安倍元総理への応援要請
自民党京都府連政経懇話会にお越しいただいた際の安倍晋三元総理(令和4年6月4日)
7月8日は、午後12時半、四条河原町に、吉井あきら候補の応援に安倍元総理が駆けつけて頂くことになっていました。その週の月曜に出た各紙の世論調査では、吉井候補始め有力三者の支持率がほぼ拮抗しており、中には吉井候補が三番手になっている地域もあると報じられました。このままでは議席を失う可能性もあり、私は強い危機感を感じました。しかし、多くの人にその認識が有りません。私は携帯電話の電話帳に記載されている多勢の人に電話を架け実情を話し支援拡大の要請をしましたが、最初は誰もが吉井候補は大丈夫でしょうと言われます。事実を説明して漸く支援拡大に応じて頂きましたが、私は今回の選挙の厳しさを痛感していました。
すぐさま緊急選対会議を招集して、私と同じ様に携帯電話で知り合いに支援要請をすることを徹底することを伝えると同時に、安倍元総理へ電話をし、京都への来援をお願いしたのです。安倍元総理には既に他の候補の応援日程が入っていましたが、変更して来て頂くことになったのです。ところが、京都に応援に来る途中の奈良であの惨事が発生したのです。四条河原町で来援の準備中に「安倍さんが撃たれた」との一報が入りましたが、とても信じられず、「何故、安倍晋三が撃たれなければならないのか!」と私は叫びました。
その時はまだ詳細は分かりませんでしたが、京都に来られないことは確実です。そのため、街頭遊説を中止すべきではないかという意見も出ましたが、私は予定通り行うと決断しました。それは、新聞で大々的に安倍元総理の来援を広告しており、この事態を先ず市民に報告することが必要だと思ったからです。また、その後の選挙活動も自粛すべきとの意見もありましたが、それも退けました。
もし、安倍元総理と相談すれば「私のことで選挙活動止めてどうするのか。ウクライナ問題やコロナ対策など、現下の国難を乗り越えるには、選挙で勝利し政権基盤を安定させるしかない。選挙活動を止めるな!」と必ず言われると私は確信していたからです。
その後、安倍元総理の死亡が報じられました。私は「これは弔い合戦だ。勝利の報告を安倍先生の御霊に報告させて頂きたい!」このことを演説会で一心に訴えてきました。お陰様で、無事に二之湯先生の議席を吉井さんに引き継ぐことができました。皆様のご支援に心より感謝致します。しかし、一方で安倍晋三という政治家を失ったことは誠に残念であり無念です。悔しさと憤り、そして喪失感で一杯です。
京都で維新の進出を止めた意義
今回の参院選挙がいつにない激戦になった背景には、維新の会が候補者を立てたことにあります。維新は京都を最最最重要区として、連日大阪から知事や市長が公務そっちのけで来援し、「大阪の改革を京都でも」と訴えていました。大阪の改革とは身を切る改革のことです。しかしその結果、大阪では保健所や医療機関の職員が大幅に削減され、コロナ禍による死亡者数が人口当たりで日本最悪の結果になっているのです。
この事実をマスコミはまともに報道していません。それどころか、連日、吉村知事や松井市長のパフォーマンスばかりを報じて来ました。それが近畿地方全体に放送されるのです。関西系のテレビ局のワイドショーなどは完全に維新に電波ジャックされた様なものです。
更に、今回は国民民主の京都の衆院議員が維新の候補を全面的に応援しました。大阪の改革がコロナ対策で大失敗していることを、この方はなんと考えているのでしょう。こういう勢力が京都で増えれば、京都でも大阪の改革が押し付けられるでしょう。その結果、コロナのような感染症が出る度に、大阪の様に命を落とす人が増えることが危惧されます。
今回は、何とか維新の進出を押さえ込むことができましたが、来年の統一地方選挙や再来年の市長選挙でも、必ず彼らは候補者を立てるでしょう。京都を守るために、彼らの進出を絶対に抑えなければなりません。
安倍元総理の遺志
岸田総理に財政政策検討本部からの「提言」を直接お渡しする
安倍元総理は、平成18年の第一次安倍内閣誕生以来、「戦後レジームからの脱却」をスローガンに掲げておられました。実際、憲法や東京裁判史観のように占領中GHQによって作られた法律や制度、歴史観が未だに日本を縛り続けています。その結果、本来の日本人としての価値観や伝統や文化が損なわれています。日本が真の独立国になるためにはこうした占領政策の縛りを取り払わねばならないと考えておられたのです。
占領中に日本国憲法が作られましたが、その前文では「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と誓い、9条では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と書かれています。今や憲法はGHQが作成したという事実は国民に知られる様になりましたが、占領初期においては自分で自分の国を守ることすらGHQは否定していたのです。このため、自分で自分の国を守るという独立国として当たり前のことが戦後の日本ではタブーになっています。
また、先の大戦についても、大東亜戦争という当時の政府の正式な呼称が占領中にGHQに否定され、太平洋戦争と呼ぶことになりました。さらに、東京裁判により日本が一方的にアジア太平洋に侵略したと一方的に非難され、それに関わった人間は戦争犯罪人として処罰されました。この東京裁判の処分を受け入れることにより、日本の占領が解かれたのですが、その後様々な公文書がアメリカから発表され、東京裁判史観は事実ではないことが判明しています。それにもかかわらず、日本では未だに東京裁判史観が正式な歴史として扱われているのです。逆に事実に基づく歴史を語れば、それは歴史修正主義者として非難される始末です。
安倍元総理はこうした事態を深刻に受け止め、戦後の日本を縛り付ける占領政策を一掃することを目指して「戦後レジームからの脱却」と訴えておられたのでした。私も府議会議員の時代から同じ問題意識を持って訴えてきましたが、国会議員でこれほど明確に訴えられた方は安倍元総理が最初だったと思います。
財政法も戦後レジームそのもの
財政政策検討本部で最高顧問を務めていただいた安倍元総理
昨年、岸田内閣が誕生し、私は引き続き政調会長代理を拝命しました。自民党総裁選の決戦投票に残った岸田総裁と高市政調会長は、共に財政出動の必要性を訴えておられました。そこで私は、従来の財政再建推進本部を財政政策検討本部に衣替えすることを高市政調会長に進言したのです。その進言が認められた結果、私が本部長に任命されたのです。そこで私はかねてから積極財政を唱えられていた安倍元総理に最高顧問の就任をお願いしたのです。
この検討本部では、財政健全派の意見と積極派の意見の両論を対比させ、その根拠となる事実について検討してきました。これにより明らかになったのが、そもそも財政健全化を主張する方々の論拠が財政法の「歳出は税収の範囲内ですべき」という趣旨の規定にあるということです。財政法にこう書いてある以上、国債発行は慎まなければならないというわけです。
しかし、これは昭和22年という占領初期に作られたもので、その目的は防衛費などに国の予算を自由に使わせないための規定です。憲法9条を財政面で担保するためだったことが今や明らかになっています。つまり、財政法も憲法と同じく、日本の自立を阻むための占領政策の一環として作られたということなのです。安倍元総理や私たちは、財政政策検討本部での様々な議論の中で、財政法も戦後レジームであったことに気づいたのです。
「自分で自分の国を守る」「コロナ禍ようなパンデミックは全力で抑える」「経済的に危機になれば、その人を救う」など、国民生活と社会の秩序を守るためには、ありとあらゆる政策を駆使しなければなりません。それは言い換えれば経世済民であり、国家の使命です。経世済民のための予算を税収の範囲内で抑えなければならないというのでは、まさに国家としての使命を放棄していることになります。財政法に従うべきだということに拘っていれば、国家の使命を果たせないのです。このことに、安倍元総理始め財政政策検討本部の多くの議員は気が付いたのです。そこで、参議院選挙後、自民党が勝利して政権を安定させることができれば、この事実を党内で徹底的に議論して、財政健全化が全く意味のないものであることを国民に知らしめるために安倍元総理と相談していたのです。
その矢先に安倍元総理が凶弾に斃れました。この損失は計り知れませんが、残された我々が安倍元総理の遺志を継いでいかなければなりません。
身を切る改革は戦後レジームに縛られている
維新の会は、憲法改正に積極的な発言を繰り返していますから、自民党よりも保守的な政党だと思っておられる方が多い様です。しかし、彼らが看板政策としている身を切る改革は、経世済民という国家の使命より財政健全化を優先させることに外なりません。正に戦後レジームに縛られた論理なのです。
京都では幸い、選挙区で議席を与えることが阻止できましたが、比例票では3年前より倍増しています。このことに私は危機感を抱いています。経世済民とは世をおさめ民を救うという意味で、それを略して経済という言葉が生まれたのはご承知の通りです。そして、経世済民を行うことが世の中の持続的発展をもたらすのです。ところが、維新の会の言う身を切る改革は、これとは逆に経世済民を否定しているのです。
身を切る改革と同じことを、かつて自民党は構造改革と言い、民主党は事業仕分けという言葉で主張していました。いずれも、それは失敗に終わりました。それは、財政法という日本の財政の自由を奪い日本を貧しくすることを目的とした戦後レジームに従うことだったのですから、当然の帰結です。従って、維新の会の身を切る改革も同じ運命を辿っていくでしょう。
安倍元総理の遺志を伝えるとは、正にこうした歴史の事実を国民に知らせることに外有りません。安倍元総理の死により失ったものはあまりにも大きいですが、改めて、日本の真の独立のため全力で取り組むことを安倍元総理の御霊に誓います。
樋のひと雫
-ボリビア残照-
羅生門の樋
今、中米に過去にない実証実験(?)をやろうとしている国があります。エル・サルバドルです。人口650万人、コーヒ-生産以外では加工産業が発達し、中米では工業化に成功していると言われています。30年程前に10年余り続いた内戦に漸く終止符を打ちました。しかし、以降も経済的な苦境は続き最大の産業は「出稼ぎ」とさえ言われています。また中米の多くがそうであるように、マフィアの跳梁が激しく、つい4ヶ月ほど前には治安維持の為に非常事態を宣言し、夜間の活動が制限されています。その国で、自国通貨が仮想通貨に変更されました。この話を耳にして、エルサルにいる友人と話をしました。
「本当に通貨がなくなったの?」まず聞いたのがこれです。国家は中央銀行を通して通貨の総量を規制し、財政の規律を維持します。自国経済の発展や国民生活の発展に役立つように抑制します。この手段が無くなります。「ネットを持ってない人間はどうするの?」最近は日本でも仮想通貨は良く聞きますが、余り現実味がある話ではありません。時間によって大きく変動する価値では、安定した生活が送れるのかとつい心配になります。我々の様なガラケー人間はどうするの(まあこれは日本だけの話ですが…)。「農村部のネット環境って、そんなに進んでいたっけ?」ニカラグアに2年程いたのは数年前、エル・サルを訪問してからずいぶん経ちます。つい心配になります。仮想通貨使用にはChivo Walletというアプリが必要なこと、政府発表で500万人がインストール済ですが使用可能なスマホが限られ、当初は反対が随分あったこと。「国民の半数以上が銀行口座を持っておらず、海外(の出稼者)からの送金を受けることができない。口座があっても送金にはコストがかかる。」といのが政府が導入した説明だそうです。
つい最近もメールが来ました。実際に大手スーパ-やマクドナルド、スターバックスでは仮想通貨専用レジがあり、列を作っている。しかし、事務机を買おうとしたら仮想通貨での支払いを断られ、米ドルで支払ったとのことです。まだまだ現金が強いと云うことでしょうか。国民は30米ドルのボーナスが貰えるのでインストールしたのですが、日常は米ドル、クレジットカードだそうです。普段の生活は変わらないという内容でした。ラティーノは強かと思いながら、かの国の財政報告や予算書はどうして作るのだろう? また、疑問が湧いてきました。