


松井京都市長から「令和8年度 国の施策・予算に関する緊急提案・要望」を受けました
ガソリン税の暫定税率の廃止をはじめ、国民生活を物価高から守り、将来に向けた日本の経済成長を促すための積極的な投資など、責任ある積極財政を掲げた補正予算が、野党の皆さん方の協力も得られたことにより、ようやく成立しました。
しかし一方で、連立を組む維新の会からの要求で上程された衆議院議員の定数を削減する法案は継続審議となりました。私は、補正予算が通ったこの時点で解散総選挙を行い、国民の信を問うべきだと訴えてきましたが、それは叶いませんでした。高市総理にすれば、補正予算が通っても、国民生活を守るためには来年度予算の作成をしなければならない。年末の解散をして国民の信を問う時間的余裕がなかったというのが、本音だと思います。しかし、継続審議をしても、この法案の成立の見通しは全く立っていません。したがって、次の山場は来年度予算が年度内成立できることが確定した時です。必ず国民の信を問わねばならない時期がやってくるものと思います。
当初から、私はこの法案には反対でしたが、なぜ維新の会はこれにこだわってきたのでしょうか。維新の会は、結党当初から「身を切る改革」を、自分たちの政策の1丁目1番地と位置づけ訴えてきました。その意味は、このままでは国の借金が増え、財政が破綻する。そうならないためには、無駄な予算を削ることが必要で、国民に様々な行政サービスをカットすることに賛成してもらわねばならない。そこで、まずは国会議員の歳費や定数を削減し、自らが身を切る改革を実践することにより、国民の理解を得なければならないという理屈が、その原点にあります。
しかし、この理屈はパフォーマンスでしかなく、事実にも反しています。事実は、国債の償還は、孫子の時代の税金ではなく、借換債の発行により行われているのです。従って、次の世代の負担にはなっていないのです。そもそも国債の発行により得た資金を予算執行すると、必ずその同額の預貯金が、家計や企業などの民間部門で増えます。逆に、国債の残高を減らせば、結果として、それと同額の民間部門の預貯金が減ります。これは、私の国会での質問に対し財務大臣も答弁している事実です。
また、家計や企業などが借金をしてお金を使うと、必ず誰かの預貯金が増えます。つまり、国であろうと民間部門であろうと、借金、すなわち負債が増えれば、必ず誰かの預貯金が増えるのです。逆に負債が減れば、預貯金の量は減るのです。これは理屈ではなく事実なのです。
ところが、この事実が何十年もの間、全く国民に知らされてきませんでした。国の借金、つまり国債を国民の借金のように例え、国民一人当たり1000万円を超えるような借金がある。この返済のために次の時代の税金が使われれば、孫や子の時代には必要な予算が使われず、国家は破綻するという嘘がまかり通って来たのです。
それを信じた人たちは、できるだけ無駄な予算を削減し、国債発行額を減らさなければならないと信じ込んでいます。こうした考えの延長線上にあるのが、維新の会などが主張する「身を切る改革」なのです。

盟友である城内実大臣の「税理士による後援会」で積極財政について講演いたしました
これに対し、高市総理が主張する「責任ある積極財政」とは、国民生活や国家の運営に必要な予算は積極的に財政を拡大し、その結果として、経済が拡大し税収そのものが増えるという考え方です。財政収支は単年度ではなく複数年度で捉え、債務対GDP比が発散しないようにコントロールするというものです。そもそも日本の政府は、国債や政府短期証券など、負債の総額は約1300兆円に上ると言われています。一方で、政府は年金積立金や外貨準備預金など、約700兆円に上る金融資産を保有しています。これらを差し引くと、純債務残高は約600兆円で、GDPとほぼ同じ位の規模です。純債務残高で国際比較をすると、日本の債務対GDP比は、他の先進諸国と概ね同じ水準です。
財務省は今まで、金融資産を意図的に無視し、債務残高が先進諸国の中でも突出して多いと、過剰に財政再建の必要性を喧伝してきました。特に、国家の財政を家計に置き換えたミスリーディングを繰り返し行い、国民の危機感を煽り続けてきました。その結果、緊縮政策が正当化され、多くの政党が財政再建を訴えてきました。それが、「失われた30年」の原因です。政府も民間も共に将来に対する投資を減らしてきたわけですから、経済が停滞するのも当然です。しかし、高市総理が政調会長であった時代に、私が党内で立ち上げた財政政策検討本部の議論が党内世論を変えつつあります。さらに高市総理が誕生したことにより、「責任ある積極財政」が実現しつつあるのです。財政あっての経済ではなく、経済あっての財政を目指すものですから、「身を切る改革」とは根本的に発想が異なります。「身を切る改革」は、まさに財務省が主張してきた路線を忠実に実行しようとするものでデフレ政策そのものなのです。

近畿市長会から片山財務大臣への「地方財源に関する要望」の陳情に同席いたしました
昭和22年憲法が施行された時の衆議院と参議院の定数は、それぞれ500人と250人でした。当時の人口は約8000万人です。その後人口は増加し続け、1票の格差を是正するために、定数を増やすことで調整してきました。ところがバブル崩壊後の「身を切る改革」の下、1票の格差の是正は人口が増えた地域の定数を増やすのではなく、人口が減った地域の定数を減らすという方向で調整が続けられました。現在は少子高齢化で人口が減っているとはいうものの、当時の1.5倍の約1億2000万以上の人口があります。人口が憲法制定時よりはるかに増えているにもかかわらず、国民の声を聞く代表者の数を減らし続けたのです。まさに国民の主権制限に他なりません。
参議院は6年の任期で、3年ごとにその半数が改選される仕組みです。こちらの1票の格差是正も人口が少ない地域の定数を減らすという方法で行われたため、鳥取・島根、徳島・高知では選挙区が合区され、1県1代表すら選べない仕組みになっています。主権制限だけではなく、地域差別そのものです。こうした現状を鑑み、参議院では与野党ともに、合区解消のためには定数を増員しなければならないと言う意見が、今や多数となっています。にもかかわらず、維新の会が衆議院の定数を45減らすことを連立の条件として要求を突きつけてきました。これはあまりにも乱暴な意見です。
議員内閣制は、国会議員が投票により首班を選挙で選び、首班指名された人が内閣総理大臣になり、その人が各大臣を任命することによって、行政府のトップが決められる仕組みです。大臣や副大臣、政務三役が総理大臣により任命されますが、その数はおよそ100名程度になります。この方達は、行政府の長となりますが、もともと国会議員は立法府の人間です。立法をするために、与党の自民党では、それぞれの省庁別に部会や調査会などを設け、そこで立法に関する議論を毎日朝8時から行っています。原則どの部会にも自由に参加できますが、その責任者となる部会長や副部会長などの役職は、政務三役とは原則兼務できない仕組みになっています。そのため、その部会長等の役職者の数も、政務三役と同じ位の数が必要となります。政務三役に任命された人は党の役職に就くことができない仕組みをとっているのは、憲法に規定されている三権分立を担保するためです。こうしたことから、200名程度の国会議員が、与党では確実に必要になります。
衆参の選挙で自民党は敗北したため、自民党ですら衆参合わせて300人程度の議員しかいません。このまま衆院の定数を50人も減らしたら、内閣と党内の要職をこなす人材を確保することはむずかしくなります。ましてや、自民党以外の政党では、全く不可能になるでしょう。維新の会は、大阪では政権をとっていますが、それは議員内閣制ではありません。首長以外は皆、公務員であり、政府とは全く仕組みが違うのです。行政の実務は公務員に丸投げだからこそ可能なのです。維新の会の代表の吉村さんは大阪の知事ですが、このことを全く理解していないのです。
公明党との連立政権の時は、国交省の大臣と各省の副大臣や政務官も公明党の議員が務めていました。今の維新の会との連立政権では、維新の会は大臣は勿論、誰一人として政務三役に入っていません。内閣を支える職務を務めていないのに、一方で身勝手な要求を繰り返すのでは、与党としての責任を果たしているとは言えないのではないでしょうか?
新年 明けましておめでとうございます。
万博も終わり、冬のオリンピックがそこまで。穏やかな新年をお迎えのことと思います。
今、瓦は昨年の時代祭の役員を終えてほっとしております。下京区・南区の平安講社第六社という組織で時代祭の「徳川城使上洛列」を担当しております。(ご存じの方には釈迦に説法か) 第六社には二十六の元学区で構成されており、当番学区としては二十六年ぶりに担当することになりますが、時代祭中最も長い行列で、経費も一番かかる行列なのです。
昨年度の繰り言になりますが、経費についてはやりくりができたのですが、行列の参加者集めに四苦八苦。60名もの参加者を地元学区から募集するのですが、参加者が少なく新設の開建高校生も駆集め、何とか段取りが付いた次第です。しかし江戸時代の大名行列の着付けの問題が発生しました。地元学区民の60名だけでよいと思っていたら、アルバイト学生をも含む120名の着付け問題が発生。それも祭当日の22日の早朝から午前9時までにすべてを終えなければ。事前講習会をするにしても、着物の着付けの心得のある方を募集するのに・・・実行委員会では「どうする?どうする!」の連発。
しかしながら、地元には心温まるボランティアの方々がおられました。これは地元の大問題や!みんなで何とかしよう!といった機運が溢れてきました。その時の皆さん方のボランティア精神には心打たれました。これを地域力というのでしょうか。組織力というのでしょうか。何とか、無事22日の行列を終えることができました。感謝しても仕切れません。瓦はあらためて、感動した思いでした。よい人生経験をさせていただいたと思っております。
さて、これと同じような思いをした経験が、昨年の夏にありました。7月の末の1週間です。「西田昌司をよろしく」と地元の方々と連日走り回ったことを思い出しておりました。
これは瓦だけではなく、「西田昌司を国政に」といった熱い思いの結晶であり、今後「西田会」や「昌友会」の皆様方とともに持ち続けていくものと思っているのは、瓦一人だけではないと思っております。
本年も「羅城門の瓦」をよろしくお願いいたします。