平成16年2月29日、船井郡丹波町の農場において高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)の感染が確認さました。また、3月5日には同町内で新たな感染が確認されるなど、日本中がこの問題の行方に注視しました。京都府では2月27日、直ちに山田知事を本部長とする高病原性鳥インフルエンザ京都府対策本部を設置し、発生農場から30キロメートル以内の養鶏農家等に対する鶏、鶏卵等の移動制限を発動し、徹底した防疫措置を講じて参りました。また、府議会においても24年ぶりに臨時の本会議を開き、この問題の早期解決のため、議会としても府や国に対して直ちに適切な対応を取るように決議をし、関係機関に協力を要請してまいりました。こうした結果、3月22日にはすべての防疫措置が完了致しました。鶏卵、鶏肉を食べることにより鳥インフルエンザウイルスが人に感染することは、世界的にも報告されていません。皆様には、冷静な対応をお願いします。
法の未整備が招いた悲劇
今回の事件は、様々の教訓を我々に示しました。その最たることは、法律が現状に全く対応できていないといいことです。家畜伝染病予防法は昭和26年に制定されたのですが、当時は何十万羽も飼育する養鶏場など存在せず、巨大養鶏場を念頭にした法整備が全くされていなかったということです。
浅田農産は船井農場以外に五つの農場があり、そこにはまだ175万羽の鶏が飼われています。それらは鳥インフルエンザに感染をしているわけではありませんから出荷は可能です。しかし、今回の事件により市場から締め出され、出荷は完全に止まり、毎日莫大な量の鶏卵が蓄積されています。今後もこれらの鶏卵や鶏は恐らく出荷できないでしょう。そうなるとこの鶏や鶏卵の処分は一体どうなるのでしょうか。
1羽当たり4~5円の餌代がかかるといわれていますから、175万羽では、一日800万円前後かかることになります。収入が途絶えた中でこれだけの経費を浅田農産が負担し切れるでしょうか。このままでは浅田農産の倒産や社長の逮捕という事態も当然ありうるでしょう。その場合当事者不在の状態で莫大な数の鶏や鶏卵の処分は誰がするのでしょうか。現在の法律では、鳥インフルエンザに感染していない鶏を行政が殺処分することは出来ません。このままでは最悪の場合、175万羽の鶏が餓死し、放置されることもありうるのです。莫大な量の鶏や鶏卵が放置され腐敗したらどういうことになるのかは想像に難くありません。
市場に流通出来ない鶏や鶏卵を処分するには最終的には焼くか埋めるしかないでしょう。しかし、船井農場の25万羽の鶏と鶏卵を埋却処分するだけでも大変な労力と経費がかかったのです。それが175万羽となると一体どういうことになるのでしょうか。現行の法体系の中ではこうしたことがまったく考慮されていません。
また、家畜伝染病予防法では、鳥インフルエンザの感染が確認された場合には、そこから半径三十キロの養鶏場では鶏や鶏卵の移動が禁止されることになります。これは、その地域を封鎖することによりウィルスの蔓延を防止しようとするものです。また日本では、鳥インフルエンザの予防ワクチンの接種を養鶏業者に認めていません。これは、ワクチン接種で鶏の発病を押さえることより、ウィルスの蔓延を防止するという国家防疫が優先されたからです。国家防疫の観点により、事業者に感染の通報を求め、蔓延防止のために殺処分の命令が規定されています。しかし、それを担保するための具体的方策や風評被害も含め、事後の損失の補償などは全く想定されていないのです。そのため、多くの養鶏農家が莫大な損害を蒙っているのです。
浅田農産の事件もこうした国の制度の不備が招いたものではないでしょうか。例えば、もし、浅田農産が一週間早く感染の疑いを届け出ていたら事態はどうなっていたでしょう。近隣の養鶏場への二次感染やカラスへの感染は防げていたかもしれないし、ウィルスの大量増殖も押さえられ、国家防疫上はもう少しましな状態になっていたでしょう。何よりも世間の浅田農産に対する非難はこれほど大きなことにならなかったでしょう。彼らは加害者ではなく被害者として報じられ、会長夫妻も自殺することはなかったかもしれません。しかし、それでも、船井農場の鶏はすべて殺処分され農場が閉鎖されたことは間違いないでしょう。京都産というだけで、市場から鶏卵が締め出されている現実を考えると、今と同じように浅田農産の経営する他の農場からの出荷は出来なかったのではないでしょうか。結局、彼らには破産しか道が残されていなかったのかも知れません。
現行の制度ではこうした事態は十分有り得るし、恐らくそうしたことを彼らも考えたのではないでしょうか。そう考えるとやはり彼らも被害者であることは間違いないのではないでしょうか。30キロ圏内の移動禁止圏内のある養鶏農家の方がポツリと、「明日は我が身や」と漏らされた言葉が頭を離れませんでした。こうした悲劇を二度と出さないためにも、制度の抜本的な見直しを早急にする必要があるのです。
医学研究における日米の国益意識の差異からの考察
医学博士
石上 文隆
昌友塾生
元市会議長 故 石上忠太郎先生のお孫さんです
私は外科医として10年の間、消化器外科の研究に従事してきました。海外の病院でも研修しましたが、その中で感じたのは、殊に日米間の医師、研究者のおかれている環境が、あまりにも違うことでした。日本の研究者は、実験の外、準備、試薬の購入と管理、後片付けまで自分でします。米国の研究者の主な仕事は実験の指示をすることだけで、あとはそれぞれの専門家が担当します。そうしたシステムのなかで日本の研究者が何年もかけてするところを、彼らは数ヶ月あるいは数週間で完成させてしまいます。それが米国における基礎研究の圧倒的な強さにつながっています。
研究者の環境の違いは両国における国家意識、言い換えると国益意識の差のように思います。米国の研究者と話をして痛感したのは、米国政府が自国の国民医療を向上させかつ自国の医学研究が世界一であり続けるためにはどのような研究システムがベストかという事を第一番に考えているということです。日本ではそのような国家、国益意識などありません。施設だけ建ててあとは研究者が勝手にやれというシステムです。
幸いにして国家・国益意識が無いにも拘らず、冷戦構造と日米安保のもとで日本の国際競争力はバブル時代には世界1といわれるまでになりました。しかし現在では韓国に追い抜かれ30位(平成14年)で、31位の中国に迫られています。日本の物の面での豊かさのピーク、つまり実質賃金のピークは昭和47年です。これは少し年配の方々の実感と一致するのではないでしょうか。この頃から日本は米国にならい、余剰利益を賃金に反映させることをやめその代わりに生産効率をあげ株価を上昇させるという米国的株価至上主義を採用しだしました。その結果、プラザ合意ともあいまって壮大なバブルが発生し、それを実質の国力に転換することを怖がり、マスコミのバブル叩きにけしかけられた政府が総量規制という社会主義的政策を採った結果、今日の失われた10余年という経済状況があるのではないか。採るべき政策は総量規制ではなく建築規制の緩和だったのではないか。高層建築が可能になり地価が実質の価値になりえたのではないか。バブル崩壊とその後の不況はアメリカに倣いながらも真に独立した強国たることを恐れた結果ではないか。昭和47年は同時に米国に倣い国家の財政均衡を放棄した年でもあります。その結果、現在の日本の財政状態はボツワナ以下世界最悪の状況です。政府が専守防衛、非核3原則、防衛費GNP1パーセント枠を打ち出した時期とも一致します。つまりこの頃を境に日本が真の独立国になることを捨てあるいは恐れ対米従属を強化していったといえます。バブル崩壊とその後の不況はアメリカに倣いながらも真に独立した強国たることを恐れた結果ではないか。米国の表面のみを倣い今の日本の状況があるのであれば、今後の日本の進むべき道は明らかではないでしょうか。時代は変わりつつあります。西田先生が唱えておられる日本人の精神の復興運動こそが今後の日本政治の目指すべき方向ではないでしょうか。西田議員、昌友塾、京都発言者塾に今後ともなお一層のご支持ご支援のほどよろしくお願いいたします。
-牛肉の味噌漬け-
NHKの大河ドラマ「新撰組!」が好評を呼んでいます。幕末を描いたドラマは主に勤皇の志士からの観点が中心でしたが、今回はなぜか新鮮な感じがします。坂本竜馬と近藤勇が旧知の仲だったとは意外な感じがしているのは瓦一人だけではないはずです。
あの「桜田門外の変」も水戸浪士の私生活から描かれていましたが、以外にも「牛肉の味噌漬」も一役かっていたそうです。
そのわけは、彦根藩では、江戸時代の初めから「薬食い」と称して、食用の牛を生産していました。(いつの世も抜け道はあるものですね)記録によれば、牛肉の味噌漬は将軍家への献上品だったそうです。この牛肉を食する習慣を、井伊直弼が殺生を説き領内で牛屠殺を禁止しました。ところが、水戸のお殿様の斉昭公は将軍お裾分けの牛肉の味噌漬が大好きで、井伊直弼の決断を知らずに再三再四おねだりをしたそうです。直弼は、申し出を断ったばかりか、逆に斉昭公を辱めました。これが原因で水戸藩と彦根藩の間に深い溝が生じたといわれています。これが真実ならば、食べ物の恨みは実に恐ろしいとしか言いようがありませし、「牛肉の味噌漬」が歴史を動かしたともいえるのではないでしょうか?
このように歴史の側面を、三面記事的に眺めてみるのも面白いのではないでしょうか?
さて、近藤勇ならぬ、笑わぬ香取真吾はどのような演技で、我々の知らない幕末の世相、風俗などを紹介してくれるのか、瓦は楽しみにしています。
西田議員と共に
自民党京都府参議院選挙区第三支部支部長
自民党京都府連前幹事長
二ノ湯 さとし
政治家が堂々たる論陣を張るという言葉は、今や死語になりつつあります。哲学や見識を振りかざし、議論を展開できる政治家が、政界で数少なくなってまいりました。西田昌司先生は、まさにその数少ない政治家のお一人です。先生は常に国家、民族を考え、大きい、広い立場から政治に取り組んでおられ敬服に値する政治家です。先生のご指導を頂きながら私も京都と日本のために全力を尽くす覚悟です。何卒よろしくお願い申し上げます。