債残高が増えた分だけ必ず民間部門の預金量が増える。また、①から④の行為は政府と日銀が協力すれば無限にできる。
cつまり通貨供給に制限はない。
国債の償還は借換債で行なっている
今度は国債の償還について考えてみましょう。国債の償還は、税金で行っていると考えている人が多いですが、実は違います。国債の償還は、借換債の発行により行っているのです。政府は国債の償還に必要な金額の国債を新たに発行し、その国債を銀行が買い上げる。つまり上記の①と同じことが行われているのです。違うのは、⑤それにより得た資金で政府は、国債の所有者、つまりは銀行もしくは日銀に国債償還の資金を振り込み、国債を回収する。現実は銀行と政府の間で新旧の国債が交換されただけです。従って民間部門の預金量に変化はありません。
この事実から次のことがわかります。
d国債の償還は税ではなく、借換債の発行(償還期限の延長)により行っている。
e国債の償還に財政の負担はない。国債の償還を借り換え済で行っているのは、日本だけではなく、全世界共通の仕組みであり、もし仮に税金で国債の償還を行うとなると、国債残高がその分だけ減ることになる。
Fつまり、国債残高が減れば民間の預金量が減ることになるのである。
現在1100兆円を上回る国債が発行されています。つまり、1100兆円通貨供給が行われたということです。事実、日銀の資金循環統計によると家計の金融資産は1100兆円を上回っており、上記の③が真実であることがわかります。
日銀保有国債には利払費も政府負担は無い
空白区であった3つの選挙区支部長が決定いたしました(2区佐野英志・3区森干晟・6区園崎弘道)
安倍内閣以来の異次元の金融緩和の結果、現在、国債発行残高の1/2以上を日銀が保有しています。そのため、国債の利払い費も半分以上は日銀が受け取ることになります。そして、日銀に支払われた金利は、諸経費を除いて全て国庫に納入することが日銀法により義務付けられています。これから金利が上がれば利払い費が増え、それが原因で財政が破綻するのではないかと心配する人もいますが、現実は、少なくともに日銀が保有している国債の金利については、全額国庫納入が義務付けられているのです。
つまり、日銀保有国債については、償還のための費用も、利払いのための費用も、国家の財政には全く負担をかけないということなのです。これは理論ではなくて事実なのです。そのことを財務省も国会での私の質問で全て認めているのです。(この国会の質疑の様子は西田昌司チャンネルYouTubeで公開しています。ぜひご覧ください)この事実をまず皆様方に知っていただきたいのです。
税金は、国家が供給した通貨を流通させる装置
ここまでの事実が分かれば、予算の財源は国債発行による通貨供給であることが理解できるでしょう。しかし、税金が財源でないのなら、税金は必要ないのでは思う人もおられるでしょう。税金が財源でない事は事実ですが、通貨の流通のために税金は絶対に必要なのです。
かつては、政府の通貨発行は、その価値を保障するため金が必要でした。いつでも額面と同じ金と交換することを保証することにより紙切れである紙幣が流通できると考えられていたからです。そのため金の保有量を超える通貨発行はできなかったのです。これが金本位制です。しかし、現在は、金本位制を採用している国は有りません。金の保有量に関係なく、政府の必要に応じて通貨が発行される仕組みになっているのです。
一方で、政府は国民に納税の義務を課しています。その支払いは政府の発行している通貨(つまり円)でせねばなりません。金で支払うことも、ドルで支払うことできないのです。国債を大量に発行して通貨供給をすれば通貨の信任が崩れる(誰も円を使わなくなる)と批判する人がいますが、最終的に納税の義務を果たすためには、否が応でも政府の発行する通貨(円)を使用する以外ないのです。つまり、日本国で経済活動をする限り、政府の発行する通貨を使う以外ないのです。また、日本は世界一の経常収支黒字国です。即ち、日本は海外にお金を払うのではなく、海外が日本にお金を払う義務があるのです。その支払いも必ず円で決済せねばなりません。要するに、外国も円(日本の国債)を外貨準備として保有しなければならないのです。国債残高が膨れ上がれば円の信任がなくなり、誰も受け取らなくなると言うのもまったくのデタラメなのです。
通貨発行には限界はないが資源には限界がある
P3参議院役員での記念撮影(大臣ではありません委員長です)
以上の事実を1つずつへ確認すれば、通貨発行には量的な限界がない事はお分かりいただけると思います。しかし、通貨を支払って、モノを買ったり投資をしたりすることはできますが、そのモノの供給力には限界があります。通貨は、政府がいくらでも作り出すことができても、肝心のモノには供給力の限界があるということです。
先の大戦の最中、日本は国債を大量に発行して戦費を調達しました。国家総動員法により、あらゆる資源を戦争のために動員しました。つまり、通貨を大量に発行し戦費を調達したのです。一方で、当時の政府は「欲しがりません、勝つまでは」の標語を掲げ、消費を抑制しました。あらゆる資源を戦争に費やしている中で、通貨の大量発行により個人の消費が増えれば、大変なインフレになることが分かっていたからです。事実、戦時中は大きなインフレはありませんでした。
戦時中、大量に国債を発行したことにより、戦後は凄まじいインフレになったということがよく言われます。しかし、国債を発行していた戦時中には、インフレにならず、戦争に負け、「欲しがりません、勝つまでは」が無効化した時、大変なインフレになったのです。戦後は外地からも一切モノが入ってこず、さらに、大都市の工場の多くが焼き払われ、生産力が極端に低下していました。つまり、国債発行ではなく、物不足、資源不足、供給力不足が大変なインフレをもたらしたのです。
コストカット(身を切る改革)が日本の供給能力を極端に低下させた
まさに、極端に供給力が低下したのが敗戦直後の日本なのです。戦時中よりも貧しくなったのはそのためです。ものを作り出す力、供給力こそ国力であり、経済を発展させる源泉なのです。貧困のどん底にあった日本ですが、昭和25年の朝鮮戦争以後は、アメリカの占領政策の変更もあり、一挙に経済発展をして行きました。その原動力になったのが、銀行による融資の拡大です。それまではドッジラインという占領政策の下、銀行はお金を貸すことを制限されていましたが、朝鮮戦争以後は、それが撤廃され、銀行が積極的に融資をすることができるようになりました。銀行が融資をすればするほど、民間部門にお金が供給されます。銀行がお金を貸し出すことを信用創造と言いますが、英語ではマネークリエーションといいます。まさに銀行が融資によりお金を作り出していたのです。さらに、原材料の輸入や生産物の輸出も解禁となり、日本は製造業を中心に大いに発展したのです。銀行が融資をして資金を供給し、日本は世界一の供給力を持つ国になったのです。
ところが、バブル崩壊後、このシステムは完全に破壊しました。バブル後、銀行は貸し出しより回収に励み、民間部門の通貨量は極端に低下しました。一方で、プラザ合意後は円高が進み、製造業は中国を始め海外に移転し、日本国内の供給力は極端に低下しました。国内に残った製造業は、コストカットで海外に対抗する以外、道がなくなりました。これが30年にわたるデフレの原因です。
供給力を強化するという岸田総理の所信表明は、まさにこうしたデフレ路線からの脱却宣言です。官民あげて、コストカットばかりやってきたデフレ路線に終止符を打ち、積極財政で成長路線を目指すことを宣言したのが、今回の所信表明なのです。
樋のひと雫
-アンデス残照-
羅生門の樋
8月ラパスで全ボ研究大会がありましたがチッケトの手配が上手く行かず、今年も2日間ともネットでの参加となりました。先日改めて会議を開いたのですが、昨今の中南米の経済的疲弊がよもやま話の中心でした。特に、過っては南米の経済的中心だったアルゼンチンのデフレ問題では、ボリビアの「ペソ時代」を思い出すとのことです。貧困層の支持を得るためとは言え、何故あれほど金をばら撒くのでしょうね。中央銀行で増刷すれば、社会福祉を解決するのに役立つとでも思っているのでしょうか。「票を金で買う」、分かり易い話ではありますが…。
こんな話をしたあくる日、モロッコのマラケシュで大地震が起こったという一報で目を覚ましました。ネットで確認してもさほどの被害が報じられておらず、ひとまず安心しましたが、その後の報道では被害が拡大しています。数年前の4年間はモロッコのラバトに居りました。教育省のプロジェクトに数県が参加しており、マラケシュにも2ヶ月に1度ほど通っておりました。基礎教育の改善向上を図るためのモデル校を作る為にマラケシュの農村部の学校が参加してくれました。放課後、子ども達とサッカーをするなど楽しい時間を過ごしたことを思い出します。マラケシュ郊外の農村が壊滅的な被害を受けたとか、あの子たちが無事で居てくれることを願っています。テレビではレストランから逃げ出す人々やホテルの倒壊などが報じられていましたが、あのレストランよく行った店です。恐らく、旧市街の定宿にしていたホテルもダメでしょうね。街全体が赤色に染まるマラケシュの復興には時間がかかることでしょう。日本も資金を出すだけではなく、何か人々の目に見える支援が出来れば良いのですが…。
かつての湾岸戦争では、戦後にクウェートが世界の人々に支援を感謝する新聞広告を世界で一斉に出しました。その感謝広告の中に、「Japan」の文字は有りませんでした。最大の資金拠出国だったにもかかわらずです。金を出しても人を出さない日本は、クウェート国民の眼にどう映ったのでしょうか。ウクライナ支援ではG7の議長国として音頭を取るだけでなく、もう少し日本らしい支援は出来ないのでしょうか。例えば、自衛隊には医官がいます。彼らをそのままの形では派遣できないとしても、日本赤十字社に出向させ後方地域の病院で、傷ついた市民や子どもの治療に当たれないものでしょうか。“資金提供国”からの脱却を考える良い時期かも知れません。