財務省次官の間違った認識
BSフジ『プライムニュース』~検証“バラマキ合戦” 財務省トップの警告は積極財政か緊縮財政か~に出演いたしました。
去年、衆院選が目前に迫る中、財務省の事務次官が月刊誌に、与野党の公約を「ばら撒き合戦」と断じた上で、このままではタイタニック号の様にいずれ氷山に衝突して沈没する、と財政破綻の危機を訴える原稿を寄稿しました。現職の事務次官が政治家を批判するというのは異例のことです。職を賭けて財政破綻の危機を諫言するという姿勢を評価する人もおられますが、これは全くの見当違いです。
彼は、カミソリ後藤田と呼ばれた名官房長官 後藤田正晴氏の「勇気を出して意見具申せよ」の訓示に習ったそうですが、大臣に直接物申す事は良しとしても、選挙を目前にした時期においての雑誌への寄稿は政治発言そのものであり、官僚の矩を超えている事は言うまでもありません。ましてや、その内容が財政についての事実誤認です。そもそも、国庫を預かる責任者が、実は日本は破綻寸前と公言することは国債の信任を否定することと同じ意味で、市場が混乱するリスクも有ったはずです。幸い市場は寄稿に全く反応しませんでした。市場の方がより現実を知っているのでしょう。
今回の衆院選挙では、自公で絶対安定多数を確保したものの、真の勝者は議席を4倍増にした日本維新の会です。その主張は身を切る改革であり、まさにこの寄稿と軌を一にするものです。しかし、身を切る改革の意味することは、結局、大衆受けを狙ったポピュリズムでしかありません。現職の財務事務次官の発言により、こうしたポピュリズム政党が躍進したとなれば大変な問題です。
財政破綻とは何を意味するのか全く説明していない
私は、最初にこの論文を読んだ時、このままでは国家財政が破綻すると言う表題について、自国通貨で発行した国債が返済不能になる事は無いと財務省も公式に認めているにもかかわらず、よくこんな出鱈目が言えるものだ、と強く憤っておりました。
更に、この原稿を書くに当たり、もう一度この論文を読んで驚いたことは、実は、国債の償還が出来なくなるとは一言も書いていないのです。そもそも、このままでは国家財政は破綻すると言いながら、この人が主張している事は「国債の残高がどんどん増加している」「世界のどの国よりも多い」「バラマキが続くからこの先も減る見込みがない」「国債の格付けに影響が生じれば日本経済全体に大きな影響が出る」など危機感を煽る言葉が並べられているだけで、国債残高が増えればなぜ財政が破綻するのかと言うことについては一切説明していないのです。これがこの論文の最大のウィークポイントなのです。
国民を不安に陥れる悪質な論文
新設された財政政策検討本部において本部長に就任いたしました(左は安倍晋三 最高顧問、右は高市早苗 政調会長)
国債残高が増加すれば財政破綻すると言われれば、普通の人は国債が返済不能に陥ることだと思うでしょう。それは国家の破産であり、そうなれば経済が大混乱すると考えるでしょう。しかし、国債が償還できなくなるとは一言も書いていないのです。これがこの論文の狡いところです。
実は、国債の償還は税金で支払っているのではなく、新たな国債発行で得た資金で行っているのです。現実には古い国債を新しい国債に入れ替えしているに過ぎませんから、絶対に返済不能に陥るはずがないのです。自国通貨建てで発行した国債は返済不能になることがない。これは主権国家には通貨発行権が有るからです。これは、財務省のホームページにも記載されている事実です。
当然、この事実は財務省の人間なら誰でも知っています。だから、国債残高が増えれば大変だと騒いでも、返済不能になるとは一言も発していないのです。国債残高が増えると騒げば、返済不能になると大衆が思いこむことを承知でこのような発言をしているのです。
国家財政を家計に例える悪質な情報操作
この様な財務省の国民に不安に陥れる手法は、「国家財政を家計に喩えれば」として長年に亘り行われてきました。サラリーマンの家計では、働くことによってしか収入が得られません。借金をして収入以上の生活をしていれば、そのうち破産するのは自明の理です。しかし、政府は税収だけでなく通貨発行により歳入を得ることができますから、国家財政を家計に喩えるなど全くの間違いなのです。それを承知の上で、国家財政を家計に喩えて、税収以上の予算を執行していればいつか必ず破綻すると国民を誤解させ不安を煽ってきたのです。
私たちが国家財政を家計に喩えるのは間違っていると再三にわたり指摘した結果、財務省は今ではこうした表現はしないようにしていますが、いまだに家計と国家財政を混同して誤解している人が圧倒的に多いのが現実です。
国会議員や経済人の中にも誤解している人は大勢います。この論文が発表されて、財界人や経済学者の中からもこの次官のことを日本の財政危機を訴える気骨の役人と評価する人もいます。これは、彼の思惑通りの反応をしているにすぎないのです。
なぜ財務省は誤った情報を流すのか
自民党本部で岸田総裁出席の緊急役員会の様子
財務省の主要な権限は徴税権と予算査定権です。税金をかけたり予算を配分したりする権限を持っているからこそ、省庁の中の省庁と呼ばれる力を持っているのです。現実には、ナンバーワン省庁と言うだけではなく、国会議員よりも強い権限を持つに至っているのです。
彼は論文の中で「私たち国家公務員は、国民の税金から給料をいただいて仕事(公務)をしています。決定権は、国民から選ばれた国民の代表たる国会議員が持っています。決定権のない公務員は、何をすべきかと言えば、公平無私に客観的な事実関係を政治家に説明し、判断を仰ぎ、適正に執行すること。」と殊勝なことを述べています。
現実にはこの逆で、事実を述べず、もしくはねじ曲げて説明しているのです。こうした手段により、国民や政治家をコントロールすることにより、ナンバーワン省庁どころか、国権の最高機関である国会をもコントロールする力を持つに至っているのです。
国民の不安を煽り支配力を強める財務省
そしてこの力を維持するためには、常に国民や国会議員を財政の危機にあるという不安感で縛っておく必要があるのです。私も今までは、財務省のことをここまでひどく批判してきた事はありませんでした。彼らの発言は事実を誤認してはいるが、それも国家財政を預かる者の使命感がなせるものと思っていました。
しかし、今回の論文はそうした私の甘い考えを完全に否定しました。日本の状況を、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの、と喩え危機を煽る一方で、国債が償還不能になるという事には一言も触れない。その理由は、日本の国債が償還不能になるはずがないことを知っているからとしか思えません。
財政破綻が来るという恐怖心で国民を縛り、結果的に自らの支配力を強める手法は国家の財政を預かる役人の使命を完全に逸脱しています。こうしたことを繰り返しているうちに、国民だけでなく財務省は自らも洗脳してしまっているのです。
通貨発行とは国債発行のこと
ここで通貨発行について考えてみます。一万円札などの現金(通貨)はどういうルートで私たちの手許に来たのでしょう。銀行のATMで下ろせば現金が手に入ります。銀行預金を引き出せば現金となり、現金を預ければ預金になる訳で現金と預金は表裏一体の関係にあります。
では、預金残高はどうすれば増えるでしょうか。現金と預金は表裏一体ですから、現金を預けたら預金は増えても手許現金は減りますからその総額は変わりません。預金残高が増えるのは銀行から借金した場合しか有りません。逆に減るのは借金を返済した時です。この事をよく覚えておいて下さい。
同じことが国債発行でも起きています。給付金で考えてみましょう。政府が国債発行をして、国民一人当たり10万円の給付金を一億人に配ったとすると政府の借金が10兆円増えますが、同時に国民全体で預金や現金が10兆円増える事になります。政府の借金が国民の預金や現金を増やしたのです。これが通貨発行なのです。政府は、国債発行して予算執行することにより、国民に通貨を供給することができるのです。
では、国債の償還はどうするのか考えてみましょう。期限が来た国債は新たに国債を発行して得た資金で償還されます。事実上の借り換えで、税金で返済しているのではありません。税金で返済していれば国債残高は増えません。国債残高は国民に通貨供給した金額の合計が幾らかということです。これを減らすということは、国民から通貨を奪う事になります。財政出動は国民に通貨を供給することです。税金は供給した通貨の回収装置なのです。この二つの機能を組み合わせて国民生活を守ることが財務省の本来の使命なのです。
財政政策検討本部設置の意味
通貨発行権を行使するとは国債発行による財政出動をするということ。税金はそれを回収して社会の格差を是正し、社会を有るべき方向に誘導する装置。これが現実であり、事実なのです。従って、税金の範囲内で予算執行するべきという財政均衡論は間違いなのです。現に、世界中のどの国も財政均衡、つまり国債残高がゼロの国は存在しません。国債残高の多寡が問題なのでは有りません。国民生活が安定し国家が機能してしているかが問題なのです。
我国では20年以上にわたるデフレ状態が続き、格差が広がっています。更にコロナ禍による経済のダメージが続いています。外を見れば、中国が軍事力を強化し、領土拡大の野心をあらわにしています。政府がやるべき仕事の量は計り知れません。今こそ、通貨発行により政府がその責務を果たすべき時なのです。
それを行うために設置したのが財政政策検討本部なのです。財政均衡派、積極派双方の意見を聞き財政政策を正しい方向に向かわせます。乞う、ご期待。
瓦の独り言
「歌舞伎で日本人の感性を再認識!」
羅城門の瓦
新年寅年。あけましておめでとうございます。
コロナ過とともに新年を迎えましたが、世の中は普段に戻りつつあるかのようです。昨年末には「当る寅年吉例顔見世興行」も行われ、京都五花街の芸舞妓の「花街総見」も新聞記事に出ていました。
歌舞伎といえば、昨年末に中村吉右衛門さんがお亡くなりになられました。吉右衛門さんといえば「鬼平犯科帳」の火付盗賊改方の長谷川平蔵がテレビの時代劇の当たり役で、平成の30年間を務められました。また、瓦にとっては、歌舞伎の「楼門五三桐」の「石川五右衛門」役が忘れられません。歌舞伎を何も知らないとき、15分間の「楼門五三桐」が南禅寺の山門での出来事であることを教わりました。登場人物の真柴(ましば)久吉(ひさよし)、武(たけ)智光(ちみつ)秀(ひで)が羽柴秀吉、明智光秀であり、石川五右衛門の育ての親が明智光秀で、五右衛門が羽柴秀吉を親の仇と狙うといったストーリーで、歌舞伎では時の権力者に忖度をしてか、史実と異なった世界を演出していることも知りました。改めて、ユーチューブで吉右衛門さんの「楼門五三桐」を見直したところ、史実とは異なっているが、そこには日本人の感性、人の心情のやり取りが現れていることを再発見しました。
今、若い方に歌舞伎の「楼門五三桐(さんもん・ごさんのきり)」の漢字が読めるのか?理解できるのか? と首をかしげているのは瓦一人だけではないはずです。前回、「煙管」について書きましたが、昨年度末の12月14日に、「今日は討入り蕎麦を食べる日」と若い者(息子たち)に言ったら、「それ、何のこと?」との答え。
忠臣蔵などを扱った「歌舞伎」などの古典(?)から、さらにはさかのぼれば「源氏物語」から、日本人の感性や心情を見直す時が来ているように思っているのは瓦だけではないはずです。古臭いと言われようが、そこには失われつつある日本人の感性、義理人情があふれており、それを再認識して、次世代に継承していくのが、我々、瓦の世代の役目ではないでしょうか?
「伝えよう、美しい精神(こころ)と自然(こくど)」を信条とされ、我々が国会へお送りしている西田昌司参議院議員も歌舞伎を通しての日本人の感性、義理人情についても同じ思いを抱いておられる、と確信しているのは瓦一人だけではないはずです。