アベノミクスは新自由主義の整理をすべき
アベノミクスの第二の矢は機動的財政出動と言われました。しかし、実際には政権奪還直後に大型補正予算が組まれたものの、その後は財政出動は乏しく、むしろ、二度にわたる消費増税が行われるなど、実質は緊縮型の予算になっています。その結果、デフレからの完全脱却には至っていません。異次元金融緩和にも拘らず、企業の積極的投資が進んでいません。この残念な結果は、政策に整合性が無いために生じたものです。アベノミクスには政策の整合性が必要なのです。
アベノミクスの、経済再生による財政再建というスローガンは、正しかったのです。ただ、経済再生のためには金融緩和だけでは効果が無いことを、理解していなかったのです。また、機動的財政出動が持続できなかった原因は、国債発行が財政再建の妨げになるという誤解がまだまだ根強くあることです。更に、政府が財政出動により経済再建を主導するのは誤りで、あくまで民間に主導させるべき、政府はそのお手伝いをすれば良いという、民間優先の新自由主義的発想がまだアベノミクスには色濃く残っています。
そもそも、「小さな政府と民間主導」や「財政の効率化と規制緩和」などの新自由主義的政策が平成のデフレを生み出してきたという認識がアベノミクスには足りません。今こそ、新自由主義的政策の総括が必要なのです。
修正アベノミクスがデフレから救う
アベノミクスは、金融政策が主導で財政政策は補完という立場でした。これを財政政策を主導、金融政策は補完と修正すべきです。先に述べた様に、デフレ下では、いくら金融緩和をしても、借り手不在のため銀行の信用創造は増えず、通貨は市場に供給されません。
新規国債発行による積極的な財政出動が今こそ必要なのです。しかもそれは、補正予算などの短期的政策ではなく、長期計画に基づくものでなければなりません。防災減災などの国土強靭化はもとより、新幹線や高速道路のネットワークなどの物流革命、子育て世代への所得支援、団塊の世代の高齢化に対応するための社会保障費の充実など、国債を財源として10年から20年計画で対応する政策を実施すべきなのです。
政府が長期計画とそれに伴う予算を実施すれば、間違いなく民間企業はそれに追随し、自らも投資を行うでしょう。そうすれば、デフレから一挙に脱却できるということは、誰の目にも明らかです。そうなれば、税収も人口も増えますから、結果的には財政も間違いなく安定するのです。
何が何でも国債発行を増やしたくない財務省
ところが、財務省はこれに反対するのです。曰く、「国債を財源に財政出動をすれば、インフレになる。」、曰く、「長期計画で出した予算は途中でやめられない。」「国家の計画は非効率、民間に任せるべき。」、曰く、「社会保障を国債で負担すれば、負担と給付のバランスを保つというモラルが崩壊する。」などなど、自虐的で論拠に乏しい批判ばかりです。そして、最後のお決まりは「国債を無制限に発行すれば、ハイパーインフレになる」とか、「国債だけで財政出動が可能ならば、税金は要らないと言うことになり、社会が崩壊する。」という紋切り型の批判です。これらは批判にもならないものですが、その間違いについて一つずつ指摘していきましょう。
財政出動すればインフレになるという批判ですが、デフレから脱却するとはインフレになることですから、何を批判しているのか全く意味不明ですが、デフレから脱却してもインフレになったらコントロールできなくなると心配している様です。しかし、歴史的に見てもその様な事実はありません。1970年代のオイルショックから始まる狂乱物価と呼ばれるインフレも、1990年代のバブル時代も、数年の内に終息しています。金融引き締めや増税など、インフレ抑制には既に確立された政策の実績があるのです。むしろ、20年以上続くデフレこそ問題のはずですが、彼らにはそうした意識がありません。
社会保障は負担と給付のバランスだけでは持続できない
人生100年時代を迎え、社会保障費給付額は益々増大します。これを持続可能にするためには、負担と給付のバランスをとらなければならない、と良く言われます。いかにも正しい議論のようですが、これでは結局、負担を増やすか給付を減らすかということ以外に解決策は出てきません。
そもそも、高齢者の社会保障費給付額の増大は、団塊の世代の高齢化が原因です。この先20年位が、団塊の世代の高齢化による給付額増大のピークになります。しかし、その後は団塊の世代が亡くなるにつれて、給付額は減少していくのです。要は、この20年間をどう乗り切るのかと言うことです。私は、その財源は国債で対応すれば良いと考えています。
何故なら、現在でも社会保障費の給付の4割は国債発行によって賄われていますが、財務省が指摘するような、インフレや通貨の信任の低下などの現象は全く起きていません。自国建国債がデフォルトしないということは、財務省自身が認めていることですから、団塊の世代の高齢化に対応する社会保障費の給付の財源として、国債発行をしても全く問題は起きないはずです。しかも、その後は社会保障費の給付は減ってきますから、国債発行額も減ることになるのですから、国債発行額が永遠に増え続けるという心配もありません。
むしろ、負担と給付のバランスをとることにより、給付を減らしたり、負担額を増やせば、社会は大混乱するでしょう。給付を減らすとなれば、将来のための備えとしてますます消費が減り、貯蓄が増えるでしょう。また、負担を増やせば、その分所得が減りますから、当然消費は減ります。いずれにしても、消費が減り、貯蓄が増え、デフレに拍車がかかるのです。
むしろ、負担を増やさず、国債を財源にして現在の給付を維持、または充実するとなれば、国民は安心して老後を迎えられます。過剰な貯蓄をする必要もなく、人生を楽しむための消費が増えるでしょう。また、社会保障の給付が増えると言うことは、それをなりわいとしている人の所得が増えることになり、当然消費も増えます。国債残高は一時的には増大しますが、経済の活性化により、税収も増え、財政はむしろ健全な方向に進むでしょう。目先の財政健全化に目を奪われていては、問題の解決はできないのです。
国債残高をゼロにしたら社会は大混乱
年金や医療や介護などの社会保障の給付の6割は、国民側が支払った社会保険料の負担です。残りの4割は国の税金で支払われていると説明する人がいますが、それは間違いです。現実はその大半が、国債の発行によって賄われているのです。国債は国の借金だから、いずれ税金によって返済しなければならないはず、というのも誤りです。
もし、本当に1,000兆円の公債残高を0にするためには、結局は1,000兆円の増税をする以外ありません。公債残高は無くなっても、国民サイドから1,000兆円の預貯金等の資産が失われるのです。財政は健全化しても、社会が大混乱することは目に見えています。
そもそも、財務省自体が、1,000兆円ある公債残高を0にするということを考えていないのです。従って、赤字国債で賄っている社会保障は、決して税金で支払っているわけではないのです。
財務省は、今は赤字国債の発行が可能であっても、将来も必ず安定的に発行できるとは限らないと心配しているのです。しかし、これこそ取り越し苦労というものでしょう。先に国債発行の仕組みを述べたように、政府が新規発行した国債を銀行が買わないという選択肢は無いのです。
何故なら、銀行は日銀当座預金を保有していますが、現在、その金利はほぼ0です。国債には金利が付くのが普通ですから、日銀当座預金を持つよりも国債を持っている方が銀行には有利だからです。
自国建国債は絶対にデフォルトしない
政府が国債を発行し過ぎているから、国債もいつ紙切れになるか分からない。今はまだ良いがこのまま財政再建をしなければ、いずれ通貨の信任を無くす。この様なことが言われ続けてきましたが、それも間違いです。そもそも、そういう情報を出してきたのは財務省ですが、その財務省自身が外資の格付け会社の不当な格付けに、次の様に「日・米など先進国の自国通貨建国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。」と明確に否定しています。これは、今も、財務省のホームページに掲載されています。財務省自身が明確に否定している様に、自国建国債のデフォルトはあり得ないのです。
国債は、額面での償還が保証されている政府の債務で利息が付きます。通貨は日銀の債務ですが、今はほとんど利息は付きません。国債は、償還期日が来れば通貨に交換されます。つまりは、銀行にとっては国債と通貨は実質同じ物なのです。利息が付くか付かないかの違いがあるだけです。したがって、銀行は国債の発行があれば、取得するのです。そして、自身が持っている通貨、つまり、日銀当座預金と交換しようとするのです。
国債発行は通貨供給、納税は通貨回収
「国家の予算は税金によらなくても、国債発行で賄うことができるとするMMT理論が正しいならば、税金は必要ないことになる。」とMMT反対派からよく言われます。しかし、これはまったくの誤解です。
国債発行による財政出動は、国民への通貨供給であり、納税は国民からの通貨回収です。納税を否定すれば、通貨は一方的に供給されるばかりになりますから、必ずハイパーインフレに陥ります。そもそも、納税義務のない通貨供給などありえないのです。
通貨発行権も徴税権も国家主権の行使そのものですが、この二つはセットになって存在しているのです。この二つのバランスを図ることで、国民経済を調節することができるのです。
国債発行による財政出動は国民に預貯金と需要を供給する
国債を財源に財政出動すれば、それは国民へ通貨供給したことになります。同時に、需要を国民に供給することになります。何故なら、公共事業にしても福祉にしても、その事業により仕事を受ける人や給与を貰う人がいるからです。国民の所得の増加が消費を生み出し、結果的に需要を生み出すことになるのです。この様に、国債発行による財政出動は、国民に預金資産と需要を供給することになるのです。
先に、日銀の金融緩和により市場への通貨供給が増えるかどうかは、借り手の存在が鍵だと述べました。そして、借り手が増えるためには、資金を借りて投資をする需要があるかどうかが問題なのです。金融政策だけでは需要を作り出すことができませんが、国債発行による財政出動は、需要そのものを作り出すことができるのです。従って、金融緩和による低金利下で国債発行による財政出動を行えば、民間の信用創造も増え、景気は必ず回復するのです。
財政の黒字は通貨回収、赤字は通貨供給
国家の予算は税金だけに頼ることなく、経済状況に応じては、国債発行で財源を賄うことができるというのが、MMTの主張です。つまり、デフレで不況の時は、財源確保のために増税するより、国債発行で賄えば良いということです。
徴税は通貨回収であり、予算執行は通貨供給です。従って、いわゆる黒字予算とは、徴収した税金の範囲内で予算を支出していることですから、政府による通貨供給が基本的にはない状態のことです。
赤字予算とは、徴収した税金以上に予算を支出するのですから、政府がその分の通貨供給をしているということです。逆に財政再建というのは、税金の徴収以下に予算を抑え、その差額を国債の償還に充てることですから、通貨回収をしているということです。
この事実が理解できれば、デフレ不況の時に財政再建など、有り得ない愚策だと分かります。デフレとは、物価が持続的に下落している状態です。経済活動が停滞して、通貨の供給が不足している状態です。その結果、税収不足が生じているのです。
こうした状態のときには、まず通貨を供給し、経済活動を活発化させることが必要です。具体的には、新規に国債を発行し、景気対策の予算を支出することにより、通貨と需要を国民サイドに供給する必要があるのです。
通貨発行権の有る国家の財政と民間企業の財政とは全く異なる
ここまで、貨幣の正体が負債であることを述べてきました。貨幣には、日銀の発行する日銀券と、銀行が信用創造により供給する預金とがあることも述べました。どちらも負債であることには変わりはありません。しかし、日銀券が日銀の意思によりいくらでも発行できるのに対し、信用創造は借り手の存在がなければ預金を供給できないのです。ここが、両者の根本的違いです。
また、国債は政府の負債であると同時に、それを取得している銀行にとっては、利息が付くため日銀当座預金より有利な金融資産なのです。日銀券が負債であってもデフォルトしないのと同じく、国債も自国建である限りデフォルトしないのです。日銀券が日銀の意思によっていくらでも発行できるのと同じように、国債も国家の意思によっていくらでも発行できるのです。だから、日銀券も国債もデフォルトがないのです。
銀行預金は、日銀券と同じように発行する銀行にとっては負債であり、実際の経済取引では日銀券以上に流通しています。しかし、信用創造は、銀行の意思だけではできません。必ず、借り手の存在が必要なのです。また、経済が冷え込んだときには、信用創造よりも借入金の返済の方が増え、結果的に市場の銀行預金残高は少なくなります。市場に流通する預金量が減ることにより、経済は急激に悪化します。
民間企業は、自由にお金を借りることはできません。経済状況に従いながら、自らの返済能力の範囲内でしかお金を借りることはできないのです。それを間違えれば、デフォルトするのです。
また、民間企業は、黒字経営でなければ借入金の返済原資が出ません。いつまでも赤字経営をしていれば、借入金の返済ができず、必ず経営破綻をするのです。ところが、政府は国債の返済原資として国債をいくらでも発行することができますから、最初からデフォルト自体が存在しません。その上、自ら供給した通貨は税となってその何割かが必ず国庫に納入されます。つまり、通貨供給の過剰によるインフレを制御する仕組みが、最初からビルトインされているのです。
日本の戦後のハイパーインフレの原因は、戦争による供給力不足
国債を無制限に発行すれば、結局はハイパーインフレで経済は破綻をする、その典型的な例が戦後の日本だという人がいます。しかし、これも間違っています。なぜなら、国債を発行していたのは戦前です。戦後は、国債の発行を東京オリンピック以前まではしていないのです。むしろ、終戦直後には発行した国債を全額財産税によって償還したため、国債残高は無くなっていたのです。
敗戦により日本は、国債が紙切れになってしまったと言う人がいますが、実は、財産税による課税で全額償還されています。国民から、財産を取り上げて国債残高を0にするという暴挙を実際に実施したのです。当然社会は大混乱に陥りました。
また、戦争による国債乱発で、日本はハイパーインフレになったと言われていますが、それも事実とは異なります。事実は、終戦直前に東京や大阪や名古屋始め、大都市が空襲で焼かれてしまい、圧倒的な供給力不足になったということです。更に、500万人を超える国民が1年の内に外地から帰国をしました。需要と供給の圧倒的な差が、インフレをもたらしたことは想像に難くありません。
そもそも、日本が占領されていた時代、占領国アメリカの占領目的は日本の弱体化であり、日本への懲らしめであったことはアメリカの公文書でも明らかになっています。昭和25年の朝鮮戦争までこうしたことは続くのです。国債の財産税による全額償還や、緊縮財政など、インフレ対策だといわれていたこの時代の政策は、実はGHQによる日本窮乏化政策であったと私は思っています。
そうした占領時代に、財政法が作られ、赤字国債が禁止されました。更にドッジラインにより銀行の貸し出しにも制限が加えられ、財産法により国債が全額償還されたのです。一方で空襲により生産能力が激減した上、石油石炭などのエネルギーや資源の輸入が制限されていたのですから、圧倒的な品不足状態であったのです。戦後の日本が戦中よりも貧しかったのは当然のことです。こうしたことが、戦後のインフレの原因なのです。
こうした占領時代の実態を、日本人はもう一度総括をすべきです。少なくとも国債が紙切れになってしまったということは、あの戦争の直後においても無かったのです。戦後のインフレは、空襲による供給力不足と占領政策による懲らしめが原因であり、国債を増発したことではありません。
国債が発散する事は有り得ない、必ず制御できる
財務省は、「国債残高が大きくなりすぎてインフレになると、利息が極端に高くなり、それが成長率を超えると債務の返済が不可能になる。債務残高は限りなく膨れ上がり発散する。」とよく言います。財政再建をしなければ、いつか、ハイパーインフレが起こり、社会は壊滅状態になるというのです。 そうならないようにするために、財政再建が必要なのだと、プライマリーバランスの黒字化や、債務対GDP比が財政再建の指標として用いられます。その結果、増税もしくは歳出削減が政策として誘導されることになります。こうした論法が、日本を20年以上にわたるデフレに落とし込んだ原因です。
しかし、財務省の主張にも拘らず、日本の国債残高は昭和40年代以降一貫して増え続け、今やGDPの2倍にもなろうとしています。しかし一方で、金利は右肩下がりで下がり続け、今やマイナス金利になっています。インフレを恐れるあまり、デフレの花を咲かせてしまった。これが、財政再建政策の実態でしょう。
そもそも、財務省が心配する国債の発散とは、r(利率)>g(成長率)という事態を想定してのことです。確かに、成長率よりも利率の方が高ければ、理論上、債務は発散し返済不能になります。
しかし、現実にはそうならなかったのです。その理由は、利率を中央銀行がコントロールしているからです。日銀は、今や金利をマイナスにまでコントロールすることができるのです。こうした状況の下では、債務が発散することは有り得ないのです。(下のグラフは国債残高は右肩上がりで増加しているにも拘らず、金利は右肩下がりで限りなくゼロに近づいていることを示しています。)現実には、財務省が想定していたことと別の事態になっているのです。