預金は借金により増える
自民党京都府連として門川大作氏への推薦を決定
MMTとは、端的に言うと「通貨(預金)は債務により生まれる」という事実に基いて、経済現象を説明したものです。それはまず、銀行預金が増える仕組みを考えれば分かります。銀行預金が増えるのは誰かが預金をするからだと考えがちですが、それは違います。手許の現金を預ければ確かに預金残高は増えますが、手許現金はその分減ります。現金と預金は基本的に同じものですから、銀行に現金を預けただけではその合計額は一円も増えないのです。これは理論では無く事実です。この事実を基に経済現象を考えてみましょう。
バブル時代の教訓
景気が良いとは世の中にお金が回っている状態のことです。「通貨(預金)は債務により生まれる」という事実を基に考えると、景気が良くなるためには誰かが借金をしてお金を使うことが必要なのです。これはバブル時代を思い出せば分かるでしょう。平成2年頃がバブルのピークでしたが、不動産を担保に借金をして株や土地に次々投資が行われました。当時、日本はアメリカを追い抜き世界一の経済大国になったと自惚れていました。
しかし、値上がりを続けていた不動産価格が下がり出すとバブル景気はあっけなく終わりました。不動産価格の下落により、返済不能の借入金が大量に発生したからです。銀行には多額の不良債権が発生し、これが社会問題となります。バブル後、しばらく塩漬けにされていた不良債権でしたが、 平成9年の北海道拓殖銀行の経営破綻を契機に一挙に顕在化することになります。
不良債権の損失計上にとどまらず、銀行は貸しはがしと呼ばれるほど厳しい債権回収を行いました。この結果、バブルのピークの頃、700兆円近くあった民間企業の借入金は、一気に200兆円近く減ることになります。これは、「通貨(預金)は債務により生まれる」の逆の現象が発生し、世の中から一挙に200兆円の預金が減ったことになるのです。この後日本は一気にデフレ化するのですが、その原因は200兆円の預金喪失にあるのは言うまでもありません。
国債発行による財政支出の意味
国債は政府の債務です。国債を発行して財政出動するということは、民間企業が借金をして投資や消費をするのと経済事象的には全く同じことです。 「通貨(預金)は債務により生まれる」この事実は当然国債にも当てはまります。政府の国債発行により民間の預金残高は増えることになります。
財務省に拠れば、国債残高は、2019年度末で897兆円となる見通しで、この額は一般会計税収の約15年分に相当し、国民1人当たりに換算すると713万円の借金を負っていることになると言います。超低金利政策によって金利は低く抑えられていますが、金利が上昇すれば利払い費が重くのしかかると、彼らは国民を脅し続けています。
しかし、この意見は全く的外れです。何故なら、政府債務が897兆円あるのは事実ですが、それと同時に民間預金が897兆円供給されていると言う事実を彼らは無視しているからです。財政再建派はこの事実が理解できていないのです。
国債を全額償還すれば国民は貧困化する
彼らの弁に従えば、いつかは国民から増税をして897兆円の資産を国民から徴収しなければならないことになります。しかし、もしこうしたことを実行したら経済は大パニックに陥るのは明らかでしょう。政府は国債という債務がなくなりますが、国民は897兆円の資産を奪われ、生活は困窮するのは明らかです。政府の債務は消えても国民は塗炭の苦しみを味わうことになります。
また、実際に国債を保有しているのは日銀と民間銀行ですが、約450兆円の国債を保有している日銀は、国債保有残高がゼロに成ります。代わりに約450兆円の日銀にとっては負債としての当座預金が減額されることになります。これは、日銀の通貨発行額が減額したという意味です。民間銀行が保有していた国債残高はゼロになり、日銀当座預金がその分増加します。国債残高の10%前後は外国人が保有していますが、彼らには国債の代わりに円建の預金が振り込まれます。
国債を保有していた銀行や外国人によっては、デフォルトの心配の無い安全な投資の機会を奪われ、代わりに金利の付かない預金と交換されてしまうことになるのです。これでは、銀行の安定経営にも支障がでます。
結局、政府の負債はゼロになってもその分国民の資産がなくなるのですから、国民が貧困化するのは必定です。つまりは、国債が償還された分だけ、国民が保有していた預金通貨が消滅することになるのです。財政再建のためだと国債残高を削減すれば、必ず、国民の預金残高も同じ額だけ減少するのです。
国債が増えれば預金が増え、逆に、国債が減れば預金も減る、これは理屈ではなく事実なのです。これを理解していれば、少なくとも景気が悪い時に財政再建だと言って国債を減らすような事はしてはならない、全くの愚策だと分かるはずです。
戦後の財産税課税は究極の国民窮乏化政策
実は、国債を全額増税で償還するという究極の窮乏化政策が実施されたことがあるのです。それは昭和21年に実施された財産税課税です。終戦当時、政府には国民所得の250%近い国債残高があったと言われています。
終戦直後に、日本はいわゆるハイパーインフレに襲われ物価が暴騰するわけですが、その原因は、戦費調達にための国債乱発による通貨供給超過が原因だと言うことが一般的には言われています。
しかし、真の原因は戦争による生産設備の喪失による供給力不足とや復員による急激な人口増加による需要急増であることは、前回述べた通りです。当時はこのことを無視して財産税が課され、国債は全て償還されたのです。インフレ対策として財産税課税がされたと言われていますが、これが全くの愚策である事は論をまたないでしょう。
財産税は、戦争利得者からの財産没収が目的だとも言われていますが、この裏にはGHQによる日本に対する徹底的懲罰指令があったことは間違い無いでしょう。経済状況を無視した国債償還は国民窮乏化政策でしかありません。昭和25年の朝鮮戦争までの時代は、アメリカは日本に懲罰を与えることを占領目的としていましたから、こうした政策がとられたのでしょう。
戦後79年経ちました。デフレでもなお国債残高を減らすべきだと言う財政再建至上主義者は、戦後の財産税が何をもたらしたのか、もう一度しっかり検証すべきなのです。
消費増税と法人税減税、所得税の累進課税緩和がデフレを加速
また、デフレを加速させた実質給料減額の原因も考えておく必要が有ります。私は、4つの要因があると考えています。
1つ目は、消費税の実施によるものです。消費税では、給与は仕入れ税額控除の対象になりませんが、外注費は仕入れ税額控除の対象になります。消費税においては、給与を支払うより外注費にする方が、納税額は少なくなるのです。
2つ目は、バブル崩壊後の企業のリストラによる給与のアウトソーシング化が進んだことです。これにより給与を固定費から変動費に置き換えることができ、企業は安定した利益を上げることができるようになりました。
3つ目は、経営者に成果報酬を認めるビジネスモデルが普及したことです。利益を出した経営者には、その分の報酬を上乗せすることが当然の権利の様に認められる仕組みが定着したのです。
4つ目は、所得税の累進構造の緩和です。かつては住民税を合わせれば、2,000万円を超えれば 6割を超え、8,000万円を超えれば9割近い額が課税されていました。そのため高額報酬をもらっても手取り額は殆ど増えなかったのです。その結果、経営者も高い報酬を望まなかったのです。広く薄く課税するという消費税の導入により、累進課税は年々緩和され、現在では最高税率は住民税を合わせても55%になっています。このため、高額報酬をもらっても半分近くは手許に残すことが可能になり、経営者の報酬を上げるインセンティブが増加したのです。
こうした税制の変更により、ビジネスモデルは一変したのです。成果報酬が認められるようになると、企業は給料をアウトソーシング化することにより、利益を上げることができ、それにより、経営者はより多くの報酬を得ることが可能になったのです。また、アウトソーシングにより給料は外注費に変わり、消費税額を少なく抑えることが可能になりました。一方アウトソーシングを受注した企業は、必然的に社員の給料を安く抑えなければ経営が成り立たちません。
この結果、一部の経営者が多額の役員報酬がもらう一方で、多くのサラリーマンの給料が安く抑えられる結果となったのです。これが国民消費を抑え経済をデフレ化させる根本原因を作っています。企業業績が良いにもかかわらず経済がデフレ化するのは、ここに問題があるのです。
また、企業の投資を増やすために法人税を減額し可処分所得を増やす政策が取られました。しかし結果は、全く逆のことになりました。住民税や事業税を合わせれば、かつては5割を超える実効税率がありました。そのため、税金を取られるくらいなら、従業員に給料ボーナスを払ったり、新しい車を買ったりするケースがよくありました。決算対策として、どこの企業でもこうしたことをしていたのです。
ところが法人税を下げ、実効税率が3割程度になると、あえて決算対策をする企業はほとんどなくなりました。従業員のボーナスも増えず投資もしない、その結果、内部留保が積み上がり、上場企業だけでその額は446兆円(2017年)に上ります。私は当初から、法人税を下げればこうしたことになると、党の税制調査会の役員会でも法人税減税を反対し警告を発していましたが、正にその通りになったのです。
政府の負債が増え、その分の預金資産を国民に供給しているにもかかわらず景気が良くならないのは、こうした税制とビジネスモデルにも原因があります。デフレからの脱却のためには、平成30年間の税制や財政を根本的に見直す必要があるのです。
「故郷を支援する参議院の会」での取りまとめを世耕参院幹事長とともに安倍総理に届けました
瓦の独り言
-新年のお屠蘇は「女酒」?「男酒」?-
羅城門の瓦
新年、明けましておめでとうございます。皆様方には令和の新春を日本酒でお祝いされていることと思います。 そのお酒は「女酒」or「男酒」? 何の話かと言えば、伏見の日本酒を「女酒」、灘(兵庫県)の日本酒を「男酒」と称して甘口だの、辛口だのと吞み助は言っています。この違いは、酒造りに用いる醸造用水によります。
伏見のお酒は、カルシウムやマグネシウムなどのミネラル成分が少ない「軟水」を使っており、比較的長い時間をかけて発酵させます。それゆえ、酸味は少なく、なめらかで、きめ細かい淡麗な味を生み出してきました。一方、灘のお酒は酵母(酒造りの原料)の栄養となるミネラル成分が多い「硬水」を使っており、発酵期間が短く、やや酸味の多い辛口のお酒になります。
現在では醸造技術が発達し、「軟水」「硬水」のいずれを用いても甘口、辛口のお酒が造り分けられますが、伏見の日本酒は「宮廷料理から発展し、進化した京料理に合う酒」として洗練されてきました。一方、灘の酒は江戸の人々の好み、武士の気質に合う「江戸の下り酒」として重宝され、江戸将軍の「御膳酒」は「剣菱」だったとか。
さて、酒造りの味を左右する「軟水」「硬水」の話ですが、水1ℓ中のミネラル成分(カルシウム、マグネシウム)の量を「硬度」と称して(JIS規定)「軟水」は(硬度0~60mg/ℓ)「中軟水」は(61mg/ℓ~120mg/ℓ)「硬水」(121mg/ℓ~180mg/ℓ)とされています。ちなみにミネラルウォーターのエビアンの「硬度」は304mg/ℓです。水による「硬度」の差は地下水が通る地層の違いによります。伏見の地層は花崗岩でできており、この層を桃山丘陵に降った雨水がゆっくりと西へ流れていき(中には60年もかけて井戸に来ている水脈もあるとか)、程よくミネラル成分が溶け出します。一方、灘の「宮水」は地層に貝殻層(目の前が海)があるのでカルシウムなどが溶け出して、比較的硬度が高い水になるといわれています。また、伏見の地下水は酒造りの天敵である鉄分がゼロかもしくは微量です。酒造りの用具にも酒がふれる箇所には鉄製品は使わないようにしておられます。
伏見の各酒蔵(現在は22社:城陽市含)は独自の酒醸造用の井戸を持っておられ、中でも伏見の名水めぐりは観光スポットとなっています。瓦は伏見の名水めぐりをしたことがありませんが、酒蔵見学の都度に、各蔵の醸造用の井戸水をいただいております。その時に、京都盆地の地下には「京都水盆」と呼ばれ琵琶湖に匹敵するほどの大きな水がめ存在している話が出てきます。しかし、酒造りにはその水を当てにしてはダメで、各蔵が自社の井戸を守ることが使命であり、またその井戸水を酒造りに生かすのも杜氏の使命と聞かされました。酒造りで『選ばれものは「水」と「米」』、とある杜氏が言っておられました。水を大切にしておられる言葉と、お米へのこだわりがひしひしと瓦に伝わってきました。(お米については紙面の都合で後日談にします。)
さて、政治の世界でも『選ばれものは西田昌司参議院議員』と思っているのはお屠蘇を飲みすぎた瓦だけではないと思います。
(瓦の独り言の参考文献:伏見酒造組合25年史・日本醸造協会誌(産技研蔵)など)