MMTとは事実に基づく地動説である
MMTとは、貨幣の正体を貴金属などのモノでは無く、国家や銀行の債務であるという事実を元に、経済現象を再定義した理論です。貨幣の正体が債務であることは、日銀も財務省も認めていることです。問題は、現在主流となっている経済学が、その理論の前提として、貨幣を債務ではなくモノとして扱っていることなのです。そのため、理論と現実が整合しなくなっているのです。このことに彼らは気がついていません。
その結果、主流派経済学は現実に起こっている経済現象を説明できなくなっています。「国債残高が、これ以上大きくなればハイパーインフレが起きる」と彼らは20年以上前から訴えてきました。しかし、実際には、日本はハイパーインフレどころか、デフレで苦しんでいます。この事実も彼らは認めようとしていません。「今はいいが、財政再建を諦めれば、通貨の信認は崩れ、いつか必ず破綻する」という妄言を未だに言い続けています。
自分達の学んだ理論にしがみつき、現実を直視しない彼等の態度では、知識人としての資格はありません。自分達の前提とする条件でしか通用しない理屈を現実の世界に当てはめ、現実がそれと違う結果になっていても、その事実を直視しない様では、最早科学ではなく、宗教です。
かつて、太陽が地球の周りを回っていると考えられてきました。これを天動説と言います。確かに、一見すると太陽が地球の周りを回っている様に思えますし、それが常識として長らく通用していました。しかし、科学が発達し、天体望遠鏡など新たな観測装置が開発されると、天動説では説明できない事実が次々に明らかになりました。ガリレオやコペルニクスは、その矛盾を解決するには、太陽が地球の周りを回っているのでは無く、地球が太陽の周りを回っているという現実を認める以外無いということに気がつきました。
しかし、天動説から地動説への大転換は長らく認められませんでした。天動説という、当時の常識を元に神と人間の関係を唱えていた、キリスト教などの既存の権威者から徹底的な弾圧を受けることになることは、ご存知の通りです。
しかし、それでも地球は回っているのです。MMTは、貨幣の正体がモノではなく、負債であると唱えています。貨幣をモノとして考える主流派経済学の唱える理論では、現実と矛盾し、最早現実の経済を説明できなくなっています。MMTはこの矛盾に注目し、現実を見つめ直した結果誕生した理論なのです。
現金(日銀券)は日銀の負債である
現在、通貨として流通している日銀券は日本銀行が発行する債券です。これは、債務の一種です。かつては、その額面と同額の金と交換することを保証していた兌換(だかん)紙幣でした。つまり、いつでも金との交換を保証する債券だったのです。このため、兌換紙幣の時代には、通貨の発行量は金の保有量による制限を受けざるを得ませんでした。兌換紙幣の時代は、金貨と同じく、モノだったわけです。
金の保有量の制限を受けるため、政府は国家の経済に必要な量の通貨を発行することが出来ず、その結果、度々不況に陥りました。日本でも昭和の大恐慌の原因は金本位制に戻ったことにあったと言われています。現在では、兌換紙幣を使用している国はありません。従って、通貨は既にモノでは無くなっているのです。
1万円札などの通貨は日銀が発行していますが、それを現実に受け取るには銀行で預金を引き下ろすことが必要です。銀行は、現金の引き下ろしに備えて一定金額の現金を常時用意していますが、引き下ろし可能額は、その銀行の持っている日銀当座預金の額です。つまり、日銀券は日銀当座預金と表裏一体の存在なのです。日銀当座預金を引き下ろしたものが現金通貨なのです。
では、日銀当座預金とは何でしょう。これは、日銀が銀行などから国債などの資産を買い取る時に支払う代金です。これを受け取った銀行にとっては資産ですが、支払った日銀にとっては負債として計上されます。そしてこれは、日銀が国債などの資産を買い取れば買い取るほど、その残高は増えることになります。兌換紙幣のように金を保有する必要がありませんから、理屈の上では、日銀は無限に日銀当座預金を銀行に供給することが可能なのですから、いくらでも資産を買い取ることができるのです。
日銀券は、この日銀当座預金と交換で引き出されるものですから、それを発行した日銀にとっては日銀当座預金と同じく負債になります。一方でそれを取得した人にとっては資産になるのです。日銀は、国債などの資産を銀行などから買い取りや売却することにより、銀行に供給する日銀当座預金の量を調整しているのです。
ここで大事なことは、日銀は無限に通貨供給できるということです。そして、それは日銀にとっては負債であると言うことです。負債は借金だから、返済しなくてはならないはずと思う人がいるかも知れません。しかし、そもそも現金を持っている人が、日銀に返済をしてくれと言うはずがありません。それは、現金以上に世の中に流通するものがないからです。金に変えて欲しければ、貴金属店に行けば金に交換できますが、日銀が金を保有しておく必要は無いのです。つまり、金の保証なしに、日銀の信用力、その裏にある国家の信用力が、日銀にとっては、負債であり紙切れに過ぎない通貨を流通させる力なのです。そして、これが事実なのです。
現金と銀行預金は本質的に同じもの
MMT理論の最大の肝は、貨幣の正体がモノではなく、債務であるということです。日本で貨幣として流通しているのは日銀券です。これを通貨と呼んでいますが、この通貨と事実上同じ様に機能しているのが銀行預金です。銀行預金は、通貨と同じ様に経済取引の決済に使用されています。そして、実際の取引では圧倒的に銀行預金の方が多いのです。そこで、貨幣の正体が負債であることを理解するために、銀行預金の増加や減少の仕組みについて考えてみましょう。
銀行預金が増えるためには、手許現金を預金することが必要と考えがちです。確かに、それでも預金残高は増えますが、手許現金は減ることになります。そのため、手許現金と預金合計は、現金を預け入れても変わることがありません。現金は、預け入れれば預金に変わり、引き出せば現金に変わるだけで、まさに両者は本質的に同じものなのです。
銀行の信用創造による通貨供給
銀行がお金を貸す行為は、信用創造と呼ばれています。お金を借りる側が、借入金と言う債務を持つことにより、それと同額の銀行預金を得ることができるのです。銀行は、貸付金と言う資産を有することになりますが、同時に銀行にとっては負債としての銀行預金を有することになります。銀行が国民に信用を与える行為(与信)が、文字通り銀行預金を生み出すのです。信用創造は英語ではマネークリエーションと呼ばれています。信用創造とは、まさにお金を作り出すことであり、市場への通貨供給そのものなのです。
以上のことから分かることは、銀行預金が増えるためには、誰かの借入金が増えることが必要だということです。逆に借入金が減れば、銀行預金は減ることになります。これは紛うことのない事実です。資産としての銀行預金は、負債として借入金とセットで存在するということです。
誰もが借金を持たず、預金だけを持ちたいと思うものです。しかし、それはミクロでは成立しても、マクロでは決して成立しません。世の中全体の預金が増えるためには、世の中全体の借金が増えることが必要なのです。これが事実なのです。
銀行は預金として集めた資金を貸し出していると、一般的に言われていることは、事実ではありません。それが事実なら、銀行は集めたお金を貸し出すことにより、手許現金が不足し、たちどころに営業に支障をもたらします。現実には、顧客の預金口座と貸付金台帳に借り入れた金額を記帳しているだけで、お金の移動はありません。帳簿上の預金残高と貸付金残高が増えたに過ぎないのです。銀行は自ら集めた預金の額とは関係なく、お金を貸し出すことが可能であり、それにより預金の額そのものが増えるのです。
また、銀行間取引で決済を行う場合には、帳簿の記帳をするだけで現物の通貨の移動はありません。しかし、預金を現金として引き出す場合には、現物の通貨を用意しておく必要が有ります。そして、その通貨を用意するためには、日銀当座預金の残高が必要ですが、日銀当座預金は先に述べた通り、日銀が事実上無限に供給することができるのです。
日銀券・日銀当座預金と銀行預金の違い
現実には、BIS規制による自己資本比率や法定準備率などによる貸し出し制限はあるものの、金や集めた預金などのモノの量に関係無く、銀行が信用創造する限り、預金は増えるのです。しかし、銀行が信用創造するためには借り手が必要です。ここが日銀券や日銀当座預金との違いです。
日銀券も日銀当座預金も一般銀行の預金も受け取る側には資産であり、供給する側にとっては負債です。しかし、その供給には大きな違いがあります。日銀の供給する日銀券や日銀当座預金は、日銀にとっては債務ですが、国家の信用に裏打ちされた中央銀行の発行する通貨であるため、負債ではあっても返済をする必要がありません。そもそも、返済を求める者がいないのです。不兌換紙幣であるため、通貨と交換すべき金などの資産を日銀は保有することなく、必要な量の日銀当座預金(通貨)を供給できるのです。
一般の銀行預金も日銀当座預金も供給する側から見れば、どちらも負債です。これが通貨の本質はモノではなく、負債であるというMMTの理論の中核であり、誰もが否定しようの無い事実なのです。
しかし、同じ負債でも、日銀当座預金は日銀の意思でいくらでも供給できるのに対し、一般の銀行預金は、銀行の意思だけでなく、借り手の意思が必要なところが決定的に違います。そして、この違いは、世の中に流通する貨幣の供給には日銀の金融政策だけでは有効でなく、最後は借り手の意思が最重要であることを示しています。
世の中に通貨が供給される仕組み
日銀は、自分の意思で幾らでも日銀当座預金という通貨を供給できると述べましたが、その供給先は原則として一般の銀行です。銀行などから国債などの資産を購入した代金として、通貨としての日銀当座預金が支払われることにより通貨が供給されるのです。
銀行の手許通貨量が増えると金利も下がり、借り手も借り易くなるのは事実です。しかし、いくら金利が低くても景気の先行きが不透明な時代、ましてや、デフレで物価が下がっている時代には売上が伸びないため、借り手はお金を借りません。いくら金利を下げても銀行の貸し出しが増えない今日の状態が、その象徴例でしょう。
この様に、日銀は幾らでも通貨供給ができますが、世の中への実際の通貨供給は、借り手の意思にかかっているということが事実なのです。
日本銀行の業務
国民にとっては、資産としての銀行預金は負債としての借入金とセットで誕生するということは以上で述べた通りです。これは、銀行にとって、貸付金という資産は負債としての預金とセットで誕生することを意味します。
同じことが日銀と一般銀行との間でも起きています。日本銀行は、銀行の銀行と言われる様に、銀行に資金を供給したり、銀行同士の取引の決済を行うことを業務としています。
銀行に資金を供給するには、銀行の持つ資産の買い入れを行います。具体的には銀行の保有する国債を買い入れ、対価として日銀当座預金が振り込まれます。銀行にとっては、資産としての国債が減る代わりに、資産としての日銀当座預金が増えることになるのです。また、日銀にとっては、資産としての国債が増える代わりに、負債としての日銀当座預金が増えることになります。
銀行同士が決済する時は、それぞれの銀行が持つ日銀当座預金を日本銀行が振り替えることにより精算することになります。この際、手許の日銀当座預金が、その日、銀行間で決済しなければならない金額に足らない場合は、銀行間で翌日払いの短期資金を融通し合うことになります。この際の金利を「無担保コールレート(オーバーナイト物)」と呼び、この金利が短期資金の金利の事実上の指標となります。これをコントロールすることにより、日本銀行は短期金利を政策金利に誘導しています。銀行間の短期資金需要が弱ければ、金利は下がります。逆に需要が強ければ、金利は上がります。銀行との国債の売買を通じて銀行間の短期資金の需給を調整し、短期金利を政策金利へと誘導しているのです。以上の様にして、国債の売買を通じて日銀は金融政策を調整しているのです。
アベノミクスによる日銀の国債保有(異次元金融緩和)の意味
アベノミクスでは、日銀が国債を大量に保有するようになりました。発行済み国債の4割を超える金額を今や日銀が保有しています。これは、アベノミクス第一の矢と言われていますが、その目的は、日銀が国債を銀行から大量に買い取ることにより、銀行に通貨である日銀当座預金を大量に供給することです。それにより、お金がモノより多く市中に出回れば、通貨の値打ちが下がる、逆に言えばモノの値打ちが上がる、つまり、物価が上がることを期待しての政策です。しかし、この政策は期待通りの成果を上げられませんでした。
アベノミクスの間違い
そもそも、日銀が大量に国債を購入し、その対価として通貨である日銀当座預金を銀行に供給しても、通貨が市場に出るとは限りません。先に述べた様に、通貨が市場に出回るためには、借り手が銀行からお金を借りる必要があるからです。
日銀の通貨供給により、金利を安く誘導することは可能です。しかし、銀行にいくら資金供給をしても、市場に出るかどうかは借り手の存在が必要なのです。市場への通貨供給は、日銀の国債購入という量的緩和をいくらやっても、肝心の借り手が不在では無理なのです。これは、銀行の信用創造の本質を理解していないために起こった誤りです。
この結果、銀行には、日銀当座預金が過剰に供給され、金利はマイナス金利と言われる常識外れな状態になっています。銀行は借り手不在で融資が増えず、かつ、低金利で収益が圧迫されています。これを放置すれば、経営基盤の弱い銀行から順番に経営が破綻し、金融システムが崩壊してしまいます。この様な異常な低金利政策からは、早く脱却しなければなりません。