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MMTは、平成の誤りを検証するツールである

MMTとは事実に基づく地動説である
 MMTとは、貨幣の正体を貴金属などのモノでは無く、国家や銀行の債務であるという事実を元に、経済現象を再定義した理論です。貨幣の正体が債務であることは、日銀も財務省も認めていることです。問題は、現在主流となっている経済学が、その理論の前提として、貨幣を債務ではなくモノとして扱っていることなのです。そのため、理論と現実が整合しなくなっているのです。このことに彼らは気がついていません。
 その結果、主流派経済学は現実に起こっている経済現象を説明できなくなっています。「国債残高が、これ以上大きくなればハイパーインフレが起きる」と彼らは20年以上前から訴えてきました。しかし、実際には、日本はハイパーインフレどころか、デフレで苦しんでいます。この事実も彼らは認めようとしていません。「今はいいが、財政再建を諦めれば、通貨の信認は崩れ、いつか必ず破綻する」という妄言を未だに言い続けています。
 自分達の学んだ理論にしがみつき、現実を直視しない彼等の態度では、知識人としての資格はありません。自分達の前提とする条件でしか通用しない理屈を現実の世界に当てはめ、現実がそれと違う結果になっていても、その事実を直視しない様では、最早科学ではなく、宗教です。
 かつて、太陽が地球の周りを回っていると考えられてきました。これを天動説と言います。確かに、一見すると太陽が地球の周りを回っている様に思えますし、それが常識として長らく通用していました。しかし、科学が発達し、天体望遠鏡など新たな観測装置が開発されると、天動説では説明できない事実が次々に明らかになりました。ガリレオやコペルニクスは、その矛盾を解決するには、太陽が地球の周りを回っているのでは無く、地球が太陽の周りを回っているという現実を認める以外無いということに気がつきました。
 しかし、天動説から地動説への大転換は長らく認められませんでした。天動説という、当時の常識を元に神と人間の関係を唱えていた、キリスト教などの既存の権威者から徹底的な弾圧を受けることになることは、ご存知の通りです。
 しかし、それでも地球は回っているのです。MMTは、貨幣の正体がモノではなく、負債であると唱えています。貨幣をモノとして考える主流派経済学の唱える理論では、現実と矛盾し、最早現実の経済を説明できなくなっています。MMTはこの矛盾に注目し、現実を見つめ直した結果誕生した理論なのです。

現金(日銀券)は日銀の負債である
 現在、通貨として流通している日銀券は日本銀行が発行する債券です。これは、債務の一種です。かつては、その額面と同額の金と交換することを保証していた兌換(だかん)紙幣でした。つまり、いつでも金との交換を保証する債券だったのです。このため、兌換紙幣の時代には、通貨の発行量は金の保有量による制限を受けざるを得ませんでした。兌換紙幣の時代は、金貨と同じく、モノだったわけです。
 金の保有量の制限を受けるため、政府は国家の経済に必要な量の通貨を発行することが出来ず、その結果、度々不況に陥りました。日本でも昭和の大恐慌の原因は金本位制に戻ったことにあったと言われています。現在では、兌換紙幣を使用している国はありません。従って、通貨は既にモノでは無くなっているのです。
 1万円札などの通貨は日銀が発行していますが、それを現実に受け取るには銀行で預金を引き下ろすことが必要です。銀行は、現金の引き下ろしに備えて一定金額の現金を常時用意していますが、引き下ろし可能額は、その銀行の持っている日銀当座預金の額です。つまり、日銀券は日銀当座預金と表裏一体の存在なのです。日銀当座預金を引き下ろしたものが現金通貨なのです。
 では、日銀当座預金とは何でしょう。これは、日銀が銀行などから国債などの資産を買い取る時に支払う代金です。これを受け取った銀行にとっては資産ですが、支払った日銀にとっては負債として計上されます。そしてこれは、日銀が国債などの資産を買い取れば買い取るほど、その残高は増えることになります。兌換紙幣のように金を保有する必要がありませんから、理屈の上では、日銀は無限に日銀当座預金を銀行に供給することが可能なのですから、いくらでも資産を買い取ることができるのです。
 日銀券は、この日銀当座預金と交換で引き出されるものですから、それを発行した日銀にとっては日銀当座預金と同じく負債になります。一方でそれを取得した人にとっては資産になるのです。日銀は、国債などの資産を銀行などから買い取りや売却することにより、銀行に供給する日銀当座預金の量を調整しているのです。
 ここで大事なことは、日銀は無限に通貨供給できるということです。そして、それは日銀にとっては負債であると言うことです。負債は借金だから、返済しなくてはならないはずと思う人がいるかも知れません。しかし、そもそも現金を持っている人が、日銀に返済をしてくれと言うはずがありません。それは、現金以上に世の中に流通するものがないからです。金に変えて欲しければ、貴金属店に行けば金に交換できますが、日銀が金を保有しておく必要は無いのです。つまり、金の保証なしに、日銀の信用力、その裏にある国家の信用力が、日銀にとっては、負債であり紙切れに過ぎない通貨を流通させる力なのです。そして、これが事実なのです。

現金と銀行預金は本質的に同じもの
 MMT理論の最大の肝は、貨幣の正体がモノではなく、債務であるということです。日本で貨幣として流通しているのは日銀券です。これを通貨と呼んでいますが、この通貨と事実上同じ様に機能しているのが銀行預金です。銀行預金は、通貨と同じ様に経済取引の決済に使用されています。そして、実際の取引では圧倒的に銀行預金の方が多いのです。そこで、貨幣の正体が負債であることを理解するために、銀行預金の増加や減少の仕組みについて考えてみましょう。
 銀行預金が増えるためには、手許現金を預金することが必要と考えがちです。確かに、それでも預金残高は増えますが、手許現金は減ることになります。そのため、手許現金と預金合計は、現金を預け入れても変わることがありません。現金は、預け入れれば預金に変わり、引き出せば現金に変わるだけで、まさに両者は本質的に同じものなのです。
 
銀行の信用創造による通貨供給
 銀行がお金を貸す行為は、信用創造と呼ばれています。お金を借りる側が、借入金と言う債務を持つことにより、それと同額の銀行預金を得ることができるのです。銀行は、貸付金と言う資産を有することになりますが、同時に銀行にとっては負債としての銀行預金を有することになります。銀行が国民に信用を与える行為(与信)が、文字通り銀行預金を生み出すのです。信用創造は英語ではマネークリエーションと呼ばれています。信用創造とは、まさにお金を作り出すことであり、市場への通貨供給そのものなのです。
 以上のことから分かることは、銀行預金が増えるためには、誰かの借入金が増えることが必要だということです。逆に借入金が減れば、銀行預金は減ることになります。これは紛うことのない事実です。資産としての銀行預金は、負債として借入金とセットで存在するということです。
 誰もが借金を持たず、預金だけを持ちたいと思うものです。しかし、それはミクロでは成立しても、マクロでは決して成立しません。世の中全体の預金が増えるためには、世の中全体の借金が増えることが必要なのです。これが事実なのです。
 銀行は預金として集めた資金を貸し出していると、一般的に言われていることは、事実ではありません。それが事実なら、銀行は集めたお金を貸し出すことにより、手許現金が不足し、たちどころに営業に支障をもたらします。現実には、顧客の預金口座と貸付金台帳に借り入れた金額を記帳しているだけで、お金の移動はありません。帳簿上の預金残高と貸付金残高が増えたに過ぎないのです。銀行は自ら集めた預金の額とは関係なく、お金を貸し出すことが可能であり、それにより預金の額そのものが増えるのです。
 また、銀行間取引で決済を行う場合には、帳簿の記帳をするだけで現物の通貨の移動はありません。しかし、預金を現金として引き出す場合には、現物の通貨を用意しておく必要が有ります。そして、その通貨を用意するためには、日銀当座預金の残高が必要ですが、日銀当座預金は先に述べた通り、日銀が事実上無限に供給することができるのです。

日銀券・日銀当座預金と銀行預金の違い
 現実には、BIS規制による自己資本比率や法定準備率などによる貸し出し制限はあるものの、金や集めた預金などのモノの量に関係無く、銀行が信用創造する限り、預金は増えるのです。しかし、銀行が信用創造するためには借り手が必要です。ここが日銀券や日銀当座預金との違いです。
 日銀券も日銀当座預金も一般銀行の預金も受け取る側には資産であり、供給する側にとっては負債です。しかし、その供給には大きな違いがあります。日銀の供給する日銀券や日銀当座預金は、日銀にとっては債務ですが、国家の信用に裏打ちされた中央銀行の発行する通貨であるため、負債ではあっても返済をする必要がありません。そもそも、返済を求める者がいないのです。不兌換紙幣であるため、通貨と交換すべき金などの資産を日銀は保有することなく、必要な量の日銀当座預金(通貨)を供給できるのです。
 一般の銀行預金も日銀当座預金も供給する側から見れば、どちらも負債です。これが通貨の本質はモノではなく、負債であるというMMTの理論の中核であり、誰もが否定しようの無い事実なのです。
 しかし、同じ負債でも、日銀当座預金は日銀の意思でいくらでも供給できるのに対し、一般の銀行預金は、銀行の意思だけでなく、借り手の意思が必要なところが決定的に違います。そして、この違いは、世の中に流通する貨幣の供給には日銀の金融政策だけでは有効でなく、最後は借り手の意思が最重要であることを示しています。

世の中に通貨が供給される仕組み
 日銀は、自分の意思で幾らでも日銀当座預金という通貨を供給できると述べましたが、その供給先は原則として一般の銀行です。銀行などから国債などの資産を購入した代金として、通貨としての日銀当座預金が支払われることにより通貨が供給されるのです。
 銀行の手許通貨量が増えると金利も下がり、借り手も借り易くなるのは事実です。しかし、いくら金利が低くても景気の先行きが不透明な時代、ましてや、デフレで物価が下がっている時代には売上が伸びないため、借り手はお金を借りません。いくら金利を下げても銀行の貸し出しが増えない今日の状態が、その象徴例でしょう。
 この様に、日銀は幾らでも通貨供給ができますが、世の中への実際の通貨供給は、借り手の意思にかかっているということが事実なのです。

日本銀行の業務
 国民にとっては、資産としての銀行預金は負債としての借入金とセットで誕生するということは以上で述べた通りです。これは、銀行にとって、貸付金という資産は負債としての預金とセットで誕生することを意味します。
 同じことが日銀と一般銀行との間でも起きています。日本銀行は、銀行の銀行と言われる様に、銀行に資金を供給したり、銀行同士の取引の決済を行うことを業務としています。
 銀行に資金を供給するには、銀行の持つ資産の買い入れを行います。具体的には銀行の保有する国債を買い入れ、対価として日銀当座預金が振り込まれます。銀行にとっては、資産としての国債が減る代わりに、資産としての日銀当座預金が増えることになるのです。また、日銀にとっては、資産としての国債が増える代わりに、負債としての日銀当座預金が増えることになります。
 銀行同士が決済する時は、それぞれの銀行が持つ日銀当座預金を日本銀行が振り替えることにより精算することになります。この際、手許の日銀当座預金が、その日、銀行間で決済しなければならない金額に足らない場合は、銀行間で翌日払いの短期資金を融通し合うことになります。この際の金利を「無担保コールレート(オーバーナイト物)」と呼び、この金利が短期資金の金利の事実上の指標となります。これをコントロールすることにより、日本銀行は短期金利を政策金利に誘導しています。銀行間の短期資金需要が弱ければ、金利は下がります。逆に需要が強ければ、金利は上がります。銀行との国債の売買を通じて銀行間の短期資金の需給を調整し、短期金利を政策金利へと誘導しているのです。以上の様にして、国債の売買を通じて日銀は金融政策を調整しているのです。

アベノミクスによる日銀の国債保有(異次元金融緩和)の意味
 アベノミクスでは、日銀が国債を大量に保有するようになりました。発行済み国債の4割を超える金額を今や日銀が保有しています。これは、アベノミクス第一の矢と言われていますが、その目的は、日銀が国債を銀行から大量に買い取ることにより、銀行に通貨である日銀当座預金を大量に供給することです。それにより、お金がモノより多く市中に出回れば、通貨の値打ちが下がる、逆に言えばモノの値打ちが上がる、つまり、物価が上がることを期待しての政策です。しかし、この政策は期待通りの成果を上げられませんでした。

アベノミクスの間違い
 そもそも、日銀が大量に国債を購入し、その対価として通貨である日銀当座預金を銀行に供給しても、通貨が市場に出るとは限りません。先に述べた様に、通貨が市場に出回るためには、借り手が銀行からお金を借りる必要があるからです。
 日銀の通貨供給により、金利を安く誘導することは可能です。しかし、銀行にいくら資金供給をしても、市場に出るかどうかは借り手の存在が必要なのです。市場への通貨供給は、日銀の国債購入という量的緩和をいくらやっても、肝心の借り手が不在では無理なのです。これは、銀行の信用創造の本質を理解していないために起こった誤りです。
 この結果、銀行には、日銀当座預金が過剰に供給され、金利はマイナス金利と言われる常識外れな状態になっています。銀行は借り手不在で融資が増えず、かつ、低金利で収益が圧迫されています。これを放置すれば、経営基盤の弱い銀行から順番に経営が破綻し、金融システムが崩壊してしまいます。この様な異常な低金利政策からは、早く脱却しなければなりません。

アベノミクスは新自由主義の整理をすべき
 アベノミクスの第二の矢は機動的財政出動と言われました。しかし、実際には政権奪還直後に大型補正予算が組まれたものの、その後は財政出動は乏しく、むしろ、二度にわたる消費増税が行われるなど、実質は緊縮型の予算になっています。その結果、デフレからの完全脱却には至っていません。異次元金融緩和にも拘らず、企業の積極的投資が進んでいません。この残念な結果は、政策に整合性が無いために生じたものです。アベノミクスには政策の整合性が必要なのです。
 アベノミクスの、経済再生による財政再建というスローガンは、正しかったのです。ただ、経済再生のためには金融緩和だけでは効果が無いことを、理解していなかったのです。また、機動的財政出動が持続できなかった原因は、国債発行が財政再建の妨げになるという誤解がまだまだ根強くあることです。更に、政府が財政出動により経済再建を主導するのは誤りで、あくまで民間に主導させるべき、政府はそのお手伝いをすれば良いという、民間優先の新自由主義的発想がまだアベノミクスには色濃く残っています。
 そもそも、「小さな政府と民間主導」や「財政の効率化と規制緩和」などの新自由主義的政策が平成のデフレを生み出してきたという認識がアベノミクスには足りません。今こそ、新自由主義的政策の総括が必要なのです。

修正アベノミクスがデフレから救う
 アベノミクスは、金融政策が主導で財政政策は補完という立場でした。これを財政政策を主導、金融政策は補完と修正すべきです。先に述べた様に、デフレ下では、いくら金融緩和をしても、借り手不在のため銀行の信用創造は増えず、通貨は市場に供給されません。
 新規国債発行による積極的な財政出動が今こそ必要なのです。しかもそれは、補正予算などの短期的政策ではなく、長期計画に基づくものでなければなりません。防災減災などの国土強靭化はもとより、新幹線や高速道路のネットワークなどの物流革命、子育て世代への所得支援、団塊の世代の高齢化に対応するための社会保障費の充実など、国債を財源として10年から20年計画で対応する政策を実施すべきなのです。
 政府が長期計画とそれに伴う予算を実施すれば、間違いなく民間企業はそれに追随し、自らも投資を行うでしょう。そうすれば、デフレから一挙に脱却できるということは、誰の目にも明らかです。そうなれば、税収も人口も増えますから、結果的には財政も間違いなく安定するのです。

何が何でも国債発行を増やしたくない財務省
 ところが、財務省はこれに反対するのです。曰く、「国債を財源に財政出動をすれば、インフレになる。」、曰く、「長期計画で出した予算は途中でやめられない。」「国家の計画は非効率、民間に任せるべき。」、曰く、「社会保障を国債で負担すれば、負担と給付のバランスを保つというモラルが崩壊する。」などなど、自虐的で論拠に乏しい批判ばかりです。そして、最後のお決まりは「国債を無制限に発行すれば、ハイパーインフレになる」とか、「国債だけで財政出動が可能ならば、税金は要らないと言うことになり、社会が崩壊する。」という紋切り型の批判です。これらは批判にもならないものですが、その間違いについて一つずつ指摘していきましょう。
 財政出動すればインフレになるという批判ですが、デフレから脱却するとはインフレになることですから、何を批判しているのか全く意味不明ですが、デフレから脱却してもインフレになったらコントロールできなくなると心配している様です。しかし、歴史的に見てもその様な事実はありません。1970年代のオイルショックから始まる狂乱物価と呼ばれるインフレも、1990年代のバブル時代も、数年の内に終息しています。金融引き締めや増税など、インフレ抑制には既に確立された政策の実績があるのです。むしろ、20年以上続くデフレこそ問題のはずですが、彼らにはそうした意識がありません。

社会保障は負担と給付のバランスだけでは持続できない
 人生100年時代を迎え、社会保障費給付額は益々増大します。これを持続可能にするためには、負担と給付のバランスをとらなければならない、と良く言われます。いかにも正しい議論のようですが、これでは結局、負担を増やすか給付を減らすかということ以外に解決策は出てきません。
 そもそも、高齢者の社会保障費給付額の増大は、団塊の世代の高齢化が原因です。この先20年位が、団塊の世代の高齢化による給付額増大のピークになります。しかし、その後は団塊の世代が亡くなるにつれて、給付額は減少していくのです。要は、この20年間をどう乗り切るのかと言うことです。私は、その財源は国債で対応すれば良いと考えています。
 何故なら、現在でも社会保障費の給付の4割は国債発行によって賄われていますが、財務省が指摘するような、インフレや通貨の信任の低下などの現象は全く起きていません。自国建国債がデフォルトしないということは、財務省自身が認めていることですから、団塊の世代の高齢化に対応する社会保障費の給付の財源として、国債発行をしても全く問題は起きないはずです。しかも、その後は社会保障費の給付は減ってきますから、国債発行額も減ることになるのですから、国債発行額が永遠に増え続けるという心配もありません。
 むしろ、負担と給付のバランスをとることにより、給付を減らしたり、負担額を増やせば、社会は大混乱するでしょう。給付を減らすとなれば、将来のための備えとしてますます消費が減り、貯蓄が増えるでしょう。また、負担を増やせば、その分所得が減りますから、当然消費は減ります。いずれにしても、消費が減り、貯蓄が増え、デフレに拍車がかかるのです。
 むしろ、負担を増やさず、国債を財源にして現在の給付を維持、または充実するとなれば、国民は安心して老後を迎えられます。過剰な貯蓄をする必要もなく、人生を楽しむための消費が増えるでしょう。また、社会保障の給付が増えると言うことは、それをなりわいとしている人の所得が増えることになり、当然消費も増えます。国債残高は一時的には増大しますが、経済の活性化により、税収も増え、財政はむしろ健全な方向に進むでしょう。目先の財政健全化に目を奪われていては、問題の解決はできないのです。
 
国債残高をゼロにしたら社会は大混乱
 年金や医療や介護などの社会保障の給付の6割は、国民側が支払った社会保険料の負担です。残りの4割は国の税金で支払われていると説明する人がいますが、それは間違いです。現実はその大半が、国債の発行によって賄われているのです。国債は国の借金だから、いずれ税金によって返済しなければならないはず、というのも誤りです。
 もし、本当に1,000兆円の公債残高を0にするためには、結局は1,000兆円の増税をする以外ありません。公債残高は無くなっても、国民サイドから1,000兆円の預貯金等の資産が失われるのです。財政は健全化しても、社会が大混乱することは目に見えています。
 そもそも、財務省自体が、1,000兆円ある公債残高を0にするということを考えていないのです。従って、赤字国債で賄っている社会保障は、決して税金で支払っているわけではないのです。
 財務省は、今は赤字国債の発行が可能であっても、将来も必ず安定的に発行できるとは限らないと心配しているのです。しかし、これこそ取り越し苦労というものでしょう。先に国債発行の仕組みを述べたように、政府が新規発行した国債を銀行が買わないという選択肢は無いのです。
 何故なら、銀行は日銀当座預金を保有していますが、現在、その金利はほぼ0です。国債には金利が付くのが普通ですから、日銀当座預金を持つよりも国債を持っている方が銀行には有利だからです。
 
自国建国債は絶対にデフォルトしない
 政府が国債を発行し過ぎているから、国債もいつ紙切れになるか分からない。今はまだ良いがこのまま財政再建をしなければ、いずれ通貨の信任を無くす。この様なことが言われ続けてきましたが、それも間違いです。そもそも、そういう情報を出してきたのは財務省ですが、その財務省自身が外資の格付け会社の不当な格付けに、次の様に「日・米など先進国の自国通貨建国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。」と明確に否定しています。これは、今も、財務省のホームページに掲載されています。財務省自身が明確に否定している様に、自国建国債のデフォルトはあり得ないのです。
 国債は、額面での償還が保証されている政府の債務で利息が付きます。通貨は日銀の債務ですが、今はほとんど利息は付きません。国債は、償還期日が来れば通貨に交換されます。つまりは、銀行にとっては国債と通貨は実質同じ物なのです。利息が付くか付かないかの違いがあるだけです。したがって、銀行は国債の発行があれば、取得するのです。そして、自身が持っている通貨、つまり、日銀当座預金と交換しようとするのです。

国債発行は通貨供給、納税は通貨回収
 「国家の予算は税金によらなくても、国債発行で賄うことができるとするMMT理論が正しいならば、税金は必要ないことになる。」とMMT反対派からよく言われます。しかし、これはまったくの誤解です。
 国債発行による財政出動は、国民への通貨供給であり、納税は国民からの通貨回収です。納税を否定すれば、通貨は一方的に供給されるばかりになりますから、必ずハイパーインフレに陥ります。そもそも、納税義務のない通貨供給などありえないのです。
 通貨発行権も徴税権も国家主権の行使そのものですが、この二つはセットになって存在しているのです。この二つのバランスを図ることで、国民経済を調節することができるのです。

国債発行による財政出動は国民に預貯金と需要を供給する
 国債を財源に財政出動すれば、それは国民へ通貨供給したことになります。同時に、需要を国民に供給することになります。何故なら、公共事業にしても福祉にしても、その事業により仕事を受ける人や給与を貰う人がいるからです。国民の所得の増加が消費を生み出し、結果的に需要を生み出すことになるのです。この様に、国債発行による財政出動は、国民に預金資産と需要を供給することになるのです。
 先に、日銀の金融緩和により市場への通貨供給が増えるかどうかは、借り手の存在が鍵だと述べました。そして、借り手が増えるためには、資金を借りて投資をする需要があるかどうかが問題なのです。金融政策だけでは需要を作り出すことができませんが、国債発行による財政出動は、需要そのものを作り出すことができるのです。従って、金融緩和による低金利下で国債発行による財政出動を行えば、民間の信用創造も増え、景気は必ず回復するのです。

財政の黒字は通貨回収、赤字は通貨供給
 国家の予算は税金だけに頼ることなく、経済状況に応じては、国債発行で財源を賄うことができるというのが、MMTの主張です。つまり、デフレで不況の時は、財源確保のために増税するより、国債発行で賄えば良いということです。
 徴税は通貨回収であり、予算執行は通貨供給です。従って、いわゆる黒字予算とは、徴収した税金の範囲内で予算を支出していることですから、政府による通貨供給が基本的にはない状態のことです。
 赤字予算とは、徴収した税金以上に予算を支出するのですから、政府がその分の通貨供給をしているということです。逆に財政再建というのは、税金の徴収以下に予算を抑え、その差額を国債の償還に充てることですから、通貨回収をしているということです。
 この事実が理解できれば、デフレ不況の時に財政再建など、有り得ない愚策だと分かります。デフレとは、物価が持続的に下落している状態です。経済活動が停滞して、通貨の供給が不足している状態です。その結果、税収不足が生じているのです。
 こうした状態のときには、まず通貨を供給し、経済活動を活発化させることが必要です。具体的には、新規に国債を発行し、景気対策の予算を支出することにより、通貨と需要を国民サイドに供給する必要があるのです。
 
通貨発行権の有る国家の財政と民間企業の財政とは全く異なる
 ここまで、貨幣の正体が負債であることを述べてきました。貨幣には、日銀の発行する日銀券と、銀行が信用創造により供給する預金とがあることも述べました。どちらも負債であることには変わりはありません。しかし、日銀券が日銀の意思によりいくらでも発行できるのに対し、信用創造は借り手の存在がなければ預金を供給できないのです。ここが、両者の根本的違いです。
 また、国債は政府の負債であると同時に、それを取得している銀行にとっては、利息が付くため日銀当座預金より有利な金融資産なのです。日銀券が負債であってもデフォルトしないのと同じく、国債も自国建である限りデフォルトしないのです。日銀券が日銀の意思によっていくらでも発行できるのと同じように、国債も国家の意思によっていくらでも発行できるのです。だから、日銀券も国債もデフォルトがないのです。
 銀行預金は、日銀券と同じように発行する銀行にとっては負債であり、実際の経済取引では日銀券以上に流通しています。しかし、信用創造は、銀行の意思だけではできません。必ず、借り手の存在が必要なのです。また、経済が冷え込んだときには、信用創造よりも借入金の返済の方が増え、結果的に市場の銀行預金残高は少なくなります。市場に流通する預金量が減ることにより、経済は急激に悪化します。
 民間企業は、自由にお金を借りることはできません。経済状況に従いながら、自らの返済能力の範囲内でしかお金を借りることはできないのです。それを間違えれば、デフォルトするのです。
 また、民間企業は、黒字経営でなければ借入金の返済原資が出ません。いつまでも赤字経営をしていれば、借入金の返済ができず、必ず経営破綻をするのです。ところが、政府は国債の返済原資として国債をいくらでも発行することができますから、最初からデフォルト自体が存在しません。その上、自ら供給した通貨は税となってその何割かが必ず国庫に納入されます。つまり、通貨供給の過剰によるインフレを制御する仕組みが、最初からビルトインされているのです。

日本の戦後のハイパーインフレの原因は、戦争による供給力不足
 国債を無制限に発行すれば、結局はハイパーインフレで経済は破綻をする、その典型的な例が戦後の日本だという人がいます。しかし、これも間違っています。なぜなら、国債を発行していたのは戦前です。戦後は、国債の発行を東京オリンピック以前まではしていないのです。むしろ、終戦直後には発行した国債を全額財産税によって償還したため、国債残高は無くなっていたのです。
 敗戦により日本は、国債が紙切れになってしまったと言う人がいますが、実は、財産税による課税で全額償還されています。国民から、財産を取り上げて国債残高を0にするという暴挙を実際に実施したのです。当然社会は大混乱に陥りました。
 また、戦争による国債乱発で、日本はハイパーインフレになったと言われていますが、それも事実とは異なります。事実は、終戦直前に東京や大阪や名古屋始め、大都市が空襲で焼かれてしまい、圧倒的な供給力不足になったということです。更に、500万人を超える国民が1年の内に外地から帰国をしました。需要と供給の圧倒的な差が、インフレをもたらしたことは想像に難くありません。
 そもそも、日本が占領されていた時代、占領国アメリカの占領目的は日本の弱体化であり、日本への懲らしめであったことはアメリカの公文書でも明らかになっています。昭和25年の朝鮮戦争までこうしたことは続くのです。国債の財産税による全額償還や、緊縮財政など、インフレ対策だといわれていたこの時代の政策は、実はGHQによる日本窮乏化政策であったと私は思っています。
 そうした占領時代に、財政法が作られ、赤字国債が禁止されました。更にドッジラインにより銀行の貸し出しにも制限が加えられ、財産法により国債が全額償還されたのです。一方で空襲により生産能力が激減した上、石油石炭などのエネルギーや資源の輸入が制限されていたのですから、圧倒的な品不足状態であったのです。戦後の日本が戦中よりも貧しかったのは当然のことです。こうしたことが、戦後のインフレの原因なのです。
 こうした占領時代の実態を、日本人はもう一度総括をすべきです。少なくとも国債が紙切れになってしまったということは、あの戦争の直後においても無かったのです。戦後のインフレは、空襲による供給力不足と占領政策による懲らしめが原因であり、国債を増発したことではありません。

国債が発散する事は有り得ない、必ず制御できる
 財務省は、「国債残高が大きくなりすぎてインフレになると、利息が極端に高くなり、それが成長率を超えると債務の返済が不可能になる。債務残高は限りなく膨れ上がり発散する。」とよく言います。財政再建をしなければ、いつか、ハイパーインフレが起こり、社会は壊滅状態になるというのです。 そうならないようにするために、財政再建が必要なのだと、プライマリーバランスの黒字化や、債務対GDP比が財政再建の指標として用いられます。その結果、増税もしくは歳出削減が政策として誘導されることになります。こうした論法が、日本を20年以上にわたるデフレに落とし込んだ原因です。
 しかし、財務省の主張にも拘らず、日本の国債残高は昭和40年代以降一貫して増え続け、今やGDPの2倍にもなろうとしています。しかし一方で、金利は右肩下がりで下がり続け、今やマイナス金利になっています。インフレを恐れるあまり、デフレの花を咲かせてしまった。これが、財政再建政策の実態でしょう。
 そもそも、財務省が心配する国債の発散とは、r(利率)>g(成長率)という事態を想定してのことです。確かに、成長率よりも利率の方が高ければ、理論上、債務は発散し返済不能になります。
 しかし、現実にはそうならなかったのです。その理由は、利率を中央銀行がコントロールしているからです。日銀は、今や金利をマイナスにまでコントロールすることができるのです。こうした状況の下では、債務が発散することは有り得ないのです。(下のグラフは国債残高は右肩上がりで増加しているにも拘らず、金利は右肩下がりで限りなくゼロに近づいていることを示しています。)現実には、財務省が想定していたことと別の事態になっているのです。

今、財政出動しなければ、二度と立ち上がれなくなる
 いずれにしても、現下の超低金利の状態で、国債が発散することなど有り得ません。そしてこの状態は、今後しばらくは続くことでしょう。だからこそ、国債発行による財政出動を今、しなければならないのです。今なら、少子化や地方喪失にも歯止めがかけられます。
 子育て世代に分配を増やし、安心して子供が産み育てられる環境を作らなければなりません。人生100年時代の社会保障も、団塊の世代の超高齢化にも対応できる仕組みを作らねばなりません。東京一極集中に歯止めをかけるためにも、地方への予算の配分が必要です。また、地震の活動期に備え、国土強靭化は急務です。こうした事業の財源は国債発行で賄えばよいのです。こうした事業を行えば社会が活性化し、経済は一挙に回復するでしょう。そうなれば、税収そのものが増えるために、財務省が財政再建を心配する必要もなくなります。
 しかし、今こうした事業を行わなければ、少子化や地方喪失が進み、もはや手の打ちようがなくなります。日本は供給力不足に陥り、いくら財政出動により需要を作っても最早立ち直ることができなくなるのです。
 令和の時代が始まりました。今こそ、平成デフレから脱却する最後のチャンスです。そのためにも、平成30年間の経済政策の誤りをしっかり見つめなければなりません。MMTは、その事実を検証するためのツールなのです。
 名目GDPは、日本だけが20年前と殆ど同じで成長していません。その原因が、財政出動の増加も殆どないことと相関関係があるということが、右のグラフから見てとれます。